経絡弁証の歴史

「経絡弁証の源流と発展」
经络辨证的源流与发展发微
张旭东 李瑞 北京中医药大学针灸推拿学院
《上海中医药杂志》2017年 第7期

1973年に馬王堆漢墓帛書が出土し、陰陽十一脈灸経や足臂十一脈灸経に黄帝内経よりも古い経脈が書かれていました。

足钜阳脉(足太陽脈)
足少阳脉(足少陽脈)
足阳明脉(足陽明脈)
肩脉(現代の手太陽脈)
耳脉(現代の手少陽脈)
齿脉(歯脈=現代の手陽明脈)
太阴脉(足太陰脈で胃につながる)
厥阴脉(足厥陰脈)
少阴脉(足少陰脈)
臂钜阴脉(手太陰脈)
臂少阴脉(手少陰脈)

上記には手厥陰心包経に相当する経脈は含まれずに十一脈となっています。ほとんどの是動病・所生病にあたる部分が『霊枢』に採用されています。
(参考:赤堀昭「『陰陽十一脈灸經』 の研究」『東方學報』53巻299-339 1981

※『陰陽十一脈灸經』 の研究』 を書かれた赤堀昭先生は、1936年に『宋以前医籍考』を書かれた岡西為人先生の薫陶を受けられました。岡西為人先生の遺稿である『本草概説』(創元社1977年)は、赤堀昭先生が完成されたそうです。

『霊枢・経脈篇』で経脈の是動病、所生病と絡脈病が提唱されます。

灵枢・经脉

東漢代、張仲景著『傷寒雑病論』の六経弁証は事実上、経絡弁証です。

魏晋南北朝時代の皇甫謐著『鍼灸甲乙経』で経穴の交会穴の記述があり、王叔和著『脈経』で奇経八脈の記述がありました。

『鍼灸甲乙経』

脉经 平奇经八脉病第四

宋代から金元時代では、張元素が『珍珠嚢』や『医学啓源』 で薬物帰経理論と経絡病を整理します。

張元素
「医学啓源」

「珍珠嚢」

金元四大家の朱丹渓も十二経脈病証を整理しています。

朱丹溪著『丹渓心法』十二経見証

明代の楊継洲著『鍼灸大成』で鍼灸史上、3回目の理論的集大成があったと論文に記述があります。また、明代には李時珍著、『奇経八脈考』で奇経八脈病証が整理されました。

奇经八脉考

清代の葉天士の『臨床指南医案』では絡脈に関する理論が多く提唱されました。また、温病の理論も本質的に呉鞠通の『温病条弁』の三焦弁証も含めて経絡弁証なのです。

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