王文遠先生の平衡鍼

写真は王文遠先生の『王文遠平衡針治療頚肩腰腿痛(第2版)』中国中医薬出版社2017年1月
の「肘痛穴」です。これは経穴の「犢鼻」であり、奇穴の「外膝眼」に相当します。左右交叉取穴で、右肘痛には左外膝眼を取ると、この文献には書かれています。しかし、インターネット上で、王文遠先生のお弟子さんは同じように交叉取穴で、上腕骨内側上顆炎なら「外側肘痛穴(外膝眼)」、上腕骨外側上顆炎なら「内側肘痛穴(内膝眼)」に取ると書かれていました。私の経験からの予測では、さらに別のツボも肘痛に使っているはずです。

この文献、『王文遠平衡針治療頚肩腰腿痛(第2版)』では、肩痛には肩痛穴しか平衡鍼のツボが書かれていません。吉川正子先生は、王文遠先生のセミナーを何度も受けながら教えてもらえず、王先生の他のお弟子さんから肩痛の秘密のツボとして「王穴」である董氏奇穴「腎関穴= 天皇副穴」を教わり、そこから吉川正子先生オリジナルの陰陽太極鍼を作りました。「中国の公の場で王穴のことを話したら、ものすごく怒られた」と吉川正子先生は何度もインタビューや対談で言われています。

この肘痛穴など王文遠先生の平衡鍼を調べていると、王文遠先生の平衡鍼は二重真理説を採用していることがかなり明瞭となってきました。二重真理説はイスラム世界やキリスト教のスコラ哲学の言葉で、市民の真理と哲学者の真理の「2つの真理」が存在するという考え方です。「哲学者は自由に真理を探究し、一般市民は一般市民向けの『真理』を盲目的に信仰すれば良い」という考え方です。

初心者にはレベルの低いマニュアルを与え、中級向け、上級向け、最上級向けと、お布施と組織への忠誠や貢献度から質の高い情報を小出しに与えながら、「守・破・離」とか適当なレトリックで騙して搾取するというのは、カルト宗教やダイアネティックス系自己啓発セミナーなど、どの組織でも多かれ少なかれやっていることなので批判はしたくありません。ただ、追試で検証ができません。いくら追試して検証しても、「実は他の直弟子しか教えていない本当の方法があって、それにはお布施を積まないと」と後から言われても、お布施を払う気にはなれません。それなら「これは初心者向けのマニュアルで、高額のお布施を払った人だけに本当のことを教えます」と書いてほしいし、遠絡療法はハッキリそう書いています。ビジネスとしてはさておき、再現可能性・反証可能性が無いものは科学と認められません。

王文遠先生は1945年生まれで、19歳で人民解放軍に入り、1968年の文化大革命が始まったのは24歳の頃です。1972年に27歳で肩痛穴を発見し、1975年30歳で人民解放軍軍事医学院を卒業されました。

中国では1982年頃まで文化大革命の影響で大学院は閉鎖され、全ての伝統文化は破壊され、まともな教育は存在しませんでした。また、王文遠先生ご自身が人民解放軍の軍医で、軍事医学の出身ということも関係しているかもしれません。軍事に秘密は当然のものです。2015年ノーベル医学章を受賞した中国中医研究院の屠呦呦先生は、「プロジェクト523」という中国人民解放軍のヴェトナム戦争のための秘密軍事プロジェクトで働いている時に中薬、青蒿からアルテミシニンを分離し、その業績でノーベル医学賞を受賞しましたが、最初の論文は匿名でした。現在でも多くの中成薬の組成は国家機密であり、外国人に教えると刑罰の対象となります。中薬の焙製といわれる加工過程は国家機密なので外国人には教えられません。中国で中薬を勉強しても本国に帰って中薬を焙製できなければ処方が出来ないわけです。

以下は王文遠先生が肩痛穴(=中平穴)を発見した1972年のエピソードです。ちょうどニクソンショックや鍼麻酔の時代です。

以下、引用。

1972年のある夜、王文遠はいつものように自分の身体で鍼を一本一本刺して実験していた。下腿の浅腓骨神経に刺した時、足の母趾と示趾に強烈な電気的鍼感があった。この感覚は経験したことがないものであった。

その後、繰り返して鍼を試行錯誤して彼はこの神効のある穴位を見つけ、腕の疼痛をたちどころに解消する。

これをもって新しい穴位が誕生した。王文遠は肩痛穴と名付けた。その後、王文遠は神経と神経上に全身の疾病を治療できる38箇所のツボを見つけた。

肩痛穴で電撃的鍼感が求められる理由がわかりました。

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