気功の歴史:銭学森

 
2021年3月22日『捜狐』
「銭学森氏は晩年、気功に迷い、別世界への入り口を探そうとしていた。神学的存在は実在するのか」
钱学森晚年沉迷气功,试图找到另一世界的“入口”,神学真存在?
 
 
以下、引用。
 
ミサイル・プロジェクトだけでなく、銭学森先生は人体の『特異効能』を研究する機関である『507研究所』を1968年4月に作った。正式名称を中国人民解放軍507研究所という。銭学森は、記録によれば特異効能研究について1983年から1987年に100回も507研究所を訪れてレポートを書いている。それらは人体科学、システム科学、気功、中医学、特異効能や科学革命などの問題についてである。
 
 
中国ロケット工学の父、銭学森は1974年に中国共産党によって創設された秘密組織、人民解放軍749局や人体科学研究の507研究所を設立し、気功や中医学の研究をしていました。
 
気功を研究していたら、銭学森氏の名前は必ず出てきます。1934年に北京・清華大学からアメリカのマサチューセッツ工科大学に留学した銭学森氏はカリフォルニア工科大学で博士号を取得し、1944年にアメリカ国防総省の顧問に就任し、原爆開発のマンハッタン計画に参加し、核開発・ロケット開発を行います。アメリカ軍の最高機密にアクセスできる立場でした。
 
ところが、1949年に毛沢東の共産中国が成立し、1950年にアメリカ政府の赤狩りが始まると逮捕され、1955年に中国に強制送還されます。アメリカという国に忠誠を誓っていた銭学森は人種差別に激怒して共産主義者となり、アメリカへの復讐を誓いました。当時、まったく科学の遅れていた中国で、強制送還から11年後の1966年には核ミサイルとシルクワーム・ミサイルを開発してしまい、毛沢東の親友となり、国家英雄となり、2012年には映画化されています。
 
銭学森氏はアメリカのマンハッタン計画に参加し、同時に中国の核開発とミサイル開発に関わるという、20世紀に生きた人物の中でも飛び切りの数奇な人生を送りました。その銭学森氏は 中国共産党・人民解放軍によって創設された超常現象研究の秘密組織、749局や人体科学研究の507所の中心人物でした。アメリカのDARPAやロシアのGRU(ロシア連邦軍参謀本部情報総局)にも当時、類似の組織があり、対抗して出来たともいわれています。
 
 
銭学森氏の盟友の気功師が厳新です。日本でも気功の本を出版しています。
 
 
中国最強の気功家 厳新―能力開発と長寿をかなえる気功法
ベースボール・マガジン社 (1989/03)

 
 
厳新気功学テキスト
ベースボール・マガジン社 (1990/06)

 
 
 
現代の気功研究では、科学哲学における疑似科学、科学史における政治と科学の関係性などの問題が横たわっています。また、現代中国では気功は疑似科学や法輪功などのカルト宗教の問題とからめて語られます。
 
また、歴史上の問題があります。多くの文献学的証拠から、日本の「霊術」である田中守平の「太霊道」が1910年から1920年の中国に伝播したことは確実なようです。田中守平は国家主義者です。この時代の霊術である「手のひら療治」の三井甲之は右翼思想家でした。レイキの臼井甕男の後継者、林忠次郎は海軍大佐であり、この時代の民間療法、ハンドヒーリングはやたらと軍人と右翼思想家が多い印象があります。イデオロギー的には、極右から中国共産党までを平等に客観的に扱う必要があります。
 
 
この時代のハンドヒーリングの一つを創った岡田茂吉は、岡田式指圧療法の治療院を経営する療術士でしたが、警察による療術取締を逃れるために新興宗教に看板を書き換え、世界救世教をつくり、ここから真光(まひかり)などの新宗教が派生していきます。海外では真光などの浄霊はハンドヒーリングとして研究者に代替医療扱いされている国もありますが、同時にカルト宗教と指定している国もあります。つまり、法輪功だけでなく、日本発現役カルト宗教もこの問題に絡んでくるわけです。
 
外気功やハンドヒーリングを学術的・客観的に扱うには、科学哲学や科学史などの見識を持ち、エビデンスに依拠しつつ、危険だらけの狭い隘路をバランスをとりながら歩く覚悟が必要になります。普通の学問とは難易度が違いすぎます。
 
 
 

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