『家伝灸物語ーどうすればよいか?こうすればよい』

深谷伊三郎(1900-1974)先生の名著
『家伝灸物語ーどうすればよいか?こうすればよい』
三景、1982年

【関東の家伝灸・打膿灸】

「昭和の名灸師」と呼ばれた深谷伊三郎先生の遺稿を長男の新間英雄さんがまとめたものです。江戸時代に徳川幕府からの御朱印をもらっていたという静岡県の「桜井戸の灸」をはじめとして、関東のさまざまな家伝灸がまとめてあります。

「桜井戸の灸」は面疔・麦粒腫に対して、合谷に100-200壮すえるという江戸時代から続く家伝灸です。わたしも何度も麦粒腫を合谷の灸だけで治療しました。左右の圧痛を調べて多壮灸すると、40壮ぐらいから目の痛みがなくなります。

東京の「弘法の灸」という打膿灸や、板橋英子先生が継がれた「四つ木の灸」という臂臑の打膿灸なども紹介されています。

「四つ木の灸」は、福島哲也先生の『灸療閑話』(2010年)という文献にも写真入りで載っています。

『家伝灸物語』には大阪の江戸時代から続く上本町の「無量寺の灸」や「無量寿の灸」もイラスト入りで載っています。

【関西の家伝灸と経絡治療・小児はり】

《関西の家伝灸》
明治以降の大阪・京都には京都府山科区の「小栗栖(おぐりす)の灸」という宝永年間(1704-1711)から続く打膿灸や大阪の「無量寺の灸」や「無量寿の灸」、「痰灸」、「四花の灸」、「大念仏寺の灸」、「六つ灸」、「ナガトヤの灸」などがありました。

「無量寺の灸」は上本町6丁目にあり、山亭誉上人が58歳のとき(1749年)に十一面観世音菩薩の夢想を受けて下男の腹痛を治癒し、弟子の理清尼僧が一子相伝の灸法として継ぎました。

「痰灸」は大阪・船場の博労町にあり、奥西正緒氏が左右のけんびきに指頭大の灸をすえ、そこに膏薬を貼ります。奥西正緒氏が亡くなって消息不明となりました。

「四花の灸」も大阪・船場にあり、胃腸病の灸としてもてはやされましたが、当主の岡本一郎兵衛氏が亡くなると消息不明となりました。

難波の大念仏寺の「大念仏寺の灸」や難波・木津の「六つ灸」も後継者がなく、なくなりました。

※以上は郡山七二「臨床六十年を顧みて(3)」『医道の日本』昭和50年5月号、32-35頁、参照

南堀江の「ナガトヤ灸」は大阪・堀江の長門谷貫之助が13代目です。長門谷貫之助先生は幕末の1863年に生まれ、1885年に大阪医学校(現・大阪大学医学部)を卒業して医師となり、1902年に日本最初の鍼灸団体である「大阪鍼灸会」の会長となりました。

1904年には多忙のため山本新悟に会長を譲ります。1914年に56歳で胃ガンで亡くなりました。

未亡人の長門谷玉江先生が「ナガトヤ灸」を行い、長門谷丈一先生は当時14歳でしたが、1927年に大阪帝国大学医学部で灸の科学的研究を行い、1932年に「灸の実験的研究」を発表しました。

そして1936年には長門屋丈一先生は「灸の実験的研究」で医学博士を33歳で取得し、「ナガトヤ灸」を受け継ぎましたが、1971年(昭和46年)に68歳で亡くなられました。

《穴村の灸・駒井一雄の『東方医学』と経絡治療》

「穴村の灸」は、滋賀県の駒井一雄先生が継ぎました。駒井先生は1927年に京都府立医科大学を卒業し、1934年に灸の研究で医学博士の学位を取得します。

「穴村の灸」は琵琶湖の穴村港から駒井家まで2キロメートルあり、そこを駒井家の家伝の穴村の灸を受けるために馬車がいきかい、屋台が出て、門前市をなす状態だったそうです。1日の患者数の最高は2,300人だったそうです。

