『はりきゅう理論 第三版』について

 
『はりきゅう理論 第三版』が2021年4月25日に発行されました。いつも思うのですが、日本の教育は独特です。良い悪いではなくて、独特なのです。
 
まず、「教師の能力を信じ過ぎている」フシがあります。これは私個人の意見ではなく比較教育学者のご意見です。アメリカやロシアの教科書は分厚いです。これは教師の能力を信じていないから、教科書に基礎が網羅的に書いてあります。賢い子どもは教師の力量を超えて独学するため、アメリカやロシアは天才児や飛び級も多くなります。
 
日本の教科書はペラペラに薄いです。その分、優秀な教師は自分で資料を創り、良い授業をする余地が大きいです。しかし、良い教師に当たるのは宝くじに当たるように運任せです。大学でも教科書を読むだけ、20年来のノートを板書するだけの講師は実在します。
 
そこで教育熱心な親は子どもを私塾に通わせます。そこでは品質が保証され、受験に特化した高品質の授業と試験を受けることができます。凄まじい二度手間です。子どもは貴重な時間を塾に費やし、親は高い教育費用に苦しめられます。
 
子どもの偏差値は親の財力と相関関係があることは日本の教育学の常識となっています。この矛盾を倫理的に許容してきた日本の教育学者には倫理や教育を語る資格は無いと思います。
 
日本の鍼灸教育も、良くも悪くも日本独特の教育観に影響されています。『はりきゅう理論』の教科書はペラペラに薄いです。日本にも世界レベルの研究者の先生がいます。世界レベルの知識を持った、教育熱心で人格的にも優れた教師に恵まれたら、良い資料と講義によって、ものすごく『鍼灸治効理論』に詳しくなれる可能性があります。やる気の無い教師に当たれば教科書を読むだけです。『経絡経穴概論』の教科書には主治は書かれておらず、教員が補うわけです。教員の能力を信じ過ぎています。
 
1991年冷戦終結、1995年のウィンドウズ95発売以降のインターネット革命により、世界は教育革命・知識革命の時代を迎えており、1980年代まで世界最高品質の教育を誇った日本は、その成功ゆえにインターネット知識革命に乗り遅れました。
 
さらに鍼灸学校教育は最低限度となっており、ここでも私塾が隆盛を極めており、多くの一流臨床家は私塾で優れた師匠や先輩から技術や経営のコツなどのノウハウを伝授されるわけです。日本は伝統的に私塾こそが教育を担っており、それが多様な流派という日本の良さにも繋がっているから良い悪いを論じているわけではありません。ただ、ここでも学生には財力や運の良さが求められます。しかし、それらに頼らなければいけないのは教育の敗北、否定だと後世に言われても仕方がないと思います。
 
私は師匠にあたる方に、ある時期から西洋医学の『カラー版 アンダーウッド病理学』『トートラ人体解剖生理学―からだの構造と機能』『ブラック微生物学』『ガイトン臨床生理学』『カプラン臨床精神医学テキスト』『Macnab腰痛』『ロビンス基礎病理学』『グレイ解剖学』などアメリカの医学教科書を勧められ、講義していただきました。最初の数年はみっちりと講義されましたが、基礎さえできたらアメリカの医学教科書は完全に独習可能で、あとはリンク先の最先端の論文を読んでいくだけです。この経験で私の教育観は変わりました。これらの書籍は目の玉が飛び出るくらいに高価ですが、分厚くて、教科書一冊あれば、あとは基礎をつくるために何度も精読すれば十分です。
 
 
【リスク管理】
リスク管理として、2000年から2020年までの新知見である「鍼によるマイコバクテリウム感染」は記述すべきだと思います。中国では鍼による結核菌感染アウトブレイクが、韓国では鍼による非結核性抗酸菌感染アウトブレイクが起こっています。
 
 
2014年韓国「(鍼による)足の裏の皮膚マイコバクテリウム感染」
Cutaneous Mycobacterium massiliense Infection of the Sole of the Feet 
Annals of Dermatology 2014 Feb; 26(1): 92–95.
Published online 2014 Feb 17.
 
