鍼刺麻酔

 
 
2022年01月11日『平陽新聞網』
「中西医結合が希望を創造するー全国の鍼刺麻酔の臨床研究領域の第1人者、周嘉に関するメモ」
结合中西医 创造新希望 ——记全国针刺麻醉临床研究领军人才周嘉
 
 
以下、引用。
 
1958年の最初の鍼灸麻酔手術以来、麻酔の代わりに鍼灸の麻酔効果を検証するために、麻酔なしの単純な鍼灸麻酔技術が強調されてきた。
 
鍼灸麻酔の原理に関する研究が継続的に深まるにつれて、周嘉はそれがより広い応用の見通しを持っていることを発見した。2010年以降、肺、脳、腹部、骨盤、肛門直腸、手足などの手術に最新の鍼麻酔技術が適用され、影響は手術から周術期全体に拡大している。
 
 
1958年8月30日、上海市第一人民医院耳鼻咽喉科で尹恵珠主任医師が合谷の鍼麻酔を使い、扁桃腺摘出手術に麻酔薬を使わずに扁桃腺の摘出手術を行いました。
 
1971年7月26日にジェームズ・レストン記者が鍼麻酔について書いた「北京での私の手術について今語る」という記事が『ニューヨークタイムズ』に載ります。
 
 
ジェームス・レストン「北京での私の手術について今語る」
James,Reston, “Now, About My Operation in Peking”
, New York Times, July 26, 1971
 
 
虫垂炎の手術を受けたレストン記者が、次の日になって腹痛と吐き気を訴え、手足のツボに鍼されたことで症状がなくなったことを報道しました。ここから世界的な鍼麻酔ブームが起こります。
 
以下、引用。
 
1971年にアメリカのキッシンジャー国務長官が訪中した際に随行した『ニューヨークタイムズ』の記者レストンが虫垂炎となり、薬物麻酔で虫垂切除手術をしたが、術後2日目に腹痛を起こし、20分間の針灸治療で疼痛が緩和した。その効果がよかったことをニューヨークタイムズで報道した。
 
1972年、アメリカのニクソンが訪中した際に鍼麻酔手術を目撃して、それからアメリカでは鍼灸フィーバーが出現した。
 
それからの20年で、中国は200万件の鍼麻酔手術をおこなった。しかし、20世紀の1990年代となって、大多数の医院は針麻酔手術を停止した。ただ、上海の5つの病院(上海华山医院、仁济医院、第一人民医院、复旦大学附属眼耳鼻喉科医院、肺科医院)は停止しなかった。復旦大学付属華山医院は脳手術を複合鍼麻酔していたし、上海第1人民医院は腎臓移植手術に用いていた。復旦大学付属眼耳鼻咽喉科医院は喉の形成手術に用いていた。仁済医院は体外循環心内直視下手術に用い、肺科医院は腫瘍の手術に用いていた。
 
なぜ、過激な針麻酔手術は多くの医院で停止されたのか。岳陽医院の周嘉院長が新聞記者に言うには、20世紀の70年80年代では、全国各地の病院で、およそ考えられる限りの一切の部位、頭から足まで、はげしく、盲目的に外科手術の範囲が広げられた。 周嘉院長が指摘するには、20世紀の1990年代に多くの医院が針麻酔を停止したのは、当時の針麻酔がどんな病気に適応なのか、理論的支援が欠乏し、同時に手術の経済効果が不明瞭だったからであると指摘した。
 
もし、針麻酔をわれわれがしないなら、その技術は失伝する可能性があり、われわれは後世に伝える責任がある」と 周嘉院長は言う。針麻酔手術は、長年、疑問を呈され、理論的束縛があり、どのような病気に効果があるかは不明で、経済的利益は未知であり、科学研究の支援は不足し、医学方面の才能も欠乏している。技術を研鑽する機会がなく、探索がなければ、臨床に空白ができて、技術をもった専門家がいなくなってしまう。
 
※「大流行の後で衰えてまた勢いを盛り返す?上海岳陽医院は新しい病気に針刺麻酔を用いる」、澎湃新闻、2018-05-25より引用
 
 
1982年に周嘉先生は上海第二医科大学に入学します。
 
1989年に周嘉先生は上海第二医科大学を卒業して仁済病院に入局し、ファロー四徴症の心臓手術で知られた張志梁教授に師事します。
 
1989年から1999年で、周嘉先生は主治医となります。
 
1999年から周嘉先生はアメリカ・コネチカット州ハートフォード心臓センターに留学して執刀します。
 
2001年にアメリカから帰国し、2001年7月にはじめて鍼麻酔の手術をおこないます。
 
2005年にイギリスの撮影チームが来て、鍼麻酔手術を放映しました。
 
2006年7月に心臓外科部長となります。
 
2006年8月に鍼麻酔を用いた開心手術を行います。
 
1990年代から2018年まで、中国でも鍼刺麻酔は衰退していました。
 
 

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