何夢瑶『医へん』の肝気鬱結の記述

清代、雍正帝の進士であった 何夢瑶著、『医へん』 1751年です。

以下、引用。

もし他臓の燥、外感の湿が脾と渉(まじ)わることなきが如し。肝木の疏泄すること太過なれば、すなわち脾胃、これによりて気虚する。或いは『肝気鬱結』が太甚なれば、すなわち脾胃、これによりて気滞す。みな肝木の脾土を克すなり。
若他脏之燥,外感之湿,与脾无涉。肝木 泄太过,则脾胃因之而气虚;或肝气郁结太甚,则脾胃因之而气滞,皆肝木克脾土也。
《医碥》五脏生克说

「肝は疏泄を主る」という理論について、もっとも詳細な論述は以下になります。

九峰の備忘録
http://magicsam.exblog.jp/13267127/
http://magicsam.exblog.jp/13268338/
http://magicsam.exblog.jp/13273435/
http://magicsam.exblog.jp/13273612/

この素晴らしい研究は、浅川要先生が『中医臨床』に発表した文章から始まります。これは浅川要先生の『針師のお守り』に収録されています。

浅川要「肝は疏泄を主る」『中医臨床』 17(2): 231-231, 1996.
http://acupuncture.jp/dspace/handle/10592/15129

針師のお守り

浅川要先生は「肝は疏泄を主る」という理論の根拠となる記述が古典にほとんど見られないことから、現代中医学の「肝主疏泄」の解釈が1958年以降にできたことを指摘されています。

金元四大家の朱丹渓の『格致余論』では、最初に「疏泄をつかさどるのは肝である(司疏泄者肝也)」という記述が初出します。

元代、朱丹渓著、『格致余論』
陽有餘陰不足論
「主閉藏者、腎也。司疏泄者肝也」
http://zhongyibaodian.com/gezhiyulun/339-4-0.html

ただ、当時の朱丹渓先生の記述は、現在の「肝は疏泄を主る」とかなり異なる意味で使われています。朱丹渓先生は鬱の理論で有名です。朱丹渓の六鬱は気鬱、血鬱、痰鬱、火鬱(熱欝)、食鬱、湿鬱になります。

以下、『丹渓心法』六鬱より引用。

およそ鬱はみな中焦にある。

鬱は、集まって発散できないものをいう。昇るものが昇らなかったり、降りるものが降りなかったり、変化すべきものが変化しないと伝化が失常して六鬱となる。

気鬱は胸脇痛があり、沈脈・渋脈である。

湿鬱は全身に痛みが走り、関節が痛み、寒邪にあうと発症する脈は沈脈細脈である。

痰鬱は動ずればすなわち喘し、寸口脈は沈脈滑脈である。

熱鬱は煩悶し、小便が赤く、脈は沈脈数脈である。

血鬱は四肢が無力で、よく食べるが便は紅色となり、沈脈である。

食鬱はゲップして満腹となり食べることができない。

朱丹渓先生の時代は「肝気鬱結」は存在しません。気鬱も弦脈ではありません。

明代、缪希雍(びゅうきよう)の『本草经疏』では、肝臓が昇発と条達と関連していることを指摘しています。
「扶苏条达,木之象. 也;升发开展,魂之用也。」

明代、孫一奎(そんいっけい)著、『赤水玄珠』1584年刊の巻の十一で「肝鬱なるものは両脇かすかに膨満し、曖気が連々として声あり。治は青皮・川きゅう・呉茱萸に宜し」と書かれています。

肝鬱者兩協微膳暖氣連連有聲治宜青皮川芎吳萊臾
https://ctext.org/wiki.pl?if=gb&res=334700

ただし、心欝や脾欝、肺欝、胆欝も同時に記述されています。

明代、命門学説で有名な趙献可の1617年『医貫』では、木鬱を治療すれば他の全ての五鬱を治療できると主張しました。清代、汪昻の1682年『医方集解』の「「和解之剂第六] 逍遥散」において、「木鬱を治療すれば、ほかの全ての鬱は治療できる。これは逍遙散である」と、逍遙散で肝鬱を治療すれば全身のうつが治療できるという論説を行っています。

