社会的距離や隔離政策は人権を制限するために使われなくなった19世紀の政策

2020年3月22日『ゲンダイ』
『新型コロナより怖い…国民の不安に、政府の「予防政策」がつけ込むとき』

以下、引用。

【中世のペスト流行を見るような気持ち】

この数ヶ月のあいだ、私は不思議な感覚でいた。筆者は感染症予防の歴史を専門とする研究者だが、パソコンのモニターに映り日々更新されていく「新型コロナウイルス」がつくりだす光景は、まるで中世のペストの流行を見るかのようだったからだ。いくつか例を挙げよう。

とくに驚いたのはイタリアの大規模な地域封鎖と、日本の「ダイヤモンド・プリンセス号」の隔離だ。こうした措置はもともとペスト対策としてつくられたもので、19世紀には使われなくなっていた。というのも19世紀に流行したコレラには封鎖や隔離が有効ではなかったし、それ以上に人々の自由を制限しすぎて問題が大きいと考えられたからだった。今回は、19世紀に一度否定された方法が復活したというわけだ。

中世のヨーロッパで最初のペストが流行したとき(14世紀)、シュトゥットガルトやストラスブール、ケルンなどの街でユダヤ人の虐殺が起きている。別の地域で死者が続出しているという情報を得てパニックになった人々がいたのだろう、ユダヤ人が井戸に毒を投げ入れているのを見たと証言する者がでてきたからだ。しかし、それらの街にペストが流行するのは虐殺よりも何ヶ月もあとのことだった。

「取り返しがつかなくなる前に、何とかしてほしい」というのは危険な考えである。なぜか。それは「予防」という公衆衛生のもつ危険性が関係している。本稿では、日本のかつての過ちや今回のコロナウイルスへの対策、他国の例にも触れつつ、「予防」の危うさと難しさについて考える。

一番大きな問題は、政府の過剰な介入によってわれわれの自由が不必要に制限されることである。とくに日本は公衆衛生上の過剰な予防策で過ちを犯してきた。たとえば、ハンセン病の感染力が弱いことが判明し、治療薬が発明されたあともハンセン病患者たちは隔離されつづけた(「らい予防法」)。療養施設のなかでは強制不妊手術が行われることもあった。

したがって、政府には適切に予防することで生命を守るという責務と、過剰な予防で不必要に自由を侵害してはならないという責務がある。危機には備えなければならないが、過剰にならず慎重に予防する必要があるのだ。

人権や自由に配慮しつつ、必要な予防措置を講じるという方針は国際的なコンセンサスになりつつある。予防措置は必要に応じて最も自由を制限しない手段で行わなければならないというわけだ。

19世紀の思想家ジョン・スチュアート・ミルを参照しながら、いくつかの原則をつくっている。詳細は論文に書いたが、私なりにまとめると次のようになる*2。

(1)「目的と手段の関係を考えること」。感染症の流行を予防するという目的であれば、ウイルスの毒性などを考慮したうえで、採ろうとしている予防措置が最も効果的な方法かどうか考えなければならない。

(2)「自由を尊重するために、最も制限的ではない方法かどうか検討すること」。ほかにより制限的ではない手段で代用できるかどうか考えなえればならない。

(3)「採用する手段によって引き起こされる社会的な影響を考えること」。あまりにも悪影響が大きければ他の手段を使うべきである。

これを「ダイヤモンド・プリンセス号」に当てはめて考えてみよう。

日本政府は船上の隔離政策を選択した。しかし、(1)新型コロナウイルスはエボラやペストのような致死率の高い感染症ではない。「ウイルスの流行を止める」という目的のために船上で隔離することは最も効果的でバランスのとれた措置だっただろうか。すでに国内に感染者が見つかっていた時点でこのような隔離方法は過剰だったと思われる。

(2)最大の問題が検査の陽性者と陰性者をあわせて全員を長期間隔離したことだ。中世において全員を隔離することが許されていたのは検査する方法がなかったからであり、ほかの選択肢がなかったためだ。コロナウイルスの場合、確かに陰性であっても後に陽性に転ずることがあるが、その毒性を考えても隔離という強い介入を正当化するものではない。

念のために2週間は気をつけて行動することを約束させるとか、保健所が毎日コンタクトをとることは許されるかもしれないが、テストが陰性で症状もない人を念のために隔離することは正当化できない。

公衆衛生の起源に「全頭処分」の問題があったことを想起してもよいかもしれない。たとえば口蹄疫の症状が出た牛や豚が一頭でもいれば、その農場にいる牛や豚は健康なものを含めてすべて屠殺される。感染の拡大を防ぐためでもあるが、実際には治療のコストや感染拡大のリスクなどを考えた上で最も経済的な方法として全頭処分が選ばれている。

この方式は18世紀のイタリアではじまりフランスに導入され、その研究を行った人物が中心となって医学アカデミーがつくられ、そこで公衆衛生学が生まれた。公衆衛生とは集団という数(クルーズ船の例で言えば乗客という「数」や、日本国民という「数」)を効率的に管理する方法であるということが公衆衛生の危険な側面なのである。

言い換えれば、全体(多数)のために一人の権利が犠牲になる危険性を孕んでいるということだ。

クルーズ船に話を戻そう。陽性者に関しても船上で隔離するのではなく、病院や他の施設に移送しケアすべきだった。日本政府は危機に際して病床や施設を迅速に確保できなかったという点で責任がある。フランスには「白い計画」という病床確保のガイドラインやORSANという感染症などの例外的状況に対応する組織が準備されていた。そのような「備え」がなかったという点は改善しなければならない。

(3)船上隔離という方法を採用することで社会的に与えた悪影響は大きかった。隔離された人々の不安と息が詰まる船内の生活が連日報道され、専門家による船内の隔離の不徹底が告発され、船内で感染が広がっているという印象を世界に与えることになった。たしかに感染が抑えられたという検証があるが、与えた悪影響の方がずっと大きかったと考えられる。

【「透明性」と「信頼性」こそ重要】

最後にもう一つ指摘しておきたい。近年、公衆衛生や予防の重要なポイントとして「透明性」と「信頼」が挙げられることが多い。

いま進行中の社会的距離や隔離政策は19世紀の政策であり、人権を制限するために使われなくなった方法です。公衆衛生学の負の部分を語らない「専門家」には疑問しか感じません。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする