中医弁証論治体系の形成と発展

2006年「中医弁証論治体系の形成と発展」
中医辨证论治体系的形成和发展
薛飞飞 陈家旭
《北京中医药大学学报》 2006年10期

1955年に任応秋先生が『中医雑誌』に論文「中医的弁証論治的体系」を発表し、弁証論治を提唱します。

任应秋.伟大的祖国医学的成就.中医杂志,1955,(2):1.

1957年に秦伯未先生が「弁証論治概説」で弁証論治を中国伝統医学の本質として論じます。

秦伯未.中医“辨证论治”概说.江苏中医,1957,(1):2.

実質的には「弁証論治」という診断システムは1950年代に共産党支配下の中国で生まれました。

歴史的に後漢の『傷寒雑病論』には「平脈弁証」という章があり、六経弁証の原型はあります。元代の滑寿著1513年『読素問鈔』に「論治」という言葉は初出しています。明代の周之干著、『慎斎遺書』に「弁証施治」という言葉は初出しています。清代、章虚谷著、1825年『医門棒喝』で「弁証論治」という言葉が初めて文脈の中で使われました。

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