清代、雷豊の秋湿の理論:秋は太陰の季節

清代、雷豊著『時病論』秋伤于湿冬生咳嗽大意

秋の季節の「秋燥」の理論は、明代の1643年、喩嘉言著、『医門法律』で提唱されました。
清代の呉鞠通が温燥と涼燥を区別し、清末の雷豊が1882年の『時病論』で完成させました。雷豊先生は1883年に『灸法秘伝』という本も書かれています。

以下、引用。

五行の土は四季の末に土用としてあるのになぜ黄帝内経は『秋に湿に傷つけられる』と言っているのか。

二十四節気の7月23日頃の大暑から9月8日頃の白露までは湿気が支配するために『秋に湿気に傷つけられる』という。呉鞠通先生が夏末から秋初の病として湿温を挙げているのはまことに卓見である。

喩嘉言先生は秋燥について述べているが、その学説にはまだ論じられていない部分がある。湿気は秋分の前であり、燥気は秋分の後である。

六淫の中で湿気は秋にあり、それで内経は「秋に湿に傷つけられる」と論じている。

湿気は内は脾に対応し、脾が湿気を受けて運化できないと内に痰飲を醸成し、上は肺に貯まって遂には咳嗽となる。

六気は全て人に咳嗽を起こさせるが、なぜ湿気のみを取り上げるのか。これは湿気が潜伏して咳嗽を起こしているのであり、喩嘉言先生は湿気の文字を変えて「秋に燥に傷つけられる」に改作して秋燥の論を発明した。

内経の湿とは、立秋や処暑、白露の湿気がつかさどる時であり、9月23日頃の秋分・白露・10月23日頃の霜降は燥金の気である。

秋初に湿気に傷つけられたものはすぐに発病せずに、湿気が内に醸成されて痰が肺に貯まって咳嗽となる。これは痰嗽であり、脾を理気するのを主として滲湿で利尿を補佐とする。秋末に燥気に傷つけられて、すぐに発病しないで肺が粛降せずに咳を起こすのは乾咳であり、肺を理気して潤燥を補佐とする。総じて秋は太陰脾経と太陰肺経の両方を治療するのである。

秋の外邪は節気の変化、気象の変化と共に湿温、秋湿、秋燥の温燥、涼燥と変化して行きます。

温病学説の秋の理論は1882年の雷豊『時病論』の論説がもっとも繊細・精密で現実にあっていると思います。

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