インドネシア伝統医療:ドゥクンとジャムウとバリニーズ・マッサージ

「古代伝統医学アーユルヴェーダがもたらした薬」
2015年9月15日『毎日新聞』

以下、引用。

インドネシアには「ジャムウ」と呼ばれる、その起源が1000年以上も昔にさかのぼるインドから伝わった民間薬がある。インドネシアで発展してきたジャムウ薬文化は、いまでもかの国で広く庶民に受け入れられている。

ジャムウの語源はインドのサンスクリット語「japa」に由来し、魔法や呪文の意味を持つ。

インドネシアにはジャムウという民間薬があり、魔法や呪文の意味があります。

ジャムウやバリ式マッサージ、ジャワ式マッサージを行ってきたのがドゥクンと言われる魔術師です。

以下、引用。

1000年以上もさかのぼるジャムウの歴史はその昔(ぼくは紀元前ではないかと考えているが、正確な記録がないのではっきりしない)、インドからインドネシアへ渡った人たちがインドのさまざまな文化をインドネシアの人々に広めた歴史と重なる。仏教やヒンズー教を布教していた僧侶の中に医療行為を施すドゥクン(伝統医)もいたといわれる。彼らが手がけていた医学こそが、インド古代伝統医学のアーユルヴェーダだ。当時、文化の中心地だったジャワ島を舞台に、治療法の応用やインドネシア固有の植物を使うなど改良を重ね、自分たちの生活に合うように出来上がったのがジャムウ。つまりジャムウの原点はアーユルヴェーダにある。

その痕跡を見ることができるのが、ジャワ島中部に位置する世界遺産、ボロブドゥール遺跡だ。西暦780〜830年に建てられた世界最大級の仏教遺跡である。ある壁面には病人と思われる人物に対しドゥクンが脈診を行い、マッサージを施している姿や、女性が生薬をすり潰してジャムウを調合しているとみられる場面がある。道具が現在使われているものと同じことからも、8世紀後半にジャムウが存在していたことがうかがえる。

5世紀にヒンドゥー教徒がアーユルヴェーダ医学を伝え、その後、8世紀のシャイレーンドラ朝やシューリヴィジャヤ朝の頃に密教の考えでつくられたボロブドゥール仏教遺跡ができて、中国の仏教僧・義浄が訪れています。この時期からマジャパヒト王国のハヤムウルク王時代に中国伝統医学が伝わったとされます。インドネシア伝統医療はアーユルヴェーダ医学と中国伝統医学とイスラム伝統医学がミックスされたものです。

「インドネシア・マッサージの歴史」という論文には以下のように記述されています。

以下、引用。

ヒンドゥー教は紀元400年ごろにヒンドゥー僧侶とともに香油を使ったマッサージと植物薬を使うアーユルヴェーダ医学をインドネシアにもたらした。

後に仏教僧たちが中国伝統医学の知識をもたらした。

中央ジャワのマジャパヒト王国(1293-1478年のヒンズー国家)のハヤムウルク王は美しい中国人女性と結婚した。この中国人王妃の影響によって、鍼の癒しの技術が紹介された。

マッサージのテクニックはスパイス貿易をするアラビア商人や中国、インドからももたらされた。

大きな島にはそれぞれのマッサージがあるが、もっとも進んだテクニックはマジャパヒト王国の影響を直接受けたジャワ島とバリ島にある。

マジャパヒト王国時代に多くの美容術が女王と王女のために開発された。

マジャパヒト王国は1450年にイスラムの侵入によって滅びた。それにより多くのヒンドゥー教徒がバリ島に逃れて癒しの知識をもたらした。これがジャワ式マッサージとバリ式マッサージに多くの共通点がある理由である。

ドゥクンは伝統医、薬草マッサージ師である以前にスピリチュアル・ヒーラーそして魔術師です。ドゥクンには白いドゥクンと黒いドゥクンがいます。白いドゥクンは白魔術師、黒いドゥクンは黒魔術師といわれますが、例えば、好きになった男性や女性とうまくいくための恋の魔法をかけるのは黒いドゥクンですし、呪殺を担当するのも黒いドゥクンです。インドネシアの白黒の区分は外国人には理解しがたいです。

スハルト大統領が1,000人のドゥクンを厚く信仰し、1998年のインドネシア政変の際に大統領直属ドゥクンが最初に数百人単位で大量に殺害されたのは有名な話です。政治にも深く介入し、「ドゥクンがわからないとインドネシア政治はわからない」とまで言われています。
Agus Trihartono「ドゥクンとインドネシア政治」yoto Review of Southeast Asia. Issue 12 September 2012

