金元四大家、朱丹渓と鬱証

『理学者の革新―「邪」から「鬱」への視野転換』
黄崇修
『死生学・応用倫理研究』
19, 2014.3, pp. 56-84
(全文無料オープンアクセス)

金元四大家の儒医、朱丹渓の研究者である中国哲学者、黄崇修博士の論文です。

朱丹渓以前の医家は鬼神の祟り(邪崇)を言っていましたが、朱丹渓は医師としての視点から東洋医学史上初めて邪崇(鬼神)と鬱証(うつしょう)を明確に区別した事が論文のテーマです。

非常に珍しい、朱丹渓が十三鬼穴の少商にお灸をして「狐憑き」を治療する論述や、江戸時代の名医、片倉元周が十三鬼穴で狐憑きを治す論述がこの論文には掲載されています。

片倉元周著『青嚢瑣探』

朱丹渓の『格致余論』「虚病痰病有似邪崇論」は鬼神の憑依を示す患者を虚証、痰証、熱証として分析しています。

『格致余論』「虚病痰病有似邪崇論」より引用。

気血は身体の神気のもとである。精神が既に衰えれば鬼邪が入ることもあり得る。もし気血がおと、痰が中焦にやどり、昇降を妨害して気血が運用できないなら、感覚器がおかしくなり、視覚や聴覚や言動がみなおかしくなる。

17か18の若者が夏に過酷な労働と渇きから梅ジュースを飲み、訳のわからないことを言い出して幻覚を見出した。霊が憑いたようだ。脈は両手とも虚で弦、沈脈は数脈である。虚脈と弦脈は梅ジュースでショックを受けて、中脘に痰が鬱している。虚を補い、熱を清し、痰と滞りを導き去れば病はすなわち安んずる。

朱丹渓先生が得意だったのは陰虚火旺、相火妄動、そして鬱証、特に痰鬱、火鬱の治療法です。

金元四大家の張従正先生が痰迷心竅(たんめいしんきょう)、痰火擾心(たんかじょうしん)を唱えてから、精神病と痰証の関係は理論的に発展しました。張従正の説を発展させたのが朱丹渓先生です。

朱丹渓先生の理論は六鬱です。気鬱、血鬱、痰鬱、火鬱(熱欝)、食鬱、湿鬱の六鬱があります。

以下、『丹渓心法』六鬱より引用。

およそ鬱はみな中焦にある。

鬱は集まって発散できないものをいう。昇るものが昇らなかったり、降りるものが降りなかったり、変化すべきものが変化しないと伝化が失常して六鬱となる。

気鬱は胸脇痛があり、沈脈・渋脈である。

湿鬱は全身に痛みが走り、関節が痛み、寒邪にあうと発症する脈は沈脈細脈である。

痰鬱は動ずればすなわち喘し、寸口脈は沈脈滑脈である。

熱鬱は煩悶し、小便が赤く、脈は沈脈数脈である。

血鬱は四肢が無力でよく食べるが便は紅色となり、沈脈である。

食鬱はゲップして満腹となり、食べることができない。

朱丹渓先生の時代は肝鬱気滞は存在しません。気鬱も弦脈ではありません。そして「肝は疏泄(そせつ)をつかさどる」という理論を最初に提唱したのは、まさにモンゴル帝国=元朝の朱丹渓先生なのです。

朱丹渓『格致余論』陽有餘陰不足論
「主閉藏者、腎也。司疏泄者肝也。」

「肝は疏泄をつかさどる」という朱丹渓先生の新理論は明清時代にゆっくりと普及していきますが、モンゴル時代には六鬱の気鬱はありますが、肝鬱気滞は存在しないのです。

朱丹渓先生の六鬱理論は、江戸時代の日本で李朱医学として受け入れられます。

さらに江戸時代、幕末に漢方と蘭方の両方に通じた医師、小森桃塢が西洋医学の「メランコリー(黒胆汁質)」を訳す際に朱丹渓の「鬱」を訳語にあてて、現代日本語の「うつ病」が誕生しました。

朱丹渓先生の中医古典『格致余論』『丹渓心法』を調査しているうちに、金元時代の医学革命の理解が少しずつ進みました。

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