 
2015年中国「鍼経穴刺鍼による肺外の結核感染アウトブレイク」
Outbreak of extrapulmonary tuberculosis infection associated with acupuncture point injection
Z. Jia et al.
Clinical Microbiology of Infection
April 2015Volume 21, Issue 4, Pages 349–353
 
 
2018年日本「肺から鍼灸針を除去したあとに進行した肺マイコバクテリウム・アビウム症」
Lung Mycobacterium avium developed after removing an acupuncture needle from the lung
Mikihito Saito et al.
Respirology Case Reports 2018 Jan; 6(1): e00279.
Published online 2017 Nov 8.
 
 
 
2000年代から2010年代の20年間に鍼による感染症として、韓国、中国でアウトブレイクが起きています。倫理的に考えて、鍼によるマイコバクテリウム感染についての世界的な研究を踏まえたうえで何らかの記述があって欲しいです。
 
 
 
【鍼によるマイコバクテリウム感染】
鍼によるマイコバクテリウム感染は、2001年に香港大学のパトリック・ウーによって『ニュー・イングランド・ジャーナル・オブ・メディスン(NEJM)』に最初に報告されました。
 
 
2001年『ニュー・イングランド・ジャーナル・オブ・メディスン』
「鍼によるマイコバクテリウム感染」
Acupuncture Mycobacteriosis
 
 
2013年に発表された「鍼の有害事象:症例報告のシステマティックレビュー」という論文があります(Adverse Events of Acupuncture: A Systematic Review of Case Reports Evidence-Based Complementary and Alternative MedicineVolume 2013 (2013)
 
上記の論文では、2002年に香港、2006年にカナダと韓国、2008年にオーストラリア、2010年に韓国で、鍼が原因のマイコバクテリウム感染アウトブレイクが報告されています。特に韓国では2006年に40人、2010年に109人の患者が感染しています。
 
2006年韓国の韓医学クリニックでの40人の感染アウトブレイクは、ディスポ鍼を使っていましたが、患者は体にマイコバクテリウムによる複数の皮膚所見が見られました。組織生検によって感染が確認され、抗生物質で治療されました。報告によれば、これらの患者は、ホット・パックとジェル・マッサージを鍼治療後に受けていました。ホット・パック器材の消毒とタオルの変更後に感染症例が報告されていないことから、この報告の著者は感染アウトブレイクは鍼を抜いた後に使う器材の不十分な消毒と報告しています。
 
 
2009年の韓国の鍼クリニックでの109名の患者の感染アウトブレイクでも、患者は最低でも1箇所は皮膚所見を持っていました。ここでも報告者は使い捨て鍼が使われているので、鍼以外が感染源と断定しています。感染した患者は全員が干渉波治療や低周波治療を受けていました。報告の著者は、治療器具を殺菌するための消毒液が数カ月前につくられたものが使われていたことを発見しており、それによる汚染がマイコバクテリウム・アブセサスのアウトブレイクの原因だと考えられています。
 
従来、鍼による感染症は単回使い捨てのディスポーザブル鍼の導入によって防止できました。しかし、この韓国の鍼クリニックの皮膚感染症アウトブレイクは、タオルやマッサージジェルや干渉波治療器具などの鍼以外のものです。 
 
 
2013年2月に発表されたサンパウロ大学の『鍼による非特異的マイコバクテリウム感染:統合的レビュー』では、いままで文献上で報告されたマイコバクテリウム感染を概括しています。
 
 
2014年2月17日に出版された韓国のオープン・アクセス・ジャーナルの『アナルス・オブ・デルマトロジー』掲載「足裏の皮膚のマイコバクテリウム・マシリエンス感染(Cutaneous Mycobacterium massiliense Infection of the Sole of the Feet Annals of Dermatology 26(01): 92〜95」でも鍼によるマイコバクテリウム感染を報告しています。
 
 
そして、2014年6月24日『プロスワン』の「鍼による結核の30人の患者の分析(Analysis of 30 Patients with Acupuncture-Induced Primary Inoculation Tuberculosis)」という論文の発表となりました。
 