以上の流れの中で、何夢瑶著、『医へん』の先の記述が登場します。

明末、清初の傅山著、1827年『傅青主女科』上巻の「郁结血崩(十)」や「嫉妒不孕(三十四)」「产后郁结乳汁不通(七十七)」で「肝気の鬱結」という言葉が初出しています。
http://www.zysj.com.cn/lilunsh…/fuqingzhunvke5190/index.html

清代、唐宗海著、『血証論』では、ほとんど現在の肝気鬱結のような記述があります。

「肝为风木之脏.胆寄其间.胆为相火.木生火也.肝主藏血.血生于心.下行胞中.是为血海.凡周身之血.总视血海为治乱.血海不扰.则周身之血.无不随之而安.肝经主其部分.故肝主藏血焉.至其所以能藏之故.则以肝属木.木气冲和条达.不致遏郁.则血脉得畅.设木郁为火.则血不和.火发为怒.则血横决.吐血错经血痛诸证作焉.怒太甚则狂.火太甚则颊肿面青.目赤头痛.木火克土.则口燥泄痢.饥不能食.回食逆满.皆系木郁为火之见.证也.若木挟水邪上攻.又为子借母势.肆虐脾经.痰饮泄泻呕吐头痛之病又作矣.木之性主于疏泄.食气入胃.全赖肝木之气以疏泄之.而水谷乃化.设肝之清阳不升.则不能疏泄水谷.渗泻中满之证.在所不免.肝之清阳.即魂气也.故又主藏魂.血不养肝.火扰其魂.则梦遗不寐.肝又主筋.螈 囊缩.皆属肝病.分部于季胁少腹之间.凡季胁少腹疝痛.皆责于肝.其经名为厥阴.谓阴之尽也.阴极则变阳.故病至此.厥深热亦深.厥微热亦微.血分不和.尤多寒热并见.与少阳相表里.故肝病及胆.亦能吐酸呕苦.耳聋目眩.于位居左.多病左胁痛.又左胁有动气.肝之主病.大略如此.」
http://www.zysj.com.cn/lilunshuji/xuezhenglun/686-5-3.html

清代、周学海著、『読医随筆』では、ほとんど現在の肝気鬱結と変わらない認識となっています。

平肝者舒肝也非伐肝也。肝之性,喜升而恶降,喜散而恶敛。经曰∶肝苦急,急食辛以散之,以辛补之,以酸泄之。

肝为将军之官,而胆附之,凡十一脏取决于胆也。东垣曰∶胆木春升,余气从之,故凡脏腑十二经之气化,皆必藉肝胆之气化以鼓舞之,始能调畅而不病。凡病之气结、血凝、痰饮、肿、臌胀、痉厥、癫狂、积聚、痞满、眩晕、呕吐、哕呃、咳嗽、哮喘、血痹、虚损,皆肝气之不能舒畅所致也。或肝虚而力不能舒,或肝郁而力不得舒,日久遂气停血滞,水邪泛滥,火势内灼而外暴矣。其故由于劳倦太过,致伤中气,以及忧思不节,致伤神化也;内伤饮食,外感寒湿,脾肺受困,肝必因之。故凡治暴疾、痼疾,皆必以和肝之法参之。和肝者,伸其郁、开其结也;或化血,或疏痰,兼升兼降,肝和而三焦之气化理矣,百病有不就理者乎?后世专讲平肝,不拘何病,率入苦凉清降,是伐肝也。殊不知肝气愈郁愈逆,疏泄之性横逆于中,其实者暴而上冲,其虚者折而下陷,皆有横悍逼迫之势而不可御也,必顺其性而舒之,自然相化于无有。

1891年に出版された周学海先生の『読医随筆』では、ほとんど現代の肝気鬱結となっています。

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