マルゲレータ・サンドベルグ先生の鍼の手技と得気研究

2003年7月24日、スウェーデン、リンシェーピング大学のマルゲレータ・サンドベルグ先生とトーマス・ルンドベルグの論文
「健康人への鍼の皮膚と筋肉の血流量への効果」
Effects of acupuncture on skin and muscle blood flow in healthy subjects.
Sandberg M, Lundeberg T et al.
Eur J Appl Physiol. 2003 Sep;90(1-2):114-9. Epub 2003 Jun 24.

以下、引用。

結果より、鍼の強さが重要であり、得気刺激はもっとも皮膚と筋肉の血流量を増加させる。

スウェーデンのマルゲレータ・サンドベルク先生とトーマス・ルンドベルグの論文を10年ほど前に読んだ時は衝撃的でした。鍼を刺して中国式の提挿や捻転の手技、日本の雀啄・旋撚をすると、皮膚や筋肉の血液流量が飛躍的に増加します。得気の科学的研究はこのサンドベルグ論文から始まりましたし、わたし自身も鍼の手技の研究を西洋医学と東洋医学の両方で探求するようになりました。

針刺麻酔の研究者、ブルース・ポメランツや武重千冬先生は異口同音に鍼鎮痛・鍼麻酔の条件として酸(痛み、またはヒリヒリ感。中国語では「だるい感じ」)、脹(充満感・膨張感・圧力感)、重(重い感じ)、鈍(鈍い感じ)、麻(しびれた感じ、またはチクチク感)の得気こそがポイントであると述べられていました。

2004年にマルゲレータ・サンドベルク先生とトーマス・ルンドベルグは浅い鍼と深い鍼の比較試験を発表しました。

2004年「線維筋痛症患者の皮膚と筋肉の血流への鍼刺激の末梢的効果」
Peripheral effects of needle stimulation (acupuncture) on skin and muscle blood flow in fibromyalgia.
Sandberg M1, Lindberg LG, Gerdle B.
Eur J Pain. 2004 Apr;8(2):163-71.

以下、引用。

結果として、健康な女性患者では深い筋刺激は(浅い皮下刺激と)比較してより大きな皮膚血流量の増大となった。

これも大きな成果で、ここから「浅い鍼」と「深い鍼」の比較論文が飛躍的に増えた印象があります。わたしは以後の全ての「浅い鍼」と「深い鍼」の比較論文は研究し続けています。

2005年にサンドベルク先生は「労動に関連した僧帽筋の筋肉痛の健康人と線維筋痛症患者の間の鍼による僧帽筋刺激の血流量の違い」を発表されます。

2005年「労動に関連した僧帽筋の筋肉痛の健康人と線維筋痛症患者の間の鍼による僧帽筋刺激の血流量の違い」
Different patterns of blood flow response in the trapezius muscle following needle stimulation (acupuncture) between healthy subjects and patients with fibromyalgia and work-related trapezius myalgia.
Sandberg M et al.
Eur J Pain. 2005 Oct;9(5):497-510. Epub 2004 Dec 18.

深い筋肉への刺激と浅い皮下組織への鍼を比較すると、健康人では深い鍼のほうが血流量が増加しますが、病人では違うのです・・・。

このような研究は、2003年ー2005年のサンドベルク先生よりも4年前から日本の大久保正樹先生がNIRS(近赤外分光法)で鍼灸による僧帽筋血流量を研究されていました。わたしは入手できる限り取り寄せて研究しました。

1999年「近赤外分光法を用いた鍼灸施術による骨格筋血液量の検討ー僧帽筋血液量の測定」
『全日本鍼灸学会雑誌』49号、210、1999

・右僧帽筋上部線維に鍼刺激、灸刺激。鍼刺激と灸刺激ともに右が増加したが左は増加しなかった。灸刺激のほうが鍼刺激よりも血流改善効果があった。VASでは鍼は右だけでなく無処置の左でも改善がみられて鍼は痛覚閾値の上昇と関与していると考えられる。

2000年「近赤外分光法を用いた僧帽筋血液量測定についての検討」
Therapeutic Research 21(6): 1511-1515, 2000.
https://ci.nii.ac.jp/naid/80011736738
・カマヤミニによる温熱刺激。

2006年「近赤外分光法を用いた鍼灸刺激による筋血流量測定についての検討」
『脈管学』VOL46NO1-2 37-43 2006
https://ci.nii.ac.jp/naid/100175613273
・測定開始分後に刺入し2分間雀啄で測定開始5分後に抜針。円筒灸1壮。中央刺激部のほうが外側刺激部よりも血液増加の変動が大きい。軸索反射が関与している可能性が考えられる。

2007年「近赤外線分光法を用いた灸刺激による筋組織血液変動の定量的比較(第3報)」
『全日本鍼灸学会雑誌』57号NO3、357、2007

2008年「灸刺激による僧帽筋の循環動態への影響について NIRSと心拍変動からみた自律神経機能の検討」
『全日本鍼灸学会雑誌』58号NO3、480、2008

2009年「鍼の手技の違いによる僧帽筋組織の局所的な血液酸素動態」
『全日本鍼灸学会雑誌』59号NO3、429、2008
・雀啄術、振顫術、旋撚術、置鍼術の比較。手技の間に有意な差は無かった。

