ロスト・ジェネレーション『90后』

2017年11月3日「失われた『90后』の中医学:我々の未来はどこに?」
失落的90后中医:我们的未来在哪里?

「90后」とは1990年以降に生まれた中国人世代です。世代こそ違っても90后の若い中医師、石琦さんには共感します。

以下、引用。

あなたは病人に(発ガン性のある)アリストロキア酸の入った中成薬を処方しましたか?

我々がこの質問をしたとき、目の前の90后の中医師、石琦を怒らせたようだ。

中成薬の止嗽化痰丸、潤肺化痰顆粒、復方蛇胆川貝散、胃薬の胃福顆粒など全てアリストロキア酸が含まれている。

中医学が批判されるのは、これが初めてではない。

2008年にはオンラインメディアの家庭医学が、有名な小児科中医薬の六神丸をのんだ赤ちゃんが死亡したことを報道した。

2015年にはオーストリアの中国系児童が拍打療法の治療で死亡した。この治療家は医師資格を持たないが、中医に議論が集中した。

2016年には女優がガンとなり、化学療法を受けずに吸い玉で瀉血し、手指の鍼を受け、生命を失ってしまい、インターネット上では完全に中医学に責任があるとされた。

このような世論と金銭重視の風潮の真っ只中で、毎日、患者と対しているのが前線の中医師である。

小さな中医薬の薬片が巨大な富を生み出している。

全国には5万の中医院、100万床のベッドと毎年9億人の中医学に通う人々がいて、全国には45万人の中医師がいる。われわれの前に座っている石琦は、まさに45万人いる中医師の1人なのだ。

「中医学は科学だと思いますか?」。大学の「中医基礎理論」を学んだ際の先生の第一声はこれだった。

1人の頚椎症の病人を先生が刺絡抜罐して放血して治療し、病人は痛みを改善し、先生は薬をあたえて患者は家にかえった。これが石琦が最初に中医学が病気を治していると信じた最初の出来事だった。

石琦は病院の先生を崇拝しており、他の人に自分が全国的に有名な老中医の弟子であることを自慢するのが好きなのだ。

しかし、幸せは長くは続かない。

石琦は自分の脈診にいつも自信がなく、薬局の同僚が内科の医師は病人の手をただ触っているだけであり、病人の脈が何であれ、薬は全部、本を参考にして「止咳一号」「化痰一号」と出していると聞いた。

石琦はその時、自分の脈診の技術向上のための努力がすべてムダだったと感じた。

また、この七年間に起こった現象として、現在の漢方薬は農薬や化学肥料の影響を受けて効果は以前ほどではなくなっており、同僚たちは単純に量を大量に使うことで対処している。

(鍼灸科の中医師である)石琦は、自分の収入についても心配している。

生活の質は自分の同級生で商売を始めた者より劣っているだけでなく、他の病院で働いている同級生よりも劣っており、車や家を買ったり、ガールフレンドと結婚することもままならない。

うわさでは、病院の収益は低下しており、(儲かっている)腫瘍科を除いて針灸科など全ての科の給料は減らされる可能性があるという。

仲間の若い医師には病院を離れる人もいる。

中医師は同級生の中で最低の賃金というわけではなく、中医大学で教師をしている同級生は毎月3,000元しか給料がない。

一方、漢方薬市場は1兆円規模を突破しているが、その利益が正式な病院に少しでも入っているか、中医学研究に投資されているかは誰も知らない。中医薬』市場が繁栄する一方で、中医学の名声は落ち続けている。

中医学と漢方は中国最大の偽科学だと言うひともいるが、そうではないのか。中医師は報われることも尊敬されることもなく、疑いなく中医学は千年の歴史をもつ古ぼけた学問であり、現代科学の体系のもとでは幼稚で未熟で比較にならない。

断絶や貧困や混乱のもとで経験伝承した古い学問は現代化して発展する時代をむかえたが、現代化のチャンスは失われてしまった。ある人は中医学の生命力は古来よりの歴史にあるというが、実際には中医学の生命力はただ中医学医院の前線にいる医師たちに由来するものなのだ。

2015年には屠呦呦(と・ようよう)がノーベル医学賞を受賞した。屠呦呦が成功した後でさえ、彼女は博士ではなく、科学院には所属せず、工学院の院士ではなく、黙って、何も名声も無く、ただの一介の前線にたつ医師だったのだ。まさに現在の前線の中医たちも第1線で無名で働いているように。

我々は中医学が効果的かどうかを確定することはできず、未来に自己を証明するか否かにかかっており、寒夜にはかすかな光しか見えず、我々はただわずかな光を守るのみなのだ。

幕末の日本人儒者、佐藤一は『言志四録』で「一燈を提げて暗夜を行く。暗夜を憂うること勿れ、只一燈を頼め」と述べています。まさに幕末のサムライの心境です・・・。

中国も日本も伝統医学は本当に茨の道で、業界も教育も制度も問題だらけで、日本の鍼灸師も中医師と同じく尊敬されず、問題は個人で解決できるレベルをはるかに超えています。報われることは滅多になく、失敗したら手ひどく批判されます。90后の若い中医師であり、苦い現実を直視する石琦さんには世代と立場こそ違っても、心の底から共感します。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする