科学哲学・科学基礎論の最前線と鍼灸

2019年8月3日公開
「境界設定問題はどのように概念化されるべきか」
伊勢田 哲治『科学・技術研究』2019 年 8 巻 1 号 p. 5-12


科学哲学における「境界設定問題」は「線引き問題」とも翻訳されます。境界設定問題とは「科学と非科学の境界線はなにか?」「科学と擬似科学(非科学)との境界線の線はどこで引けるのか?」という問題です。

1990年代から2000年代に科学哲学を学んだ人なら誰でも「科学と疑似科学を分ける明確な基準は存在しない」という答えを知っています。


1983年に科学哲学者ラリー・ラウダンが「境界設定問題の消滅」という論文を書いて、この問題はいったん消滅しました。


1983年「境界設定問題の消滅」
The Demise of the Demarcation Problem
Larry Laudan
Physics, Philosophy and Psychoanalysis pp. 111–127 (1983)

ただ、「科学と疑似科学を分ける明確な基準は存在しない」では実際の現実社会では齟齬が発生するため、現在ではプラグマティック・アプローチが採用されています。

2000年「境界設定問題へのプラグマティック・アプローチ」
A Pragmatic Approach To The Demarcation Problem
David B. Resnik
Studies in History and Philosophy of Science Part A 31 (2):249-267 (2000)

プラグマティック・アプローチの思想について、日本語では以下の論文がわかりやすいです。

2017年、佐々木渉
「多次元的連続分類法とプラグマティック・アプローチによって科学を決める方法」
『年報人間科学』38巻17-34
https://ir.library.osaka-u.ac.jp/repo/ouka/all/60464/

そして、現実的対処法として伊勢田哲治先生の論文では「ベイジアン更新」という「ベイジアン推定」「ベイジアン確率」の概念を解説されています。

2019年8月に公開された伊勢田哲治先生の論文は、科学哲学、科学基礎論の最前線の部分を紹介しています。日本ではこれらを重視しないため、議論は社会に全く知られていませんが、自虐を込めて言いますが、擬似科学と非難されることの多い東洋医学者・鍼灸師は知っておいたほうが良いと思います。

鍼灸や東洋医学の凄さや歴史的意味に気づいていないのは、当の鍼灸師だと思います。パラダイムという言葉は科学哲学の用語です。科学哲学を個人的に研究していた際に夢中になったのが、カリファルニア大学バークレー校教授の科学哲学者、ポール・ファイヤアーベントの『方法への挑戦―科学的創造と知のアナーキズム』(新曜社、1981年)です。

以下、引用。

いかに古くばかげたものであっても、われわれの知識を改良する能力をもたない概念は存在しない。

政治的干渉も拒否されない。現状に対抗するものに抵抗する科学の熱狂的排外主義を克服するために、政治的干渉が必要とされることもあり得る。

もっと興味深い実例が、共産主義中国における伝統的医学の復活に見られる。

鍼療法や灸療法、およびその底に流れる哲学は過去のものであって、もはや真面目に受けとることはできない。これが1954年頃までの(中国の)態度であったが、この年保健省におけるブルジョワ的要素の弾劾とともに伝統的医学の復活に向けてのキャンペーンが始まった。疑いもなく、このキャンペーンは政治的に扇動されたものであった。

この政治の側から強制された二元論は、中国においても西洋においても極めて興味深く、かつ謎めいた発見へと導き、また現代医学では再現することもできず説明することもできないような診断の効果や手段が存在するという認識へ導いた。それは西洋医学にぽっかりと開いたかなりの大きさの空隙を暴露した。

通常の研究方法は二つの段階から成る。最初に薬草の調合を化学的に分析する。次いで各々の成分に特有の効果が決定され、特定の器官に対する全体的効果がこれに基づいて説明される。このことは全体として考えられた場合、薬草は有機体全体の状態を変えるという可能性、および病変した器官を癒すのは薬草調合の何らかの特定成分ではなく、むしろ有機体全体のこの新しい状態であるという可能性を無視している」

1950年代に共産主義者が病院や医学校に『黄帝内経』に含まれている思想や方法を教え、それを患者の治療に用いることを強制したとき、多くの西洋の専門家はあっけにとられて中国の医学の凋落を予言したものである。が実際に起こったことは全く正反対なのであった。はり療法、きゅう療法、脈診断法は西洋の医者に対しても中国の医者に対しても、新しい洞察、新しい治療法、新しい諸問題へと導いた。

この観察を科学は特殊な方法をもっていないという洞察と結び付けるとき、われわれは科学と非科学の分離は人工的であるのみならず、知識の進歩のために有害でもあるという結論に達する。

ファイヤアーベントは中国伝統医学や鍼灸から影響をうけて科学哲学という学問全体をまったく新たなステージに到達させました。これは科学哲学だけでなく、西洋哲学全体における思想史的大事件です。

「科学哲学なんて現実に役立たない」という方がおられますがそうでしょうか。境界設定問題での最も有名な科学哲学者は反証可能性を提唱したカール・ポパーであり、その弟子がヘッジファンドの帝王、ジョージ・ソロスです。カール・ポパーの悲観主義的科学哲学はジョージ・ソロスによって現実社会に応用されました。まず「人間は真実に永遠に到達できない」という悲観主義の認識があります。「全ての人間は間違う」のです。そして、本来なら低値であるべきものが高値になり、高値であるべきものが低値になるという誤謬が投資家たちの人気投票では現実になります。この認識のギャップこそがジョージ・ソロスをヘッジファンドの帝王たらしめたのです。「人間は真実に永遠に到達できない」「人間は必ず間違う」というポパーの悲観的な科学哲学を金融相場に応用したのです。『ブラック・スワン[上]―不確実性とリスクの本質』の著者タレブも、ポパーの科学哲学を金融相場に応用してサブプライムローン、リーマンショックの際に大儲けしました。

耳鍼の曲がりくねった歴史は、まさに科学哲学のポパー的な世界観を証明しているかのように思えます。そして曲がりくねっているからこその面白さがあります。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする