戦前の「満洲の漢薬」と阿片

 
2021年7月
『 十五年戦争極秘資料集 補巻52 東京大学薬学図書館薬史学文庫所蔵「北支関係・満洲関係」綴 全3冊』
 
 
以下、引用。
 
戦時下の北支・満洲の漢薬調査資料を収録。
蒙疆地区の阿片の歴史、生産、流通などにつき詳述された資料も含む。
“日中戦争期の未開拓分野解明に資する歴史史料”
——津谷喜一郎(元日本薬史学会会長・元東京大学大学院薬学系研究科特任教授)
◎推薦=津谷喜一郎
 
 
まさか『鍼のエビデンス』(医道の日本2009年)の著者、津谷喜一郎先生の名前を、個人的趣味の近現代史研究の重要文献の推薦人として見ることになるとは…。驚愕しました。
 

 
 
しかも、2021年7月に出版される資料の価値はおそらく超弩級の衝撃レベルです。2014年7月に出版された『米国国立公文書館機密解除資料CIA日本人ファイル』(現代史料出版)以来の衝撃がある予感がします。
 
 
1991年の冷戦集結以降、クリントン政権下の1994年にCIAが極秘指定した日本関係の国立公文書館の機密資料が大統領命令で次々に情報公開されて、研究文献が出版されるたびに、現代史の研究者たちは腰が抜けるほどの驚きを感じてきました。いままで信じていたこと全てがひっくり返る衝撃の事実の連続でした。
 
特に児玉誉士夫、笹川良一といった戦後の右翼フィクサーとCIAのつながりが公文書で暴露され、岸信介など全ての人脈が戦前の満洲や中国の阿片ネットワークと繋がることが公式文書から判明しました。現代の政治のキープレイヤーの全員が、戦前の満洲のアヘン・麻薬ネットワークとつながりを持ち、その人脈がそのままCIAの戦後の対日工作と関係していました。ロッキード事件などの戦後の疑獄事件の謎が解けていきます。
 
 
2014年7月の『米国国立公文書館機密解除資料CIA日本人ファイル』の出版は文字通り、現代史研究者たちの世界観・歴史観を変えました。しかし、このエビデンスに基づく史実が世間に流通することは決してないと確信しています。政府の公文書を、現代史を専門とする大学教授たちが資料に基づいて研究したものにも関わらず、いまだに世間に流通していないのは、受け取り側が認知的不協和を起こしてしまうからです。おそらく、現代に生きる日本人のほとんどは史実を知ることなく無明の闇の中に生まれ落ち、その中で死んでいきます。私は単純に運が良かっただけです。
 
 
1840年から1842年には清朝中国VSイギリス大英帝国でアヘン戦争がありました。アヘン戦争で負けた中国は広東などを開港し、そこからアメリカ大陸横断鉄道建設のために、中国人建設労働者、クーリー(苦力)が中国マフィア紅幇からラッセル商会の蒸気船でアメリカに運ばれます。このアメリカ大陸横断鉄道を造った中国人建設労働者にもアヘンが売られました。
 
 
ラッセル商会の中心メンバーであるジョン・マレー・フォーブスの子孫が、アメリカのジョン・フォーブス・ケリー国務長官でした。ラッセル商会が扱っていたのは、トルコ産アヘンとお茶と中国人苦力です。
 
 
ラッセル商会のメンバーであり、広東でアヘンを商売していたウォーレン・デラノの孫がフランクリン・デラノ・ルーズベルト大統領です。
 
 
1885年にはアメリカでコカ・コーラの原型となったフレンチ・ワイン・コカが売り出されます。これはアメリカ人のアヘン中毒を治すために薬剤師によって売り出された「植物コーラとコカイン入りのフレンチ・ワイン」です。確かにアヘン中毒は治るかも知れませんが、代わりにコカインとアルコールの中毒になります。このアヘン中毒の治療薬、フレンチ・ワイン・コカが禁酒法でアルコールを抜いて、紆余曲折を経て現在のコカ・コーラになりました。イギリスでも、この時代のシャーロック・ホームズはコカイン中毒になっています。
 
 
1895年に日本は台湾を割譲され、台湾総督となった後藤新平は神戸の財閥、エドワード・ハズレット・ハンターにアヘン膏を創らせ、台湾で専売をはじめます。さらに中国の関東軍がアヘン販売をはじめました。このアヘン生産は日本のビッグビジネスとなります。
 