2009年「鍼灸刺激による僧帽筋組織の局所的な血液酸素動態」
『東京医科大学雑誌』 67(1): 102-102, 2009.
・鍼刺激と灸刺激はともに交感神経活動や中心循環にはほとんど影響を及ぼさないが、筋組織内の血流を限局的に増加させる。

2010年から2012年にかけては、日本の織田かなえ先生の研究が素晴らしいです。

織田かなえ(大阪産業大学大学院)
「低周波鍼通電療法が筋血流に及ぼす影響」
『関西臨床スポーツ医・科学研究会誌』20:9-12 2010

織田かなえ先生の一連の研究では、左承扶ー左殷門に以下の刺激を15分間行い、2つのツボの間の筋血液流量をNIRSで測定しました。

低周波鍼通電(EA):30名
置鍼群(ACU):30名
経皮的電気刺激(TENS):30名
無刺激群:20名

まず、置鍼群よりも電気鍼のほうが筋血液流量は増加します。また、経皮的電気刺激(TENS)よりも低周波鍼通電刺激(EA)のほうが筋肉の血液流量が改善しました。これは電気鍼が筋ポンプ作用があるからと推測されます。

さらに電気鍼(EA)は左側の承扶ー左殷門に行い、右側では電気鍼終了直後には血液流量の増加はありませんでしたが、電気鍼(EA)終了10分後には血液流量の増大がありました。

以下、引用。

このような反対側への血流増加の機序には、ポリモーダルC線維の遠心性効果や軸索反射による血管拡張だけでなく、脊髄分節内の反射や高位中枢を介しての交感神経系による両側性の複雑な血管調節作用を考える必要がある。今回の実験も同様に、交感神経緊張低下による血管拡張が反対側にも血流増加をもたらした可能性が考えられた。

鍼麻酔もだいたい鍼通電の20分~30分ぐらいで脳中枢からの下行性痛覚抑制系が働きます。左側の承扶ー左殷門の電気鍼で右側の承扶ー殷門の筋血液流量が上昇するのは中枢性(脳)、または交感神経系によるものと考えられます。

このようなNIRS(近赤外分光装置)などの血液流量を測定する装置を使った研究では以下のようなことがわかりました。

(1)鍼よりも灸(カマヤミニ)のほうが皮膚の血液流量は増加して、長持ちする(フレア現象は灸のほうが大きく赤くなる)。

(2)置鍼よりも手技鍼(雀啄や旋撚)のほうが皮膚や筋肉の血液流量が増加する。響き感・得気の感覚があると血液流量が増加する。

(3)置鍼(マニュアル鍼)よりも電気鍼(EA)のほうが筋血液流量が増加する。

(4)TENS(経皮的電気刺激)よりも電気鍼(EA)のほうが筋ポンプ作用により、筋血液流量が増加する。

(5)電気鍼(EA)は、通電終了後10分ほどで、通電した側だけでなく、反対側の血液流量も増加する。これは中枢(脳)が関係している可能性がある。

2015年には、台湾の研究者が、近赤外分光研究(NIRS)による研究のレビューを書き、いっきに見取り図ができました。

2015年「脳と筋肉での微小循環における鍼の影響:近赤外分光研究(NIRS)のシステマティック・レビュー」
The Effects of Acupuncture on Cerebral and Muscular Microcirculation: A Systematic Review of Near-Infrared Spectroscopy Studies
Ming-Yu Lo, et al.
Evid Based Complement Alternat Med. 2015; 2015: 839470.
Published online 2015 Jun 11. doi: 10.1155/2015/839470

以下、引用。

(NIRSによって)鍼は脳と筋肉組織の局所的な酸素動態に影響を与えることが発見された。

現在は、鍼灸の『得気』手技が脳・中枢神経システムを介して身体にさまざまな影響を与えることが解明されつつあります。

それと前後して、2014年頃から面白い状況ができました。

2014年「真電気鍼と偽電気鍼における期待:信じれば、そんなことが起こるの?」
Expectancy in Real and Sham Electroacupuncture: Does Believing Make It So?
Joshua Bauml,et al.
J Natl Cancer Inst Monogr (2014) 2014 (50): 302-307.