 
2014年12月『国際感染症雑誌』掲載の論文
「2012年中国浙江省のプライベートクリニックにおける鍼による結核感染アウトブレイク」
An outbreak of Mycobacterium tuberculosis infection associated with acupuncture in a private clinic of Zhejiang Province, China, 2012
International Journal of Infectious Diseases
Volume 29, December 2014, Pages 287–291
 
 
おそらく原因は以下です。
 
高圧蒸気消毒器(オートクレーブ)と紫外線ランプがそのクリニックでは鍼の殺菌に十分に働いていなかった。
 
中華人民共和国における感染防御の技術基準(2002年版)によれば、鍼は高圧蒸気で滅菌しなければならない。クリニックの管理者は小さなポータブル蒸気消毒器を使って鍼を消毒しており、この情報は記録されていた。
 
 
 
単回使い捨てディスポーザブル鍼ではなく、鍼を高圧蒸気滅菌消毒器で消毒する方法は、高圧蒸気滅菌消毒器の調子が悪いと消毒が不十分になる危険性があります。
 
 
 
【マイコバクテリウム感染防御の鍼治療手順】
2011年9月に香港大学医学部感染防御のパトリック・ウーが『鍼の感染症』という論文の中で、マイコバクテリウム感染防御の手順を記述しています。知っておくべきなのはマイコバクテリウムはアルコールの中で45秒程度生存できるという実験結果です。
 
(1)石けんや流水で手のホコリなどを洗い流し、乾燥させる。サージカルマスクが望ましい(肺MAC症などの予防のため)
 
(2)ヒビスコール(グルコン酸クロルヘキシジン+エタノール)を手に刷り込んで手指消毒する。
 
(3)患者の皮膚をアルコール綿花で消毒する。アルコール綿花は1枚ずつ分包されているものが望ましい。または密封された75パーセント以上の濃度のアルコールを治療当日に綿花でつくる(綿花の作り置きをしない)。
 
(4)アルコールが乾燥するまで1分間待つ。複数置鍼するのなら、多くの場合、他の場所を消毒している間に一分間が経過する。
 
 
 
Acupuncture Transmitted Infections
Patrick CY Woo
Acupuncture – Clinical Practice, Particular Techniques and Special Issues
 
 
 
しかしながら、われわれの実験結果ではマイコバクテリウムはアルコール中でも45秒間は生存できる。(Woo et al., 2002).
 
そのために、皮膚消毒時間は患者に鍼を挿入する前に1分間が推奨されます。消毒のための十分な時間を確保するために、鍼を刺入する一連の場所を消毒して、それから順番に鍼を刺入していけば良い。
 
 
 
 
鍼によるマイコバクテリウム感染予防に関しては、アルコール綿花で皮膚消毒してから乾燥まで1分間待つという手順と、タオルやホットパック、干渉波などの機器の衛生管理、さらに高圧蒸気滅菌消毒器の管理という衛生に関する総合的な知識が必要となります。
 
もし、上記の2001年から2021年にかけてのマイコバクテリウム感染と鍼に関する国際的な20年に渡る科学的研究の蓄積が、改定された『はりきゅう理論』に反映されていないとすれば、リスク管理の記述として、少なくとも最新の知識にアップデートされたとは言えないと思います。
 
 
2020年3月『国際感染症学会雑誌』
「非結核性マイコバクテリウム感染症:無視されて勃興しつつある問題」
Non-tuberculous mycobacterial infections—A neglected and emerging problem
Imran Ahmed et al.
Int J Infect Dis . 2020 Mar;92S:S46-S50.
Published:February 27, 2020DOI:https://doi.org/10.1016/j.ijid.2020.02.022
 
 
以下、引用。
 
環境の中での繰り返しの非結核性マイコバクテリウムへの曝露は感染につながり、感染症はエアロゾルやシャワーによる吸入と外傷・美容外科手術・鍼治療による注入によって起こる。
 
 
国際感染症学会雑誌に「非結核性マイコバクテリウム感染は鍼治療によって起こる」と書かれてしまっています。プロフェッショナルなら「どのような消毒手順なら、マイコバクテリウム感染が鍼で起こることを予防できるか」について科学的知識を持つべきだと思います。
 
 
 
 

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