田代三喜の子孫と芦田家の意斎流の鍼術『松江藩の医師と医術 』

 
 
 
 
以下、引用。
 
松江、鳥取の両藩に仕えた医者の田代家がまつった薬師如来坐像や、松江市名誉市民の俳優・芦田伸介(1917~99)の生家で鍼術を担った松江藩医の芦田家に伝わった文書などを紹介する展示「松江藩の医師と医術―田代家と芦田家」が松江歴史館(松江市殿町)で開かれている。10月3日まで。
 
同館によれば、田代家では江戸時代後期、国学者・本居宣長の門人で伯耆国・米子(鳥取県米子市)の文化活動を担った鳥取藩医・田代恒親が薬師如来坐像を制作した。田代家の先祖は室町時代、当時の中国の最新医学を日本にもたらした田代三喜で、僧医だった三喜の医術には仏教的な要素が含まれ、その施術では「医王」である「薬師如来」の存在を重視した。これに対し、三喜の弟子・曲直瀬道三は三喜の仏教的要素を取り除き、江戸時代の漢方医学の一大勢力となった。
 
薬師如来坐像は、体内から見つかった銘文から文化7(1810)年制作であることが判明した。銘文は薬師如来を「医王の肖像」としている。体内からは薬師三尊像や十二神将像も発見され、三喜の思想を受け継ぐ家ならではの仏像といえるという。
 
一方、芦田家は松平家松江藩初代藩主の松平直政に鍼術で召し出され、歴代、松江藩に仕えた。松江市が購入した芦田家の古文書218点のうち55点が鍼灸関係だ。鍼術には様々な流派があり、芦田家は当初、現在の岡山県津山市から意斎流などの鍼術を持ち込み、後に別の流派のものを用いるようになったという。今回は通常の経脈(正経)ではない経脈を示す図が展示されている。
 
 
 
意斎流の鍼術や経脈図には興味があります。
10月3日で終了なのは残念です。
 
 
昨年、研究して、田代三喜の仏教医学と曲直瀬道三の李朱医学がずいぶん違う印象を受けました。鳥取に田代三喜先生の子孫がいて、仏教医学要素を受け継いでいたとは。
知らないことばかりです。
 
 
 

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