琵琶湖の穴村港は灸のためだけにあり、灸の廃止とともに港がなくなりました。駒井一雄先生の穴村の灸は墨灸(すみきゅう)と漆灸(うるしきゅう)です。

駒井一雄先生は1934年に『実験鍼灸医学雑誌』を創刊します。

1936年1月、『実験鍼灸医学雑誌』は『東邦医学』と改題して発行されました。
1938年9月、経絡治療の創始者、竹山晋一郎が編集長となります。

1939年3月、柳谷素霊、岡部素道、井上恵理、岡田明祐、竹山晋一郎らの「弥生会」が成立します。

1940年7月、東邦医学漢方鍼灸夏季講習会が京都府立医科大学で開かれ、代田文誌・長門谷丈一・駒井一雄・柳谷素霊のほかに井上恵理、岡部素道、岡田明祐が実技指導をします。
ここで岡部素道「臨床時における脈診と経絡の関係に就いて」が発表され、「経絡治療」の歴史が始まります。駒井一雄先生の雑誌『東邦医学』は経絡治療が生まれるお膳立てとなりました。

《大阪の家伝の小児はりと経絡治療》

江戸時代から続く小児鍼の名家に生まれた医師の藤井秀二先生は1930年2月に「小児鍼の研究」で医学博士を取得しました。

1930年6月17日にラジオで小児鍼を宣伝すると、もともと江戸時代から小児鍼が盛んだった大阪で小児鍼ブームが起こりました。

1940年7月に東邦医学漢方鍼灸夏季講習会が京都府立医科大学で開かれた際には、藤井秀二先生が小児鍼について講演しました。

井上恵理先生は藤井秀二先生の治療院を訪れます。そこで藤井秀二先生の母親の藤井ヨネ先生の毫鍼による接触鍼を見学します。藤井ヨネ先生の接触鍼は「右手で鍼を刺した後に左手で腹をさすり、1回ごとに左手で腹部を擦る」というものでした。そこから「井上式散鍼」ができます。これは、現在では、「井上恵理系の経絡治療」に受け継がれています。

「月見はり」の鍼中野の中野家は刺絡の三稜鍼を変形したものです。近鉄南大阪線の針中野駅は、中野の鍼に由来しています。

「九条の市場のはり」の中川易之助氏が天王寺の公衆浴場の湯上りの子どもに衣服の上から行っていました。子息は内科医となり、絶えました。

「うさぎ鍼」の岡島瑞顕の鍼はザン鍼の変形したものです。やはり実子がなく絶えました。

藤井家の近所の市川隆介氏の「市川のはり」という小児はりも後継者が事故死して絶えました。

【昭和の名灸師・深谷伊三郎先生】

「昭和の名灸師」と呼ばれた深谷伊三郎先生は東京に生まれました。

1923年~1932年の23歳から32歳ぐらいまでは、深谷瑞輔というペンネームで雑誌『精神界』に書き、催眠術や心理学についての本をたくさん書かれていました。
これらの文献は、国立国会図書館近代デジタルライブラリーで読むことができます。

1923年(大正12年)深谷瑞輔『健脳鍛錬法・哲理』
1924年(大正13年)深谷瑞輔『健脳鍛錬法』
1936年(昭和11年)深谷瑞輔『優等生をつくる法』
1937年(昭和12年)深谷瑞輔『知力鍛錬法』

