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鍼麻酔・CIA・中国学

 

 

2016年9月23日『ニューヨークタイムズ』
「中国伝統医学の専門家だが、ニューエイジ・ヒーラーではない」
An Expert on Chinese Medicine, but No New Age Healer

 

中国学の伝統のあるドイツ語圏の東洋医学研究を調べていると、中国伝統医学専門家としてパウル・ウンシュルド教授の名前が必ず出てきます。1971年にドイツ・ミュンヘンにいたウンシュルド教授は鍼麻酔に興味をもったCIAオフィサーの訪問を受けて中国伝統医学の世界に入りました。

以下、引用。

 

1971年のある日、ドイツ・ミュンヘンのパウル・U・ウンシュルドのアパートのベルが鳴った。

ウンシュルドがドアを開けると、口数の少ない若い男が「はじめまして。私はジェームズ・クイン、CIAオフィサーです。鍼の軍事利用について教えてくれませんか?」と言った。

それで、このドイツの学者の西側における古代中国医学のトップの権威にいたる探求が始まった。

彼が言うには、西側世界における中国医学の人気は冷戦期、1971年にさかのぼる。ニューヨークタイムスのコラムニスト、ジェームス・レストンが鍼灸で治療されたことをレポートしたことがきっかけだ。

それはキッシンジャーとニクソンの訪中の頃であり、中国が何十年かぶりに世界への扉を開いた。中国医学は中国の魅力の一つとなった。それからウンシュルドはCIAエージェントのクインの訪問を受け、西側世界への扉を開き、東洋のエキゾチックな本と翻訳が床を埋めることになった。

彼の純粋で学術的なアプローチは彼を中国において難しい立場においている。彼の知識と翻訳が尊敬されるようになったが、彼は中国政府がしているように中国医学をソフトパワーとして利用するのに全く協力しないからだ。他の批評家から聞こえてくるのは、ウンシュルドが「中国の古典の翻訳は完璧な詐欺行為だ」と言っていることが漏れ伝えてくることだ。

 

ドイツには中国学の伝統があります。

例えば、ドイツのフランツ・ヒュボッター博士は1929年に『20世紀初頭の中国医学とその歴史的発展過程』を書きました。

1881年にワイマール共和国ドイツに生まれ、1906年に医師となり、1912年にフランスでエドゥアール・シャヴァンヌから中国学を学び、ドイツ語・ヘブライ語・ポーランド語・アラビア語・トルコ語・ペルシャ語・シリア語・チベット語を習得しました。

1914年にベルリン大学の医史学講座を担当し、1921年に来日し、熊本県で旧制高校の五高の講師を1925年まで務めます。五高の契約が終了した1925年以降は、中国・青島のプロテスタント系病院で医師として活動します。

1951年に中国共産党により逮捕され死刑判決を受けますが1953年に赦免され、72歳でドイツに強制送還されます。そしてドイツのベルリン自由大学の名誉教授となり、学生を教えながらベルリンで開業して鍼の臨床を行います。

1961年には80歳で来日して日本鍼灸治療学会で鍼灸について講演しています。

 

1961年「ヒユボツター博士の講演」
フランツ・ヒユーボツタ
『日本鍼灸治療学会誌』1961 年 10 巻 2 号 p. 1-5

 

 

 

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