奇経治療:認知機能改善

2018年6月27日『日高新報』
「中宮院の中野さん 全日本鍼灸学会で発表」

以下、引用。

御坊市の中宮院院長で一般社団法人東洋はり医学会関西の会長を務める中野正得さん(38)が、左手と右足のツボを刺激することで認知機能改善に効果があることを実証し、大阪で開催された第67回全日本鍼灸学会で発表した。10人以上のモニターでの実験では、全員が認知症テストの正解率が格段に上がったという。「認知症予防に効果が期待でき、今後広めていきたい」と意欲を示している。

中野さんは湯川町小松原で「はり・灸・小児はり 中宮院」を開院しており、10年以上通ってくれている高齢者が多い中、変わらず健康で認知症になる人が少ないことに着目。「鍼灸治療が認知症予防に効果があるのでは」と仮説を立て、2年ほど前から中野さんらが中心となって東洋はり医学会関西で研究を重ねてきた。

脳に直接つながるツボの中から左手の側面の1カ所、右足のくるぶし近くの1カ所のツボを刺激することで認知機能が改善されることがわかり、御坊市のサービス付き高齢者向け住宅「ケアビレッジたから」と御坊シルバーハイムの2施設の協力を得て入居者や利用者十数人にモニターになってもらって効果を測定。広く利用されている30秒間で12個の単語を暗記してもらう「長谷川式認知症機能テスト」を行った後、ツボにテスターを張り刺激を与えて再び同じテストを行った。刺激前は正解率が平均31%だったのに対し、刺激後は60%と大きく改善したことを数字で示した。

全日本鍼灸学会
「認知症に対する東洋はり医学会関西STYLEの鍼灸治療」
中野 正得

上記を読むと、認知症を督脈の問題として分析し、「宮脇式奇経治療」の左後渓(+)ー右申脈(-)を使われたそうです。

宮脇優輝先生は1969年に和田清吉先生と出会い関西医療学園専門学校に入学、山本常夫先生・福島弘道先生から経絡治療を学びます。山本常夫先生はまさに1970年8月の『医道の日本』で奇経療法について書かれています。関西では有名な経絡治療の先生でした。

山本常夫「古典研究概論<奇経療法>」『医道の日本』1970年8月号、 p13~19

山本常夫先生の奇経療法の流れとしては、井上恵理先生門下の経絡治療派の城戸勝康先生が1978年に『奇経治療』 を出版されています。城戸勝康先生も山本常夫先生も脈診や腹診を駆使して金鍼と銀鍼を使った奇経治療だったようです。城戸勝康先生は大阪盲学校の教諭でした。

城戸勝康著『奇経治療』(奇経治療研究会1978)

宮脇先生が『医道の日本』1994年08月号Vol.53 No.8(600号)に発表された「心に残る症例」は一読の価値がある凄い症例報告です。同年1994年に出版された宮脇先生の『よくわかる奇経治療』は独特の腹診と磁気テスター、MP鍼が画期的でした。

以下の 『鍼灸臨床こぼれ話』 には、 「宮脇式奇経治療」の症例が多く掲載されており、参考になります。

『鍼灸臨床こぼれ話』
宮脇和登 たにぐち書店 1996年

『鍼灸臨床こぼれ話 2』
宮脇和登 たにぐち書店 2001年

『鍼灸臨床こぼれ話 3』
宮脇和登 たにぐち書店 2007年

宮脇先生の師である福島弘道先生は1931年松本歩兵50連隊に入隊し、満州の戦地で失明します。1942年盲人経絡治療研究会を発足、1957年に上京し、1959年東京古典はり医学会(のちの東洋はり医学会)を発足します。

1960年初版の福島弘道著『経絡治療要綱』(東洋はり医学会)の1972年11月に出版された第2版を読むと、296ページに「昭和47年(1972年)10月に、今後はこの(奇経)研究に取り組むことを決議し、機関誌に発表したのである」とあります。
そして、間中式の奇経療法や、城戸勝康式の奇経療法についての記述があります。
この時期は、穴の反応、脈診など、まだ奇経診断法が確立せずに、金鍼と銀鍼を用いていたことが書かれています。
奇経灸や子午流注の表裏共軛関係を用いた治療なども 『経絡治療要綱』にすでに書かれています。

