頭鍼と頚椎症:湯氏頭鍼と矢状面ソマトープ

2000年「湯氏頭鍼による椎骨動脈型頚椎病28例」
汤氏头针治疗椎动脉型颈椎病28例
秦秀娣 赵海音
《上海针灸杂志》 2000年03期


湯頌延(とうしょうえん)先生の湯氏頭鍼では陰陽点という頭頂部の百会(GV20)穴の前を中心にします。印堂から陰陽点の正中線に人体が反映されています。印堂あたりが頭顔面であり、
神庭(GV24)あたりが天突点、天突点と陰陽点の間の前3分の1が剣状突起点で、後ろ3分の1が臍点になります。この体部位再現は朱氏頭皮鍼と似ている印象があります。

汤颂延和“汤氏头针疗法”
叶明柱 汤慧仙
《中医文献杂志》 2010年02期

1970年代に焦順発先生の焦氏頭皮鍼、方雲鵬先生の方氏頭皮鍼、湯頌延先生の湯氏頭皮鍼、
がありました。1973年に日本の山元敏勝先生が焦氏頭皮鍼の追試からYNSAを日本良導絡自律神経学会で発表されました。1984年からこれらの頭皮鍼の標準化のための頭鍼穴名国際標準化方案が提案されています。1987年に朱明清先生が朱氏頭皮鍼でブームを起こします。朱明清先生は1964年に上海中医学院を卒業し、 湯頌延先生は上海鍼灸経絡研究所の創設者の1人だそうです。湯氏頭皮鍼と朱氏頭皮鍼は似ている部分がある印象があります。

湯頌延先生のマップでは、印堂から陰陽点、外後頭隆起から印堂に人体が2つあります。朱氏頭皮鍼では神庭(GV24)から百会(GV20)、百会(GV20)から脳戸(GV17)に人体が2つあります。冨田先生からご紹介いただいたYNSAのサッギタールソマトープでも、まったく湯氏頭鍼とは正反対の形で人体が2つあります。

ここでわたしが思い出したのがフランスのポール・ノジェの「フェーズ2」と耳の「神門」のエピソードです。

【フランスのポール・ノジェによる「ソマトトピー(体部位再現)」の発見とフェーズ3の「耳穴・膝」と「中国耳穴神門」】

1951年に43歳のフランス、リヨンの整形外科医ポール・ノジェは1人の女性患者の耳に2㎜幅の四角の火傷痕を発見しました。この患者は何年も座骨神経痛に悩まされていましたが、マルセイユで民間療法をおこなっていたバリン夫人による耳の焦灼治療によって慢性の座骨神経痛が治ったという経験をノジェに話しました。ノジェは当時、フランス鍼灸業界の科学派を代表し、経穴の電気探索を研究したジャック・ニボイエに鍼を学んでいました。

ノジェはバリン夫人が用いた耳の焼灼部分に鍼を刺して腰痛・座骨神経痛が改善することを経験しました。さらに整形外科医のルネ・アマシュウと議論していく中で、耳が全身を投影しているというソマトトピー(体部位再現)のアイディアをひらめきました。これはノジェの談話では1951年のことです。1953年頃には、ほぼソマトトピーの概念を確立していていました。

1955年にノジェはソマトトピーのアイディアをジャック・ニボイエに語ります。ジャック・ニボイエはノジェに地中海鍼学会で耳鍼のアイディアを話すように勧めました。

ノジェは1956年にマルセイユの地中海鍼学会会議で「耳介に投影されたゾーンやポイント」を口頭で発表しました。

この発表を聴講したドイツのゲルハルト・バッハマンがノジェの耳鍼を1957年の『ドイツ鍼雑誌』に発表しました。ゲルハルト・バッハマンはフランスのドラフュイが創設した国際鍼学会に所属しており、この組織は後のドイツ医師鍼協会となりました。このドイツのバッハマンによるノジェの耳鍼の紹介が、日本の長浜次男によって『医道の日本』1957年9月号「耳の刺鍼治験 バツハマン(独)」p25~26として翻訳されます。長友次男は1957年の11月号と12月号でもノジェの耳鍼を翻訳しています。

長友次男は1914年(大正3年)に陸軍士官学校を卒業し、陸軍中尉として第1次世界大戦に参加、1920年(大正9年)に東京外語校ドイツ語科を卒業後、満州憲兵隊長や陸軍少将・憲兵隊隊長などを歴任した人物であり、1945年(昭和20年)以降、鍼灸マッサージの世界に入り、1959年(昭和34年)に鍼灸師試験に合格して鍼灸師となりました。その後もドイツのバッハマンなど多くの鍼灸論文を翻訳しています。

