宋代の医書:『聖済総録』辛丑岁图

 
 
 
宋代の医書:『聖済総録』辛丑岁图
太阴湿土司天,太阳寒水在泉,中见少羽水运,岁水不及,
 
 
2021年の辛丑(かのと・うし)の太陰湿土司天、太陽寒水在泉、水運不及という五運六気を見た途端に気が重くなり、訳す気がなくなりました…。コロナウイルスが寒湿毒だとしたらキツい印象です。
 
 
初之气,自庚子岁大寒日巳初,至是年春分日卯初,凡六十日八十七刻半,主位少角木,客气厥阴木,中见水运,木当其位,水运统之,奉太阴之政而行春令,地气迁,寒乃去,春气正,风乃来,生布万物以荣,民气条舒,风湿相搏,雨乃后,民病血溢筋络拘强,关节不利,身重筋痿,宜治厥阴之客,以辛补之,以酸泻之,以甘缓之,
 
 
大寒以降に関節痛が増えそうです。もう一つ気が重いのは、「辛(かのと:金の弟)」は経絡では手太陰肺経に属していることです。「丑(うし)」は足厥陰肝経であり、気鬱が増えそうです。 
「丑(ちゅう)」は紐帯の紐で、植物の種子が芽吹いて、まだ殻に覆われながら伸びようとしている様を象形しています。「辛(しん)」は辛抱の辛で、ひもに縛られて伸びようとしても伸びることができないわけです。
 
辛亥革命や甲午農民戦争(東学党の乱)のような六十干支の歴史的出来事には、1901年、辛丑条約があります。
 
 
【辛丑条約】
1901年9月7日,義和団事変処理のため,中国清朝とイギリス,ドイツ,ロシア,アメリカ合衆国,日本など 11ヵ国との間に結ばれた条約。北京議定書ともいう。清はドイツ,日本への謝罪使の派遣,排外運動の禁止,関税,塩税を担保とする 4億5000万両の賠償金支払い,北京における公使館区域の設定と外国軍隊の常駐,北京周辺の砲台の破壊などを認めさせられた。財政的にも列強への従属を余儀なくされ,中国の半植民地化はいっそう深刻化した。
 
 
これは辛丑っぽくて、条約という紐で結ばれてつらい。1961年の辛丑にはベルリンの壁が建設されて冷戦が激化しています。こじつけですが辛丑っぽいです。
 
 
二之气,自春分日卯正,至小满日丑正,凡六十日有奇,主位太征火,客气少阴火,中见水运,火当其位,阴精承之,寒热二气,奉太阴之政,以行舒荣之化,太火正,物承化,民乃和,其病温厉盛行,远近咸若,湿蒸相搏,雨乃时降,宜治少阴之客,以咸补之,以甘泻之,以酸收之。
 
 
春分以降の「ニの気」では「温厉盛行」が温癘流行でたまらなく嫌です。
 
 
三之气,自小满日寅初,至大暑日子初,凡六十日有奇,主位太征火,客气太阴土,中见水运,天政所布,湿气降,地气腾,雨乃时降,寒乃随之,感于寒湿,民病身重 肿胸腹满,宜治太阴之客,以甘补之,以苦泻之,以甘缓之,
 
 
小満以降はまさに「湿気」「寒湿」です。
 
 
四之气,自大暑日子正,至秋分日戌正,凡六十日有奇,主位少宫土,客气少阳火,中见水运,火土相得,奉太阳之令,畏火临,溽蒸化,地气腾,天气否隔,寒风晓暮,蒸热相搏,草木凝烟,湿化不流,则白露阴布以成秋令,民病腠理热,血暴溢,疟心腹满热胪胀,甚则 肿,宜治少阳之客,以咸补之,以甘泻之,以咸软之,
 
 
五之气,自秋分日亥初,至小雪日酉初,凡六十日有奇,主位太商金,客气阳明金,中见水运,金当其位,与水运相得,惨令已行,寒露下,霜乃早降,草木黄落,寒气及体,君子周密,民病皮腠,宜治阳明之客,以酸补之,以辛泻之,以苦泄之
 
 
终之气,自小雪日酉正,至大寒日未正,凡六十日有奇,主位少羽水,客气太阳水,中见水运,气与运符会,寒大举,湿大化,霜乃积,阴乃凝,水坚冰,阳光不治,感于寒,则病人关节禁固,腰 痛,寒湿持于气交而为疾也,宜治太阳之客,以苦补之,以咸泻之,以苦坚之,以辛润之
 
 
 
腰痛など、やはり寒湿です。
 
 
 
 
 

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