また、1986年の全日本鍼灸学会雑誌に、腰痛症の経絡治療として、奇経テスターを使って「左太衝ー右通里」、「右公孫ー左内関」の金・銀の皮内針の奇経治療を行った後で太淵・太白の経絡治療本治法を行った症例を書かれています。

「腰痛症の脉診と経絡治療」
福島 弘道『全日本鍼灸学会雑誌』36 巻 (1986) 1 号 p. 14-16

これは宮脇先生の奇経治療と非常に似ています(師弟関係だから当たり前ですが・・・)。

時系列では以下のようになります。

1970年  山本常夫「古典研究概論<奇経療法>」『医道の日本』1970年8月号、 p13~19
1972年 福島弘道『経絡治療要綱』第2版での、今後は奇経研究に取り組む宣言。
1977年  宮脇和登(優輝)先生が東洋はり医学会に入会。
1979年 城戸勝康『奇経治療』出版
1981年  宮脇和登(優輝)先生が東洋はり医学会北大阪支部を創立して支部長に就任。
1986年 福島弘道 「腰痛症の脉診と経絡治療」※奇経テスター、通里ー太衝の使用。
1994年 宮脇和登(優輝)先生の『よくわかる奇経治療』出版。

わたしが最初に教わった奇経治療の先生は、1981年に宮脇先生といっしょに東洋はり医学会北大阪支部を創った先生でした。「子午治療」や「表裏共軛関係」など、東洋はり医学会の独特の用語に戸惑ったことを覚えています。

1954年に間中喜雄先生がイオンパンピング療法をつくった時は、金と銀、銅と亜鉛などの素材でした。

1962年に佐藤三郎が、奇経テスターを開発し、磁化した金粒・銀粒療法を開発します。

「金磁気粒療法並に金銀磁気テスターの臨床」
佐藤 三郎
『日本東洋醫學會誌』14 巻 (1963) 3 号 p. 132-136

1964年に、長友次男先生がマイナスの亜鉛とプラスの銅の素材によるMP鍼を開発します(長友次男著『長友MP鍼灸講話第八十八輯』鍼灸振興会)。

1970年 経絡治療の山本常夫先生が奇経療法を研究。
1972年 福島弘道先生が奇経研究に取り組みはじめ、奇経灸と子午治療を開発。
1979年 城戸勝康先生が『奇経治療』を出版。
1994年 宮脇和登(優輝)先生がテスターと奇経腹診、MP鍼による『よくわかる奇経治療』を発表。

間中喜雄先生の発表以降、以下の創意工夫がありました。

(1)金と銀、銅と亜鉛という素材から、佐藤三郎先生による磁化した金粒と銀粒、磁気のN極とS極と言う要素を入れた磁石テスターの導入。

(2)長友次男先生によるMP鍼の開発。

(3)山本常夫先生、城戸勝康先生による経絡治療と奇経治療の統合。

(4)福島弘道先生による子午治療・表裏共軛関係の治療。奇経灸の開発。

(5)宮脇先生による奇経腹診とテスター、MP鍼、奇経灸による奇経治療

間中喜雄先生ご自身は、1971年にゲルマニウム・ダイオードによる「イオンパンピング・コード」を開発します(旭物療器)。

1978年には入江正先生がイオンパンピングコードを用いた入江式の経別・奇経療法を発表します。

1980年「経別・奇経療法 入江鍼法の追試から」
高原 孝朋『日本良導絡自律神経雑誌』25 巻 (1980) 2-3 号 p. 52-58

1970年に、「経絡治療」の流派の中に奇経治療が取り入れられて独自の発達を遂げました。理解するには歴史の解明が必要でした。海外のイオンパンピングコード中心の間中スタイルと入江式と、東洋はり医学会のスタイルはかなり違います。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする