鍼の薬物中毒プログラム、NADAプロトコルとブラックパンサー

2018年8月3日『The Atlantic』
「いかにして人種差別主義は鍼の薬物依存治療の勃興を起こしたのか?」
How Racism Gave Rise to Acupuncture for Addiction Treatment

以下、引用。

ブラックパンサー党派と活動家たちは中医学の薬物依存治療を1970年代ニューヨークに持ってきた。

1973年、ニューヨークタイムズは香港の医師が耳に電気鍼をすることで70人の薬物中毒患者の禁断症状を緩和したことを報告した。

1973年に『アメリカン・ジャーナル・オブ・アキュパンクチャー』に香港の脳神経外科医で鍼麻酔に影響された温祥来医師と医学生の張が耳介への鍼の電気刺激によるヘロイン中毒の治療を発表しました。

1973年「ドラッグ依存症の電気鍼刺激による治療」
Treatment of drug addiction by acupuncture and electrical stimulation.
Wen H. L., Cheung A. Y. C.
American Journal of Acupuncture 1973;1(2):71–75. 77

以下、引用。

モントリオールのグループの間では、のちにラッパーのトゥパックに成長する少年の義父であるブラックパンサーとつながりのある活動家ムトウル・シャクールがいた。ムトウル・シャクールとプラックパンサー党は毛沢東中国の「はだしの医者」として知られるローテク医療に広範な興味をもっていた。

アメリカを代表する鍼の薬物中毒プログラム、NADAプロトコルを作ったのはサウスブロンクス・リンカーン病院を運営したブラックパンサー党です。リンカーン病院の医師、マイケル・スミスがドラッグ依存症へのメサドンの代わりに中国式の耳鍼を用いました。

最初は中国式耳穴の肺のツボのみを使っていましたが、精神安定作用のある中国式耳穴の神門が加えられ、試行錯誤して現在のような肺、神門、交感、肝、腎の5穴に刺鍼するNADAプロトコルとなりました。

ニューヨークの開業医、ロバート・ギラーが体重減少に耳鍼を使い、耳の胃、肺、飢点を用います。ギラーの論文の耳鍼による痩身の論文は1975年11月号の『医道の日本』に邦訳が掲載されています。

「耳針法と体重減少対照研究」
ロパート・M・ギラー 『医道の日本』 1975年11月 p3~5

1976年にアメリカ、ニューヨーク大学のフランク・ウォーレンは『鍼ダイエット:体重減少と耳鍼についての真実』という文献を出版しています。

『鍼ダイエット:体重減少と耳鍼についての真実』
The Acupuncture Diet: The Truth About Weight Loss and Ear Acupuncture.
Frank Z Warren
St. Martin’s Press (Sept. 1976)

このフランク・ウォーレンに学んだのが日本の鍼灸師、窪田丈徹先生です。1977年の著書、『耳のツボでやせる』(KKベストセラーズ)はベストセラーとなりました。

1973年に鍼麻酔の影響を受けた香港の温祥来先生が薬物中毒の耳の通電治療を行います。

1974年、ニューヨーク州サウスブロンクスで耳鍼薬物療法、NADAプロトコルが肺から始まります。

1975年、ニューヨークのロバート・ギラー医師が体重減少に耳穴の、肺、胃、飢点を使います。

1976年、ニューヨーク大学のフランク・ウォーレンが医師が『鍼ダイエット』を出版します。

1977年、日本の 窪田丈徹先生が 『耳のツボでやせる』を出版します。

1973年から1977年のわずか4年間で耳鍼は世界中にひろがりました。

耳鍼による薬物依存の治療法は香港からアメリカ、ニューヨークのサウスブロンクスで1974年にブラックパンサー党によって発展し、NADAプロトコルとして2018年のアメリカでオピオイド危機に使われていて、44年の蓄積があります。

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