 
1915年からはSF作家、星新一ゆかりの星製薬がアヘン生産をはじめます。第1次世界大戦中は星製薬、三共製薬、大日本製薬がアヘン生産で大もうけします。
 
 
1920年、星製薬はコカインも生産しはじめます。戦前の日本産アヘンの原料のケシの供給地は大阪と和歌山県です。大阪茨木市出身の二反長音蔵という「日本の阿片王」と呼ばれる人物が大阪でケシ栽培を始め、1928年には日本のケシ生産のほとんどは大阪府と和歌山県で生産されるようになりました。そして日本はアヘン、モルヒネ生産大国となり、ヘロイン、コカインの生産も世界一となります。しかし、日本国内では医療用にわずかなモルヒネが使われるだけであり、これらは全て植民地に輸出されました。
 
 
以下、倉橋正直著、『阿片帝国・日本』(共栄書房、2008年)より引用。

 
戦前の日本は、なくても全く困らないヘロインを全世界の生産額の四割も作っていた。これを麻薬大国といわずしてなんと言おうか。
 
 
 
当時の中国は、アヘン戦争の影響でアヘン窟がたくさんあり、さらに地方の軍閥もアヘンを資金源としていました。日本の関東軍も第一次世界大戦のドイツから奪って占領した山東省遼東半島でアヘンを売って莫大な利益を得ました。
 
満州で関東軍が占領した熱河は良質アヘンの産地で、日本は熱河でのみケシを栽培させて収穫したアヘンを専売し、毎年、莫大な利益を得ました。これらは全て日本政府が売っていた合法的な麻薬です。
 
しかし、中国本土では日本は満州のようなアヘン専売制はとれませんでした。中国の軍閥が中国人自身にアヘンを売っていたからです。
 
以下、引用。
 
占領地域の中国人アヘン中毒者にアヘンを売りつけるために、日本側と中国側は裏社会で激しく争った。こういう仕事に軍人は不得手であった。それで日本軍は中国の裏社会に詳しい大陸浪人を利用した。里見甫がその代表であった。一方、海軍もおくれて陸軍のマネをし、海南島でアヘンをつくらせた。海軍の代理人が児玉誉士夫であった。
 
アヘン政策を(日本)国内では内務省・厚生省が担当した。植民地や外地では軍部や植民地庁、興亜院などがアヘン政策を担当した。これらの組織はみな国家組織である。したがって、日本のアヘン政策は国家的犯罪ということになる。
 
彼らはそのことをよく承知していた。だからアヘンに関することは極力隠した。国際的にも、また、国民の目からも隠した。関係資料も組織的かつ意識的に隠滅した。統計資料も出さない。秘匿の程度は軍事機密に次いだ。実際、内務省・厚生省・興亜院などのアヘン政策に関する資料は今日もなお公開されていない。日本のアヘン政策は戦後の東京裁判でごく一部、問題にされる。しかし、この問題で処罰された人はいない。資料が整わなかったためであろう。その意味では当局の資料隠匿作業が功を奏する。内務省・厚生省や軍部および製薬会社は、この問題に限れば、戦争責任を追及されることはなかった。このため、国民は日本のアヘン政策について基本的に知らされていない。
 
 
 
日本の歴史で、大陸のアヘン、麻薬と関わったのは岸信介、池田勇人、大平正芳、児玉誉士夫、笹川良一など戦後のビッグネームたちです。麻薬まみれの戦後の保守本流です。蒙古聯合自治政府の経済運営は興亜院の官僚、大平正芳、のちの首相が担当しており、財政はアヘン栽培が支えていたことはウィキペディアにさえ載っています。大平正芳首相は1980年に亡くなり、研究者によって大平首相が満州の初期のアヘン経営者であったことが解明されたのは2000年代です。
 
 
「大平正芳と阿片問題」
『龍谷大学経済学論集』
第49巻第1号 2009年9月
 
 
これらの現代史は、1991年の冷戦終結と1992年以降の情報公開の流れの中で、30年かけて研究されてきた新事実ばかりであり、わたしも10年以上研究していますが、いまだに毎年、驚きの連続です。
 
 
日中戦争末期の『蒙疆地区の阿片の歴史、生産、流通などにつき詳述された資料』は、日本の官僚たちが敗戦直後に全て焼却して証拠隠滅したとされてきたので、2021年7月に出版されるのは大きな驚きです。
 
 
 
 

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