ダンスメディスン

アーリン・トンプソン
鍼ディプロマ(Dip. ac)、イギリス王立医科大学会員(MPRCP)
Ariane Thompson Dip. ac, MBRCP(Membership of the Royal Colleges of Physicians of the United Kingdom)

以下、引用。

アーリン・トンプソンは1998年から鍼を臨床している。彼女はブリストルのサウスウエストカレッジ・オブ・オリエンタルメディスンで中国伝統鍼灸を学び、鍼のディプロマ卒業証書を取得し、イギリスの補完医学レジスターの登録メンバーである。

アーリン・トンプソンさんは元プロのバレエダンサーでした。

2014年11月4日イギリスの新聞『レスター・マーキュリー』
「バレエ・ダンサーから鍼師へ:アリーン・トンプソンはなぜ彼女がダンスシューズを捨てたのかを説明する」
From ballet dancer to acupuncturist: Ariane Thompson explains why she hung up her dancing shoes

以下、要約して引用。

昔からの西洋医学的な治療がバレエ障害の痛みを和らげることに失敗した時、アリーン・トンプソンは鍼に切り替えた。彼女はジェマ・コリンズになぜ、今、レスターで治療を実践しているかの理由を語った。

プロのバレエ・ダンサーであることは身体にゆっくりとダメージを蓄積する。出血する指先、腱の断裂、ノンステップのアラベスクやジュテはあまりに多くのものを生じる。

アリーン・トンプソン鍼師はサテンシューズを捨ててホリスティックセラピストになる前は、イギリスの国立劇場やスイスのチューリッヒ、モンテカルロ・バレエのプロフェッショナル・ダンサーだった。

47歳のベルギー人のトンプソンは4歳の頃からバレエをはじめた。9年後にはベルギーのフランダース・ロイヤル・バレエに付属するアントワープのステデリジクバレエ研究所でピルエットをしていた。

18歳の時に活躍の場をロンドンに移し、イギリス国立劇場で5年、チューリッヒとモンテカルロ・バレエで5年、バレエダンサーとして活躍したが、競争は強烈だった。「1週間に8つのショーを踊り、クリスマスの間は1週間に16回も踊った。10時から夕方の5時30分までリハーサルで、1時間後にはショーが始まり、午後11時30分に終わる」スケジュールだったと彼女は言う。

その後、コンテンポラリー・ダンサーとしてヨーロッパでフリーランスになったが、このような活動は肉体的問題を引き起こした。アリーンは仕事の一部と受け入れたが、ずっと痛いのは楽しいことではなかった。「私はしょっちゅうアキレス腱断裂、腱の障害になり、本当に痛かった」

アリーンは理学療法士とバレエ団専属理学療法のスタッフに頼っていたが、鍼とオステオパシーがよく効くことに気づいた。「私は28年前にはじめて鍼を体験したけど、それは珍妙で議論のあることだったようなので、私はいつもプライベートで治療を受けに行っていた」

今日では多くのバレエ・カンパニーは鍼治療をリストに加えている。アリーンの親友の1人はイギリス国立バレエの鍼師となっている。

アリーンは言う。「3カ月も腰痛だった時、違いがはっきりとわかった。医者は何もできず、理学療法士が処方した運動も効果がなかったが、オステオパス整骨医に会って鍼を2回受けたらスタジオに戻ることができた。誰がなんと言おうとそれはプラセボ効果ではない」

アリーンは28歳でバレエをやめる決断をした後、ロンドンで指圧を学んだ。指圧はとても良かったが非常に疲れるのでアキュパンクチャー・コースを受講した。今、アリーンは中医学鍼灸を行っている。中医学鍼灸はNHS(イギリス国民医療サービス)のやり方とかなり違うと彼女は言う。

「医師とオステオパス整骨医はトリガーポイントを使って痛みのマネージメントに用いる。東洋の鍼はホリスティック・システムで、より広い症状に対応できる。マスターするのに何年もかかり、一生、学ばなければならない」

アメリカでは国際ダンス医科学会(International Association for Dance Medicine & Science:IADMS)があり、学術雑誌『ダンス医科学雑誌(Journal of Dance Medicine & Science:JDMS)』を出版しています。イギリスにはダンスUKやナショナル・インスティテュート・オブ・ダンス・メディスン・アンド・サイエンス(国立ダンス医科学研究所)という組織があります。日本では日本ダンス医科学研究会という組織があります。

ピラティスはドイツからアメリカ・ニューヨークに渡ってきたジョゼフ・ピラティスが1930~1940年頃にニューヨークのカーネギーホール近くで多くのバレエダンサーを指導して広まりました。ジョゼフ・ピラティスは医療資格を持っていませんでしたが、1983年にサンフランシスコの整形外科医がダンス・メディスン・クリニック(ダンサー専門外来)を医療施設として初めて作った際にピラティス・メソッドを取り入れました。

ジャイロキネシスはルーマニア出身でフィンランド国立バレエ団のソリストというバレエ・ダンサーだったジュリオ・ホバスが1970年頃にニューヨークで開発した「バレエダンサーのヨガ」です。

スポーツ鍼灸を教えた際に最も役に立ったのはバレエ医学とダンス医学の文献でした。先日も「バレエの先生が言う外脛骨って何?」と聞かれた時に、「有痛性外脛骨といって、後脛骨筋が舟状骨という骨に付着しているから、使いすぎると舟状骨が内側にでっぱってくる状態」と説明し、バレエ医学の教科書を見せながら舟状骨と後脛骨筋腱を実際に触り、バレエでいう「かま足」で起こりやすいと説明できました。ダンス医学を勉強していてよかったと心の底から思いました。

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