『霊枢』秋は合穴を刺す

『黄帝内経霊枢』本輸篇第二

以下、引用。

春は絡や各経絡の荥穴や経脈の分肉を刺し、甚だしければ深く、そうでないなら浅く刺す。
夏は各経絡の兪穴や孫絡や肌肉や皮膚の上を刺す。
秋は各経絡の合穴をとり春に準じる。
冬は各経絡の井穴や背部兪穴をとり、深く刺して置鍼する。

中国伝統医学の『霊枢』本輸篇第二の理論では春に荥穴を刺し、夏に兪穴を刺し、秋は合穴を刺し、冬は井穴または背兪穴を刺します。

『素問』四時逆従論篇第六十四ではこうあります。

春は天気が上昇し始め、地気は泄(も)れはじめ、川の氷が氷解し、水がながれはじめるが、人でも同じで経脈に気が流れ始める。
夏は経脈の気が満ちて孫絡に血が入り皮膚が充実する。
長夏は経脈と絡脈が盛んになり、肌肉は充実する。
秋は天気が粛降して収歛しはじめて、腠理(そうり)が閉じて皮膚が引き締まる。
冬は気血は五臓にあり、内では骨髓に沈み五臓を通じさせる。

春の気は経脈にあり、夏の気は絡脈(孫絡)にあり、長夏の気は肌肉にあり、秋の気は皮膚にあり、冬の気は骨髓にある。

『難経』七十難ではこうあります。

七十難いわく、春夏は浅く刺し秋冬は深く刺すとはどういうことか。
春夏は陽気が上にあり人気も上にあるので浅く刺す。秋冬は陽気が下にあり人気も下にあるので深く刺す。

これらの考え方は四季の気の流れと関係しています。

冬の河は涸れていますが、人間の経脈の気も深いところを流れて体幹部の五臓を中心にあります。

春になると河の氷が溶けて河に水が流れてあふれますが、人間の経脈もつまりやすくなり、春の弦脈がでやすくなります。春に気は上昇して頭部の熱の症状が出やすくなります。荥穴で経脈の気を流したり熱をとります。

夏は薔薇の花が香りをまわりにふりまき、人間は汗をかき、気を外に発散しています。気は経脈から絡脈・孫絡・皮膚と体表に上昇します。人間の脈も洪水のような夏の洪脈となります。

長夏はさらに経脈・絡脈に充実し、肌肉に気が集まります。湿があふれ、副交感神経優位となり、脈は緩み、長夏の緩脈となります。

秋は気が皮毛に上昇しきって、脈もそれを反映して浮いた秋の毛脈となります。秋分あたりに急に涼しくなると気が収歛して秋の渋脈となります。また、秋は六腑の季節であり、飲食不節からの胃腸病など六腑病が増えるので「合治内腑(合穴は六腑を治療する)」から合穴をとります。

冬の河は涸れますが、同じように冬は気血が沈み、それを反映して冬の沈んで堅い石脈となります。冬の気血は五臓に集まります。臓を治療する背兪穴をとります。

もちろん上記は機械的にではなく、臨機応変に反応をみつけて取穴します。

日本では『難経』七十四難の五輸穴の理論が有名です。

七十四難いわく、春は井穴を刺し、夏は荥穴を刺し、季夏は兪穴を刺し、秋は経穴を刺し、
冬は合穴を刺す。

以下、『医学百科』五輸穴より引用。

唐代の太医令である楊玄操の注釈では、井穴とは湧泉のように山の中の湧き水のところのイメージをもつので「出るところ」を井穴といいます。井穴の気は少ないため、少商、少衝、少沢などの漢字がついています。

隋代の太医令、楊上善の『黄帝内経明堂類成』の注釈では、荥とは小さな水の流れであり、湧泉からチョロチョロとしたたり、流れるところなので、「流れるところ」を荥穴といいます。

隋代の太医令、楊上善の『黄帝内経太素』の注釈では、小さな水流が少し太くなった水中に注ぎ、輸注するところです。三焦の気が注ぎ留まるところなので、「注ぐところ」を兪穴と言います。水の流れが太くなっているので太溪、太淵、太白、大陵などの名前がつきます。

隋代の太医令、楊上善の『黄帝内経太素』では、水が平野部のように長く行くところが経穴です。「行くところ」を経穴と言います。

隋代の太医令、楊上善の『黄帝内経太素』では、河の水の流れは湧泉のような井穴に出て、海に合流します。この合穴から臓に入ります。それで合流する「入るところ」を合穴と言います。合穴では少海や小海などの穴名がついています。

井穴・荥穴・兪穴・経穴・合穴の五輸穴は河の流れのイメージをもっています。春に流れ始めた雪どけ水は秋冬に合穴から内臓(海)である五藏六腑に入っていくイメージです。

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