魏晋南北朝や五胡十六国時代、六朝時代は本当に暗黒時代だったのか

 
佐伯 路子, 高橋 幸, 松元 丈明, 木下 晴都
『全日本鍼灸学会雑誌』1985 年 35 巻 3-4 号 p. 215-225
 
 
以下、引用。
現行経穴名での記載は、「素問」単独で15穴、「霊枢」単独で77穴、「素問・霊枢」の両書では46穴であり、その合計は138穴であった。なお「内経」には現行経穴名と同部位の経穴を別名称で記載しているものが25穴あり、合計の経穴数は163穴であった。
 
 
 
馬王堆医経に取り組んでいると、どうしても経穴の問題が出てきます。
『黄帝内経』では、わずか138穴しか記載されていません。
『明堂』は349穴ですが現存せず、『鍼灸甲乙経』も『明堂』を引用していますが、著者は皇甫謐ではないようです。
 
春秋戦国時代から秦漢時代と、魏晋南北朝時代の間には断絶があり、大きな謎として横たわっています。
 
 
しかし、同時に魏晋南北朝や五胡十六国時代、六朝時代をつぶさに見ると「本当に暗黒時代だったのか」という疑問に駆られます。
王叔和が『脈経』を書き、葛洪が『肘後備急方』と『抱朴子』を書き、陶淵明や王羲之や『文選』の時代が暗黒時代というのは本当でしょうか。
 
 
北朝では竜門や雲高の石窟寺院が花開き、仏図澄や鳩摩羅什が活躍し、廬山の慧遠が中国・浄土教をつくった時代です。
法顕がインドに渡った時代です。
むしろ周辺である異民族と異文化の流入で活性化した時代なのではないでしょうか。
 
 
 

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