面白いのは、黒いドゥクンの呪殺のパワーはジャワ島の外には届かないそうです。日本人駐在員はドゥクンに呪われたらすぐに帰国するのが良いそうです。

実際にバリ島でドゥクンの参与観察をした文化人類学者、重森誠仁さんの素晴らしい論文があります。

重森誠仁 「現実はいかにして可能か─インドネシア、レンボガン島の事例より」2001

この論文は素晴らし過ぎます!
重森さんは1955年の生まれのワヤン・タンカスさんというドゥクンのもとで修行します。ワヤン・タンカスさんはドゥクンであると同時にインドネシア伝統武術シラットの達人です。ドゥクンは必ずシラット武術を修得する必要があります。

(治療の最後には)タンカスによるサクティの照射と患者の患部に直接触れて行うマッサージである。そして最後にタンカスは祭壇から自家製オイルを取り出し、患者の患部に塗りつける。これで治療は終了である。

ドゥクンはオイルの塗油とマッサージはしますが、それ以外は手かざしなどのスピリチュアル・ヒーリングです。ドゥクンはシャクティと呼ばれる「気」そっくりのエネルギーの制御を学びます。ドゥクンがやる「本当のバリニーズ・マッサージ」は外国人観光客には厳し過ぎます。

外国人観光客向けに行うのは宗教色を抜いたオイル・マッサージです。私はドゥクンの方が好みです。インドネシア伝統武術シラットの達人で、スピリチュアル・エネルギーの制御もできて、マッサージもできて、ハーブも使えて恋の魔法まで使えるなんて格好良すぎます。

東南アジアから太平洋諸島のマッサージ文化を観察すると共通点と相違点があります。

まず、マッサージのプラクティショナーはスピリチュアルヒーラーを兼ねて霊的・心身的修行を行います。東洋医学の気によく似たエネルギーを感じるため、才能と訓練が必要です。伝統治療者としての数年から数十年に渡る心の修行が重視され、特に太平洋地域では母から娘に受け継がれる血統が重視されます。

しかし、「スピリチュアルエネルギーを感じる才能がある程度、血統で受け継がれる」「霊的修行が必要である」などの伝統文化の深い部分は現代のSPA文化のマッサージには不必要なので切り捨てられたようです。

東南アジアから太平洋諸島の「マッサージ」は先進国の消費者向けのヘルス・ツーリズムの中で宗教色を薄められ、その代わりにタイ王室やジャワ王室、ハワイ王室などで権威付けられました。そして、東南アジアSPA文化の中で先進国の消費者のリラクゼーション向けに再編集されたものが商品としてパッケージ化されました。本来の伝統マッサージはよりスピリチュアルで宗教色が強く、伝統文化の枠のなかでこそ意味があるものです。

【付録:インドネシアの鍼の歴史とレギュレーション】

Legal Status of Traditional Medicine and Complementary/Alternative Medicine: A Worldwide Review

以下、引用。

現代西洋医学の医師で鍼のトレーニングを受けた者だけが公共病院で鍼をすることができる。

96.2%はインドネシア伝統医療の方法を用いている。残りは鍼のように他国の伝統に根ざした伝統医療を用いている。

28万1千492人がインドネシア伝統医学の施術者である。12万2千944人が伝統産婆で、5万1千383人が一般的なインドネシア伝統医療の施術者である。2万5千77人がマッサージ師、1万8千456人が割礼師、1万8千237人がトゥカン・ジャムウ・ゲンドン(ジャムゥの女性行商人)である。1万4千人がハーバリストで1万2千496人がスピリチュアリストである。1万118人がスーパーナチュラリストで8781人が整骨師である。

インドネシアでは18世紀頃から中国系移民の間で鍼がされていたといわれています。

中国社会によってのインドネシアでの最初の鍼の活動は1962年に中華人民共和国からスカルノ大統領を治療するために送られた鍼灸師チームの活動です。

(中国からの鍼灸師チームの影響を受けて)1963年にRSCM General Hospital はインドネシアで最初にヘルスケアで鍼を行う病院となりました。

1975年2月7日にインドネシア鍼師連盟が発足しました。

2013年にはインドネシアでインドネシア保健規制省が中医学の規定をつくり、アモイ中医大学、広州中医大学、北京中医薬大学を卒業した中医師と韓医師はインドネシアで鍼灸臨床ができます。

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