【BOOK】『倭の五王 – 王位継承と五世紀の東アジア』

 
 
河内春人(こうち・はるひと)
中央公論新社 (2018/1/19)
 

1970年生まれの河内春人先生は関東学院大学の准教授です。
 
倭の五王』はものすごく面白く、調べてみたら第6回古代歴史文化賞優秀賞を受賞し、Amazonレビューでも絶賛されていました。納得の評価です。
 
 
後漢の光武帝・劉秀が倭に金印を送り、『三国志』魏書・東夷伝(いわゆる魏志倭人伝)に登場してから、魏晋南北朝の南朝の宋代まで、日本人は中国に遣使を送っていません。
 
西暦421年に倭王・讃(さん)が南朝の宋の武帝に遣使しています。
 
そこから、讃・珍・済・興・武の倭の五王が中国の南朝に遣使します。
 
この時代は、中国の北は五胡十六国の時代であり、南は呉・東普・宋・斉・梁・陳の六朝文化の世界です。
 
さらに、朝鮮半島には高句麗・百済・新羅の三国が割拠している時代であり、倭(日本)も朝鮮半島に拠点をもっていた時代です。
倭の五王 – 王位継承と五世紀の東アジア』は、まさに中国大陸と朝鮮半島の情勢から倭の五王を分析するという画期的視点が新鮮です。
 
 
そして、この時代は百済や新羅から明堂図や医博士・易博士・仏教などが日本に伝来した時代でもあります。
小学校や中学校、高校でひっかかっていた日本史の謎がかなり解明されており、ものすごく面白かったです。
 
また、この時代の朝鮮半島の歴史を理解しないと、結局、隋と唐がなぜ高句麗を何度も攻撃したのかが理解できません。
 
642年 百済と高句麗が新羅を攻撃。新羅は唐に救援を依頼。
644年 唐の太宗が高句麗へ遠征するが、失敗する。
645年 大化の改新(蘇我入鹿を暗殺)
649年 唐の高宗(649-683)が高句麗を攻撃。
660年 唐が百済を攻撃。百済の滅亡
663年 白村江の戦い(唐・新羅VS日本・百済遺民)
668年 高句麗の滅亡(唐・新羅連合軍)
 
 
また、魏晋南北朝から唐末五代にかけての「三武一宗の法難」という仏教弾圧は、汎東アジア現象であり、北中国の北魏、唐、北周、後周で仏教は弾圧され、朝鮮半島でも仏教への反発があり、なんとチベットでも同じ時期に仏教が弾圧されていたという歴史に驚きました。
 
インド由来の仏教は、東アジアに定着するのに数百年を要したようです。日本の歴史の空白部分を埋める名著だと思いました。
 

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