しかし、深谷先生は5年間、結核にかかり、自分が今まで書いてきた催眠術や心理学がまったく役に立たず、灸で治ったことから鍼灸師となります。

1935年、35歳で東京の雑司ケ谷で開業しますが、ちょうど沢田健先生が雑司ケ谷で開業していました。患者さんの体を通じて、沢田流のツボを学んだそうです。

1937年、37歳の頃に東京江東区、深川不動尊で「深川不動の灸」 をはじめます。

1945年、東京都文京区浄心寺灸堂に転居します。戦後から深谷伊三郎先生の「昭和の名灸師」としての出版活動がはじまります。

1952年、竹筒で圧して灸熱を緩和する深谷灸法をはじめます。

1955年、55歳で『鍼灸治療雑誌』を創刊します。
神経症に対する督脈の灸、関節リウマチへの打ち貫き灸、喘息への喘息兪への灸、ひょうその爪の灸、眼科疾患への臂臑の灸、痔疾患への陶道の灸など多くの創案を行いました。

1974年、深谷伊三郎先生は74歳で逝去されますが、『黄帝明堂灸経の研究』が出版されました。

1977年に 『お灸療法の実際―熱くないすえ方と病気別特効穴』、1980年に『お灸で病気を治した話(1)~(12)』、1982年に『家伝灸物語』が出版されます。

1980年、深谷先生の弟子の入江靖二先生が『深谷灸法』を書き、1990年に『灸療夜話』を出版します。

2001年、福島哲也先生が 「深谷灸法による病気別症候別灸治療」を、2010年に「灸療閑話 迷灸師のベッドサイドストーリー 第1巻」を出版されました。

深谷伊三郎先生が72歳で翻訳された『名家灸選釈義』は1805年に越後守、和気惟亨が著した江戸時代の灸の古典です。江戸医学の実証主義で、全国各地の名灸・名穴を収集し、実際に試して効いたか効いていないかを記入しています。

深谷伊三郎先生は「ツボは効くものではなく、効かすものである」と言って、ツボを多用しました。しかし、同時に「穴は移動する」、「反応の無い穴は効き目が少ない」、「成書の穴はは方向を示すのみ」、「病気というものは狂いがあるということだから、くるった体はくるったように穴を取る必要がある」とおっしゃっています。

口伝として「指を細く使え」もあります。例えば、「胃の六つ灸」にしても、食道ちかくの場合は心兪あたりまで取り、下は胃兪あたりまで取り、左右の兪穴も歪んで取ります。押して、反応を細かくみる灸法だったようです。