これは西洋医学における鍼研究の歴史が背景にあります。まず、2005年にドイツの大規模臨床試験(GERAC)で鍼の痛みに対する効果が認められました。ところが、2010年代になって「鍼はプラセボである」という議論がイギリスのエツアート・エルンストを中心に起こります。ドイツでは深いツボへの中国鍼を真鍼として、浅い鍼やツボを外した鍼をプラセボ偽鍼としていました。無治療群と比較して真鍼群・偽鍼群は有効でしたが、真鍼群と偽鍼群の差異が見られなかったことが「鍼はプラセボである」というエルンストの批判になりました。

最近も、英語圏では「鍼はプラセボである」という研究がたくさん発表されています。しかし、一方で2000年代後半から面白い切り口の研究も増えてきました。

一つはハーバード大学のテッド・カプチュクで、プラセボ偽鍼の場合と真鍼の場合の脳の状態をfMRIで観察して差異を発見しています(※1)。

ハーバード大学のキャスリーン・フイとヴィタリー・ナパドウは「浅く刺した鍼」と「深く刺して得気した鍼」をfMRIで比較しました。「浅く刺した鍼」と「深く刺して得気した鍼」では活性化・非活性化される脳の領域や放出されるニューロトランスミッターが異なることを報告しています。多くの動物実験は「深く得気した鍼」のほうが鍼鎮痛は強くなると報告しています。

また、キャスリーン・フイは「深く刺して得気した鍼」は脳のデフォルト・モード・ネットワークを活性化し脳をリセットする作用を報告していますし、イギリスの研究者は「深く刺した得気した鍼」がペインマトリックスと呼ばれる海馬を含む部分を刺激して「痛みの記憶・認知・情動」に働きかけるので、鍼は慢性痛やPTSDなどに効果的なのではないかという仮説を発表しています。これらの仮説は、2017年頃から鍼による「神経可塑性」の研究で、動物レベルではかなり確証に近い状況になってきました。

さらに、「浅い偽鍼」のほうが「深い得気した鍼」と比較して、高い効果を示したという研究が発表されました。しかも、ここでは、「患者の予測・期待」が大きな要素を占めていることが判明しました。同程度の「鍼への期待」を持っている患者では、「深く刺して得気した鍼」のほうが鎮痛作用は強いです。

しかし、「鍼への大きな期待」がある患者の場合、「浅い鍼」のほうが「深く得気した鍼」よりも普通では説明できないぐらい劇的に鎮痛効果が高くなったのです。この結果は日本の「ひびかさずに浅く刺した鍼」の効果をうまく説明できます。

重要なのは「鍼への高い期待」を持つ患者の場合、「浅く刺した無痛の鍼」が「深く刺した得気した鍼」よりも劇的に高い鎮痛効果をもたらすことです。それは現実の臨床で起こっているのです。逆に「鍼への高い期待」をもっていなければ、「浅い鍼」は劇的な鎮痛効果を出せません。これは「鍼はプラセボか?」という問題を追及していって、最先端の部分で発見されたきわめて奇妙な現実です。「鍼はプラセボか?」という問いに、「イエス」か「ノー」かの二分法で答える人は、この問題をまったく理解できていないのです。このペンシルバニア大学の2014年の論文は、この議論を完全に理解しています。

以下、引用。

そして近年、メタ分析は片頭痛への偽鍼が片頭痛へのプラセボ経口薬よりも効果的であることを発見した。偽鍼への反応は鍼はプラセボ効果以上のものでは無いのではないかという懐疑論を導いたにも関わらず、挿入しない鍼、または痛み刺激など異なるメカニズムの偽介入を考慮する可能性をかなり残している。

fMRIの研究で、コン(とテッド・カプチュク)は期待を操作した健康人に痛みを誘発して、電気鍼と偽鍼を受ける実験をおこなった。この研究では、真鍼は偽鍼よりも痛みの情報処理をする部分ではるかに大きな反応を引き起こした。面白いことに、電気鍼の鎮痛効果は患者の「期待」によって増強されることが発見された。

ハリスたちは、真鍼が痛みの情報処理に関わる脳の特定領域(帯状回、尾状核、扁桃体)におけるミュー・オピオイド・レセプターを増加させることを発見した。そして、偽鍼が引き起こしたのは少しの減少だった。これらの発見は、真鍼と偽鍼の間に異なるメカニズムがあることを示唆している。

高い期待をもった患者で見られる印象的な偽鍼の反応は、そのような患者は得気や電気鍼なしでのやさしい刺激の鍼からでも利益を得られるのではないかという挑発的な疑問を引き起こさせる。そして、伝統鍼灸師は異なるスタイルの鍼をおこなっている。例えば、日本の鍼や中国の毛刺である。それらの鍼はわずかな刺激さえ無しに極めて浅く挿入される。

「浅い鍼」と「深い鍼」の差異を徹底的に探求していった先に見えてきたのは、探求をはじめる前には予測もしなかった光景です。

2003年にスウェーデンのマルゲレータ・サンドベルグ先生がはじめた「鍼の得気」 や「浅い鍼と深い鍼の差異」の研究は、16年後にまったく予測もしなかった未知の世界に私たちを連れて来てくれました。

※1:Expectancy and treatment interactions: A dissociation between acupuncture analgesia and expectancy evoked placebo analgesia
Jian Kong, Ted J Kaptchuk, et al.
Neuroimage. 2009 Apr 15; 45(3): 940–949.
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC2737445/

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