室町時代の僧医、有隣著 『福田方』

室町時代の僧医、有隣著 『福田方』
京都大学貴重資料デジタルアーカイブ
 
 
 
「中悪」は突然に不正の気に犯され、手足が冷えて真っ青になり、倒れます。
『福田方』では灸治療で胃管に15壮です。おそらく「中かん」穴あたりでしょう。『福田方』には「中悪」の病因として「鬼邪」とありますが、これは中国語の「鬼」であり、「死霊」です。
 
 
《诸病源候论》中恶病诸候(凡十四论)
一、中恶候
中恶者,是人精神衰弱,为鬼神之气卒中之也。夫人阴阳顺理,荣卫调平,神守则强,邪不干正。若将摄失宜,精神衰弱,便中鬼毒之气。其状∶卒然心腹刺痛,闷乱欲死。
 
 
「鬼撃」は「鬼撃(ゴースト・ストライク)」であり、これもスピリチュアルな理解が本来の意味だと思われます。
 
《肘后备急方》治卒得鬼击方第四
鬼击之病,得之无渐卒着,如人力刺状,胸胁腹内,绞急切痛,不可抑按,或即吐血,或鼻中出血,或下血,一名鬼排。治之方。
灸鼻下人中一壮,立愈。不瘥,可加数壮。
 
「鬼撃」には鼻下の人中(水溝)に灸をします。
 
 
 
《诸病源候论》
七、鬼击候
鬼击者,谓鬼厉之气击着于人也。得之无渐,卒着如人以刀矛刺状,胸胁腹内绞急切痛,不可抑按,或吐血,或鼻中出血,或下血。
一名为鬼排,言鬼排触于人也。人有气血虚弱,精魂衰微,忽与鬼神遇相触突,致为其所排击,轻者困而获免,重者多死。
 
 
「鬼癘(きれい)」の気がヒトにつくと「鬼撃」となり、胃腸が絞れるように痛み、吐血・下血します。
 
 
隋代、巣元方『諸病源候論』卷之二 风病诸候下
 
四十八:鬼邪:およそ鬼に魅いられると、すなわち悲しみ、心が動揺し、よっぱらったように乱れ、狂って怖がり、悪夢をみる。これは鬼神と交通するからである。
 
四十八、鬼魅候:凡人有为鬼物所魅,则好悲而心自动,或心乱如醉,狂言惊怖,向壁悲啼,梦寐喜魇,或与鬼神交通。病苦乍寒乍热,心腹满,短气,不能饮食。此魅之所持也。
 
 
 
唐代、 孫思邈著 『千金翼方』
 
【禁邪病第十五】
およそ鬼邪が人につくと、あるいは泣き、あるいは叫び、あるいは笑い、あるいは歌う。死人の名前を名乗り、人を狂わせる。このようなものを鬼邪という。治療法は左手の鬼門(労宮)と鬼市(合谷)、右手も同じように鍼で刺す。
 
禁邪病第十五:凡鬼邪着人,或啼或哭,或嗔或笑,或歌或咏,称先亡姓字,令人癫狂。有此状者,名曰鬼邪。
治之法,正发时使两人捻左手鬼门鬼市,两人捻右手如左手法。
鬼门者,掌中心是;鬼市者,腕后厌处是,伸五指努手力则厌处是。腕后者,大指根两筋中间是。一捻之后,不得动,动鬼出去,不得伏鬼,又不得太急。若太急则捻人力尽,力尽即手动,手动即鬼出
 
 
鬼(死霊)が取り憑いたら、ツボに鍼を刺し、灸をします!
 
唐代の孫思邈先生は『癲狂十三鬼穴』を書かれています。
 
人中(鬼宮:ききゅう)
少商(鬼信:きしん)
隱白(鬼壘:きるい)
大陵(鬼心:きしん)
申脈(鬼路:きろ)
風府(鬼枕:きちん)
頰車(鬼床:きしょう)
承漿(鬼市:きし)
勞宮(鬼窟:きくつ)
上星(鬼堂:きどう)
男子的陰下縫穴或女子的玉門頭穴(鬼藏:きぞう)
曲池(鬼腿:きたい)
舌下中縫穴(鬼封:きほう)等十三穴。
 
 
そして、江戸時代の漢方の名医、片倉鶴陵は癲狂十三鬼穴の「少商(鬼信)」と「隠白(鬼壘)」で「狐憑き」を治療した経験を残しています。
 
 
以下、引用。
 
子啓子嘗て狐憑きを落とす鍼法を伝えられたり。子啓子は相対したるばかりにて鍼を刺したることなく験ありしよし。其の法は手の左右の大拇指の爪甲をこよりにて堅く縛り、腋下か背後に凝りたるものを力まかせに肘臂の方へ段々にひしぎ出し、肘まで出たる時、他の腰帯の類にて緊しめ、其の凝りたる塊の上へ鋒鍼にて存分に刺すべし、治するなり。
其のひしぎ出す時、並々のことにては狂躁する故、人を雇って総身をかくるる処なきように尋ねてひしぎ出すべし。此の伝を得手後に東門先生へ物語れば、足の大拇指も縛すべし。病人の気を飲むように張り合いつけるべし。若し 向むこうに飲まるる時は何ほどにしても治せず。蔭鍼にて狐憑きの落ちると云うは、此の術なりとありけり。余は刺鍼を解さざる故、他にも鍼家に術ありや否やを知らず。灸法薬方も『千金方』などに詳らかに見えたり。十三鬼穴など是なり。
 
 
 
 
朱丹渓の『格致余論』「虚病痰病有似邪崇論」は、鬼神の憑依を示す患者を虚証、痰証、熱証として分析しています。このあたりから中国伝統医学は理性的になります。
 
以下、引用。
 
気血は身体の神気のもとである。精神が既に衰えれば鬼邪が入ることもあり得る。もし気血がおとろえて、痰が中焦にやどり、昇降を妨害して気血が運用できないなら、感覚器がおかしくなり、視覚や聴覚や言動がみなおかしくなる。
 
17か18の若者が夏に過酷な労働と渇きから梅ジュースを飲み、訳のわからないことを言い出して幻覚を見出した。霊が憑いたようだ。脈は両手とも虚で弦、沈脈は数脈である。虚脈と弦脈は梅ジュースでショックを受けて中脘に痰が鬱している。虚を補い、熱を清し、痰と滞りを導き去れば病はすなわち安んずる。
 
 
 
明代の虞搏(ぐたん)『医学正伝』や明代、李梃(りてい)の『医学入門』では、「高いところに登って歌を歌ったり、衣を捨てて走り回る」のは、すべて「痰火によるもの」であり、霊を見るなどの幻覚も「気血虚が極まり、痰火が盛んなために鬼神を見る」と「痰による精神病」説となります。
 
明代の張介賓(ちょうかいひん)は、病気は六淫の邪気か七情内傷によるものであり、祟りのように思える「怪病」は痰によるものが多いと明言しています。室町時代の有隣の『福田方』は「鬼邪」を灸で治療していたようです。
 
 
 
『福田方』はYouTube、東洋医学の最新情報 vol.16「東洋医学の歴史2(鎌倉)」でも取り上げていますので、ぜひあわせてご参照ください。
 

 
 
 
 
 
 
 

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