『AERA』 「気功はがん治療における中国医学のエース」

 
2021年10月25日『AERA』
「気功はがん治療における中国医学のエース」と帯津医師直観 ブームと逆風
 
 
以下、引用。
 
【ブーム】ポイント
(1)星野稔さんと津村喬さんが日本での気功の先駆者
(2)気功の普及にNHKの番組が大きな影響を与えた
(3)ブームとは別に気功の素晴らしさはずっと変わらない
 
図説気功法―決定版』(柏樹社)という本があります。1984年4月の発行で、筆者は星野稔さんと津村喬さんです。このお二人は日本における気功の先駆者です。この本は当時まさに「決定版」でした。
 
私が気功に出会ったのは、80年9月、北京の肺がん研究所附属病院の中庭でした。その頃、日本では気功が一般的ではなくて私自身、まだ目にしたことがありませんでした。一方、中国では文化大革命によって衰退した気功が復活して、気功ブームが始まっていました。
 
私は気功を一目見ると、これこそ、がん治療における中国医学のエースだと直観しました。そこで、北京の新華書店で気功に関する本、二十種類をすべて買い込んで、日本に持ち帰ったのです。
 
このとき、星野さんと津村さんのお名前は知っていましたが、まだ面識はありませんでした。その後、親しくお付き合いさせていただきました。
 
それから日本でも徐々に気功が知られるようになりましたが、その普及に大きな影響を与えたのが、NHKの番組ではなかったかと思っています。
 
92年の2月ごろ、NHKの教育テレビ(当時)の方が私を訪ねてきました。すでに楊名時先生の健康太極拳が番組で紹介されていて、次は気功の番組を作ることになったというのです。楊名時先生に「気功のことは帯津先生と相談したらいい」と言われて来たといいます。最初は「講師の人選をお願いします」という依頼だったのですが、その2、3日後に「上層部のOKが出ました。でも講師を選んでいる時間がありません。先生がやってください」と言ってきたのです。
 
青天の霹靂でしたが、病院の気功道場のスタッフを総動員して、これに応えることにしました。この「気功専科」という番組は92年4月から12回放送されました。
 
この放送が始まると、旧知の公益財団法人の常務理事(のちに理事長)から「うちで気功の教室を開きたいので、講師をして欲しい」と電話が入りました。実は彼は以前からその計画を持っていたのですが「気功にはいかがわしさが漂っている」と二の足を踏んでいたのです。ところがNHKの放送で「もう気功は市民権を得た。大丈夫」となったのです。NHKの権威は偉大だと感心しました。
 
中国での気功ブームは99年に中国政府が気功のなかで一大勢力だった法輪功を全面禁止にして抑え込んだことから下火になります。日本では90年代に発覚したオウム真理教事件が気功にとって逆風になりました。星野さんと津村さんは残念ながらお二人とも昨年、亡くなりました。
 
 
星野稔先生が亡くなられたことも知りませんでした。
 
【日本の気功の歴史】1979-2004
1981年:星野稔、導引研究会設立。
1981年:津村喬、神戸太極拳同好会創設に参加
1982年:星野稔、北京体育学院留学。同院、人民大学で気功を学ぶ。
1984年:『図説気功法―決定版』 津村喬、星野 稔 柏樹社 (1984/04)
1985年:星野稔、焦国瑞と出会う。
1990年:『気功学の未来へ―焦国瑞対談集』 焦 国瑞 (著), 間中 喜雄 (著), 湯浅 泰雄 (著), 池見 酉次郎 (著), 星野 稔 (著),
1991年:人体科学会( Society for Mind-Body Science)設立。『人体科学』
1992年:帯津良一『NHK気功専科』 日本放送出版協会
1993年:津村喬『NHK気功専科Ⅱ』日本放送出版協会
1993年:津村喬『東洋体育の本』
1993年: 町好雄 『「気」を科学する』 東京電機大学出版局 (1993/5/1)

1994年:帯津 良一『図解 気功のすべて
 

 
1995年:国際生命情報科学会(ISLIS:International Society of Life Information Science)創設。
1995年3月:オウム真理教の地下鉄サリン事件
1996年:『超心理学研究』発刊。
1999年:中国で法輪功事件
2004年:中国・体育総局は「健身気功」を発表し、実質的に中国では気功は禁止される。
 
 

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