鍼灸の弁証論治形成の謎

『【インタビュー】 譚源生氏に聞く 針灸の弁証論治形成の謎を解く』
http://www.chuui.co.jp/chuui_plus/001571.php


譚源生先生のインタビュー記事は必読です。

2006年に譚源生先生が修士論文を書かれました。

2006年「中華民国時代の鍼灸学の変化」
民国时期针灸学之演变
http://cdmd.cnki.com.cn/Article/CDMD-84502-2006086156.htm
http://blog.sciencenet.cn/blog-279293-1166019.html
(全文オープンアクセス)

2008年12月『中医臨床』(115号Vol.29-No.4)では、譚源生先生のインタビュー「針灸の弁証論治形成の謎を解く」が掲載されました。

2009年には譚源生先生の「針灸の弁証論治形成の謎を解く」の前中後編と成都中医薬大学の「経絡を主体とした針灸弁証体系の構築」という論文が『中医臨床』に掲載されました。

※「経絡を主体とした針灸弁証体系の構築」
梁繁榮et al.成都中医薬大学,
『中医臨床』 30(1): 134-137, 2009.

※「穴性理論の誕生から針灸処方学へ」
譚源生『中医臨床』 30(1): 126-133, 2009.

※「針灸治療は病位に, 中薬治療は病性にもとづく」
譚源生『中医臨床』 30(2): 286-292, 2009.

2011年には楊甲三先生の弟子にあたる趙吉平先生が以下のインタビューに答えています。楊甲三先生も趙吉平先生も経絡弁証が主であり、難しい症例には臓腑弁証を使うとインタビューでおっしゃっています。

※「弁証論治の鍼 いま中国では」
趙吉平『中医臨床』 32(4): 616-621, 2011.

2013年1月には北京中医薬大学の趙吉平先生の「経絡弁証は鍼灸臨床体系の核心」という論文が連続で掲載されます。

※「経絡弁証は鍼灸臨床体系の核心ー前編」
趙吉平, 陳晟『中医臨床』 34(1): 132-137, 2013.

※「経絡弁証は鍼灸弁証論治体系の核心ー後編」
趙吉平, 陳晟『中医臨床』 34(2): 292-295, 2013.

2013年末に黄龍祥先生が「穴性」に疑問をなげかけるインタビューを『中医臨床』が掲載し、さらに2014年初めに黄龍祥先生の論文が掲載されました。

※「黄龍祥先生に聞く ツボの主治症表記の標準化と鍼灸の弁証論治」
『中医臨床』 34(4): 600-604, 2013.

※「前編 しゅ穴主治の表記を標準化する」
黄龍祥『中医臨床』 34(4): 605-610, 2013.

※「後篇 兪穴主治の標準化と鍼灸の弁証論治」
黄龍祥『中医臨床』 35(1): 128-132, 2014.

2009年に 一橋大学で博士号を取得されたウチラルト先生の研究です。

「1950年代の中国気功の歴史」
QIGONG THERAPY IN 1950S CHINA
Utiraruto Otehode and Benjamin Penny
EAST ASIAN HISTORY 40 (2016)
http://www.eastasianhistory.org/40/Otehode-and-Penny

1948年に劉貴珍先生が河北省で共産党幹部を気功で治療しました。そこで中国共産党幹部の信頼を得ました。

1950年の中国「第1回全国衛生会議」で西洋医師は中国医学を学ぶできであり、伝統医師も西洋医学を学ぶべきであるという方針が確認されました。

1954年には毛沢東が「祖国医学の遺産を継承発展させる」「西洋医師が中医を学ぶ」ことを提唱しました。

1954年にこの方針転換によって唐山市氣功療法所が設立され、 劉貴珍先生が西洋医師に気功を教えました。

1955年12月に唐山気功研究グループは祖国医学に大きな貢献をしたとして、中醫研究院の創立式で賞を受賞します。

この1955年には劉貴珍先生の気功の論文が『中医雑誌』に掲載されました。

劉貴珍, ’ 在實驗研究中的中醫氣功療法, 中醫雜誌 10 (1955): 22–23.

1956年に劉貴珍先生は「先進的労働者」「労動模範」と呼ばれました。北戴河氣功療養院が設立され、ここで劉貴珍先生は劉少奇の妻や周恩来の兄弟を治療しました。
1956年に南京中医学院で呂炳奎編の『中醫學概論』がテキストとして使われます。この 『中醫學概論』 に気功は全面的に採用されました。これは9年後の1965年には日本で『中国漢方医学概論』(中国漢方医学概論刊行会)として翻訳出版されました。世界初の中医学の本であり、日本で最初に翻訳された中医学の専門書です。

中国漢方医学概論
南京中医学院 編 中国漢方医学概論刊行会 (1965年)
http://amzn.asia/aHFpGdL

1956年に書かれた 呂炳奎先生の南京中医学院編『中醫學概論』に「気功」が掲載されている理由が、この論文で初めて理解できました。

1956年には全國首次氣功療法培訓班が組織されます。上海の陳涛が劉貴珍より気功を学びます。

1957年、劉貴珍先生は 『気功療法実践』を出版して大ベストセラーになります。1957年、上海で上海気功療養所が陳涛所長、顧問は蒋維喬としてスタートします。蒋維喬は日本の岡田虎二郎の『岡田式静坐法』を翻訳しています。

1958年から毛沢東は大躍進政策をとります。 1958年8月30日に上海市で尹恵珠主任医師が世界最初の鍼麻酔手術を成功させます。

1959年、北戴河全國氣功經驗交流會が開催されます。

1961年、中国で全国86の気功施設ができました。ところが1962年には大躍進政策の失敗が露呈します。

1964年に劉貴珍先生は周潜川事件に巻き込まれます。周潜川はキリスト教を学んで海外留学し、英語とドイツ語を学び、峨眉功という気功を教えていました。周潜川がスパイ容疑で逮捕され、懲役15年の判決を受け、1971年には獄死します。

1965年に劉貴珍先生は共産党から追放されます。1965年から文化大革命が始まりました。

1966年、劉貴珍先生は文化大革命の中で「気功という毒を広めた人物」「反革命分子」と非難されます。

1969年、唐山市氣功療法所は閉鎖され、劉貴珍先生は労動改造収容所に送られ、公衆便所の掃除係とされました。

1974年に中国共産党は749局を秘密に組織し、銭学森氏が人体特異効能を研究し始めます。

1977年から郭林さんが郭林新気功を北京で普及します。

1980年に銭学森氏が人体科学を公然と研究し始めます。

1980年、劉貴珍先生は名誉回復されますが、中国で気功がブームになる前の1983年に逝去されました。

1956年、 呂炳奎先生が書かれた 『中醫學概論』に「気功」が入っている謎が2016年のウラチルト先生の論文で解明できました。

さらに真柳誠先生の以下の論文は承淡安先生の業績を知るのに必読です。

2006年「現代中医鍼灸学の形成に与えた日本の貢献」
真柳誠
『全日本鍼灸学会雑誌』56巻4号605-615頁、2006年8月
https://www.jstage.jst.go.jp/…/jjs…/56/4/56_4_605/_pdf/-chaj

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