1958年12月の葉肖麟による『上海中医雑誌』の紹介で、中国にフランスのノジェの耳鍼が伝播したとされます。中国にもノジェの発見が伝わり、南京の軍医グループが2,000人の被験者を募りノジェの発見を検証しました。

1959年4月に中国の『大衆医学』に「針刺耳廓全身疾患」と題してノジェの耳針の検証記事が掲載されます。その記事では、上海第1医学院中山医院が耳針で肩の治療をしたことが書かれており、腕、肘、肩、鎖骨、踵、膝、臀部などの現在の中国式耳鍼が掲載されていました。この中国式の耳鍼の図がのちに世界に普及することになります。

鍼麻酔が起爆剤となった世界的な鍼ブームの中で、1972年12月、上海人民衛生出版社より「耳針」が出版されました。

南京部队某部《耳针》上海人民衛生出版社1972年

フランスのポール・ノジェは、1980年に弟子のルネ・ブルディオールに『耳介療法のエレメント』(邦訳は『耳針法―P.ノジエ理論と臨床 (1985年)』エンタプライズ 1985)を出版させています。これは、ポール・ノジェの新しい「フェイズ3理論」についての文献であり、フランス式耳鍼療法の総説的文献となっています。1982年にM・H・チョーは『医道の日本』9月号において『ノジェの新しい耳鍼穴位』という記事で「フェイズ3理論」を説明しています。

以下、引用

耳鍼穴位は中国で初めてその図が出て来た。その中国での発表はノジェの耳鍼穴より数年早いのである。ノジェはもちろん彼のテキストブックに耳鍼穴位を発表してきたけれども、中国の耳鍼穴位図みたいにまとめた耳鍼穴位図を発表したことがなかったのである。中国の耳鍼穴位図をみて彼は刺激をうけてブルディオール等と一緒にまとめあげ、発表した。
※M・H・チョー『ノジェの新しい耳鍼穴位』『医道の日本』昭和57年9月号25p

フランスのノジェの「膝」点は中国の耳穴、神門にあたります。ノジェも中国の耳穴、神門が精神安定効果をもっていることを認めました。そこで発表したのが新しい耳鍼穴位のフェーズ3理論なのです。

「フェーズ1」では中国耳穴、神門は膝に相当しますが、「フェーズ2」では脳神経に相当します。

ポール・ノジェは後発の中国耳穴マップ(ノジェのフェーズ1マップに類似)を検証し、フランスの耳穴、膝が中国耳穴、神門として精神安定作用があることを認めて、フランス耳穴療法を「フェーズ2」「フェーズ3」にアップブレードしました。

私はポール・ノジェの調査をしたことがありますが、毎年、セミナーで理論がどんどんアップグレードしていくのがポール・ノジェの一大特徴でした。冨田先生に山元敏勝先生のお話しを聞くたびに「超一流の2人は似ている」と共通点の多さに驚きました。

2014年にはフランス耳鍼研究のトップランナー、ダヴィッド・アリミとドイツ耳鍼創始者のフランク・バールが共著論文「フランス・ドイツと中国の耳穴の膝エリアの刺激のfMRI研究」を発表しました。

「フランス・ドイツ耳鍼と中国耳鍼における膝の耳穴エリアへの刺激のfMRI研究」
Study in fMRI of the stimulation of the auricular areas of the knee as the French-German and Chinese localizations.
David Alimi, Alfred Geissmann, Denis Gardeur, Frank Bahr�Photon Journal of Radiology. 2014;125:133–141.

ダヴィッド・アリミ先生は戦場鍼の開発者リチャード・ニムツォウにASP(半永久鍼)を教えた世界の耳鍼のトップです。ダヴィッド・アリミ先生 は2012年にはfMRIを利用した耳鍼分野における新しい耳地図『アリミ・プロトコル』を発表され、2017年11月には文献も出版されました。

L’auriculothérapie Médicale: Bases Scientifiques, Principes Et Stratégies Thérapeutiques
David Alimi
Educa Books (2017/11/15)

ノジェの「フェイズ1」「フェイズ2」「フェイズ3」、「アリミ・プロトコル」こそがフランス耳鍼アウリキュロセラピーの世界です。

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