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【参考文献】
「白内障に對する灸治に就いて」
深谷 伊三郎『日本鍼灸治療学会総会論文集』
Vol. 1 (1952) No. 1 P 52-54
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjsam1952/…/1_1_52/_pdf
「壓戟器による灸熱緩和の研究」 深谷 伊三郎
『日本鍼灸治療学会総会論文集』 Vol. 2 (1953) No. 1 P 109-112
https://www.jstage.jst.go.jp/artic…/jjsam1952/…/2_1_109/_pdf
「心臟神経症の灸治に就いて」深谷 伊三郎
『日本鍼灸治療学会総会論文集』
Vol. 3 (1954) No. 1 P 131-133
https://www.jstage.jst.go.jp/artic…/jjsam1952/…/3_1_131/_pdf
「無乳症及び乳汁不足の灸治験」
深谷 伊三郎『日本鍼灸治療学会総会論文集』
Vol. 4 (1955) No. 1 P 169-172
https://www.jstage.jst.go.jp/artic…/jjsam1952/…/4_1_169/_pdf
「蓄膿症の灸治に就て」深谷 伊三郎
『日本鍼灸治療学会誌』Vol. 5 (1955-1956) No. 2 P 17-19
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjsam1955/…/5_2_17/_pdf
「関節リウマチの灸治験」
深谷 伊三郎『日本鍼灸治療学会誌』
Vol. 6 (1956-1957) No. 1 P 54-57
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjsam1955/…/6_1_54/_pdf
「喘息の灸治験」深谷 伊三郎
『日本鍼灸治療学会誌』Vol. 7 (1957-1958) No. 1 P 10-11
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjsam1955/…/7_1_10/_pdf
「心臟神経症の灸治験 (第2報)」深谷 伊三郎
日本鍼灸治療学会誌Vol. 8 (1958-1959) No. 2 P 24-26
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjsam1955/…/8_2_24/_pdf
「心臟神経症の灸治験 (第3報)」深谷 伊三郎
『日本鍼灸治療学会誌』Vol. 9 (1959-1960) No. 2 P 31-33
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjsam1955/…/9_2_31/_pdf
「神経症に対する灸治療の効果」
深谷 伊三郎日本鍼灸治療学会誌
Vol. 10 (1960-1961) No. 2 P 39-43
https://www.jstage.jst.go.jp/artic…/jjsam1955/…/10_2_39/_pdf
「関節リウマチの灸治験 (第2報)貫抜き取穴法について」
深谷 伊三郎『日本鍼灸治療学会誌』
Vol. 11 (1961-1962) No. 1 P 36-37,41
https://www.jstage.jst.go.jp/artic…/jjsam1955/…/11_1_36/_pdf
「ひょうその灸治験例 私の秘伝灸の一つ」
深谷 伊三郎『自律神経雑誌』
Vol. 9 (1962) No. 3 P 15-16
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjsam1948/…/9_3_15/_pdf
「神経症の灸治験」
深谷 伊三郎『日本鍼灸治療学会誌』
Vol. 12 (1962-1963) No. 2 P 4-6
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjsam1955/…/12_2_4/_pdf
「神経症の灸治験 第2報臓器神経症について」
深谷 伊三郎『日本鍼灸治療学会誌』
Vol. 13 (1963-1964) No. 2 P 26-29
https://www.jstage.jst.go.jp/artic…/jjsam1955/…/13_2_26/_pdf
「神経症の灸治験 第3報心因による性機能失調症について」
深谷 伊三郎『日本鍼灸治療学会誌』
Vol. 14 (1964-1965) No. 2 P 9-12
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjsam1955/…/14_2_9/_pdf
「鍼灸療法と精神作用」深谷 伊三郎
『自律神経雑誌』Vol. 11 (1964) No. 3 P 4-6
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjsam1948/…/11_3_4/_pdf
「神経症の灸治験 (第4報)心因性リウマチについて」
深谷 伊三郎『日本鍼灸治療学会誌』
Vol. 15 (1966) No. 1 P 306-313
https://www.jstage.jst.go.jp/arti…/jjsam1955/…/15_1_306/_pdf
「神経症の灸治験 (第5報)高血圧について」
深谷 伊三郎『日本鍼灸治療学会誌』
Vol. 16 (1967) No. 1 P 14-16
https://www.jstage.jst.go.jp/artic…/jjsam1955/…/16_1_14/_pdf
「神経症に対する灸療法の臨床的研究」深谷 伊三郎
日本鍼灸治療学会誌Vol. 17 (1968) No. 2 P 1-13
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjsam1955/…/17_2_1/_pdf
「灸効の個体差について」深谷 伊三郎
日本鍼灸治療学会誌Vol. 18 (1969) No. 2 P 25-27
https://www.jstage.jst.go.jp/artic…/jjsam1955/…/18_2_25/_pdf
「胃の病気について―灸治療の立場から―」深谷 伊三郎
日本鍼灸治療学会誌Vol. 19 (1970) No. 3 P 12-13
https://www.jstage.jst.go.jp/artic…/jjsam1955/…/19_3_12/_pdf
「臂臑穴の眼科疾患に対する効用ー灸法の視力回復治験例」
深谷 伊三郎『日本鍼灸治療学会誌』
Vol. 21 (1972) No. 1 P 22-23
https://www.jstage.jst.go.jp/artic…/jjsam1955/…/21_1_22/_pdf
「痔疾患の灸治験例ー陶道穴の鎮痛作用について」
深谷 伊三郎『日本鍼灸治療学会誌』
Vol. 22 (1973) No. 2 P 42-44
https://www.jstage.jst.go.jp/artic…/jjsam1955/…/22_2_42/_pdf
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001600726-00

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