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耳介療法の歴史

 
2020年5月 ラファエル・ノジェ
「耳介療法の歴史」
L’histoire de l’auriculothérapie
 
 
以下、引用。
 
1951年にフランス・リヨンの医師、ポール・ノジェは、耳に紅斑のある患者に出会いました。
 
 
整形外科医、ノジェの患者は、座骨神経痛に苦しんでいたのですが、マルセイユの女性、マダム・バリンによる耳の焼灼治療を受けて、すっかり良くなったというのです。
 
ポール・ノジェが1956年にマルセイユの地中海鍼学会会議で、耳介に投影されたゾーンやポイントを口頭で発表しました。この発表を聴講したゲルハルト・バッハマンがノジェの耳鍼を1957年の『ドイツ鍼雑誌(Deutsche Zeitschrift für Akupunktur)』に発表しました。このドイツのバッハマンによるノジェの耳鍼の紹介が、日本の長浜次男によって『医道の日本』1957年9月号「耳の刺鍼治験 バツハマン(独)」p25~26として翻訳されました。
 
 
さらに、1958年12月の葉肖麟先生による『上海中医雑誌』の紹介で、中国にフランスのノジェの耳鍼が伝播しました。
 
 
1958年「中国国外の針刺治療法の新発展ー耳針療法の紹介」
国外针刺疗法的新发现——耳针疗法介绍
叶肖麟 《上海中医药杂志》 1958年12期
 
耳针疗法系法国医学博士P.Nogier氏所发现,彼长期从事于耳针的研究工作,经历六年余,通过无数病例的观察,结果证明:外耳并非单纯为一弯曲软骨,它是与内脏器官存在着密切的关系,内脏疾患大致能在耳郭有相应的反应点出现.经过精密的观察、分析、修正后,初步将人体各部在耳郭的反应区及反应点加以确定.这在医学上确是一项新的发现.耳针疗法主要适用于治疗各种疼痛疾患,疗效显著.此外,对脏器机能障碍,亦有效果.1956年2月,Nogier氏在Marseille召开
 
 
明確に治療ポイントは耳の反応点であると書かれています。この『上海中医雑誌』を読んだ上海第1医学院中山医院が、耳針で肩の治療を行い、1959年4月、中国『大衆医学』に「針刺耳廓全身疾患」を発表しました。
 
これを、さらに南京の人民解放軍の軍医たちが2,000人以上の患者で検証し、1972年12月に上海人民衛生出版社より南京部队某部《耳针》として出版しました。
 
既に、この1972年の《耳针》には、93ページより「十一:弁証取穴在治療実践中運用」として、胃潰瘍に、交感・神門・胃・皮質下という配穴が「健脾扶正」「助胃去邪」という治則から配穴されて、そのすぐ後に『毛沢東語録』が引用されています。
つまり、鍼麻酔ブームの起こった1972年の南京人民解放軍の『耳針』では、既に耳鍼の弁証論治がスタートしていました。
 
 
以下、引用。
 
1963年まで、Paul Nogierは調査を続け、地図を改良しました。しかし、彼は耳の臓器の対応を見つけるために大きな落とし穴に直面します。」
Jusqu’en 1963, Paul Nogier poursuit ses recherches et affine ses cartographies. Il se heurte cependant à un écueil de taille pour trouver les correspondances des organes sur l’oreille.
痛みを伴う臓器だけが、実際、耳に痛みを伴う場所、圧痛点を作る。痛みを伴わない病気の臓器は、その一部として耳についての痛みを伴う情報を提供しない。ただし、甲状腺、副腎、肝臓、腎臓など多くの臓器は適切に機能していなくても、実際には痛みを伴うことはない。これが ポール・ノジェがマップを完成させるのに非常に苦労している理由だった。
 
フランス人のニボイエ博士の発見により、この困難が破られた。ニボイエは実際、体全体に分布する鍼治療のポイントが特定の電気的挙動を示し、皮膚の抵抗を測定する電子機器でそれらを見つけることが可能であることを発見した。皮膚は経穴の電気抵抗が低くなっている。
 
ニボイエからインスピレーションを得て、ポール・ノジェは耳の電気抵抗が最も低い点によって耳の臓器の位置を発見することができた。
 
1969年にポール・ノジェは、最初の本『耳介療法の行程』を出版した。
 
 
TRAITE D’AURICULOTHERAPIE
Paul Nogier
Maisonneuve & Larose (1 avril 1969)
 
 
以下、引用。
 
ポール・ノジエは1966年に彼が耳介心臓反射(RAC)と呼んだ新しい現象を発見した。」
 
 
ポール・ノジェはさらに、1980年に弟子のルネ・ブルディオールに『耳介療法のエレメント(Éléments d’auriculothérapie)』(邦訳は『耳針法―P.ノジエ理論と臨床』エンタプライズ 1985)を出版させています。
これはポール・ノジェの新しいフェイズ3理論についての文献であり、フランス式耳鍼療法の総説的文献となっています。1982年にM・H・チョーは『医道の日本』9月号において『ノジェの新しい耳鍼穴位』という記事でフェイズ3理論を説明しています。
 
 
以下、引用
 
耳鍼穴位は、中国で初めてその図が出て来た。その中国での発表はノジェの耳鍼穴より数年早い。ノジェはもちろん、彼のテキストブックに耳鍼穴位を発表してきたけれども、中国の耳鍼穴位図みたいにまとめた耳鍼穴位図を発表したことが無かったのである。中国の耳鍼穴位図をみて彼は刺激をうけてブルディオール等と一緒にまとめあげ、発表した。
M・H・チョー『ノジェの新しい耳鍼穴位』『医道の日本』昭和57年9月号25p
 
 
実際には、1975年にノジェ・ブルディオール、フランク・バールはノジェ式の耳針穴位図を発表しています。
 
 
Nogier P, Bourdiol R, Bahr F.
Loci Auriculomedicinae
Moulins-les Metz: Maisonneuve; 1975
 
 
1951年:ポール・ノジェがマダム・バリンの座骨神経痛患者に出会う。
1956年にマルセイユの地中海鍼学会会議で、耳介に投影されたゾーンやポイントを口頭で発表しました。
1957年:ドイツのゲルハルト・バッハマンがノジェの耳鍼を1957年の『ドイツ鍼雑誌』に発表しました。
1957年9月:日本の長友次男が「耳の刺鍼治験 バツハマン(独)」p25~26を『医道の日本』に発表。
1958年12月の葉肖麟先生による『上海中医雑誌』で、中国に耳針が伝わる。
1959年4月、中国『大衆医学』に「針刺耳廓全身疾患」を発表。
1963年:ポール・ノジェがニボイエのアドバイスにより、臓器の電気反応点を発見。
1966年:ポール・ノジェが『耳介心臓反射(RAC)』を発見。
1972年12月:上海人民衛生出版社より南京部队某部《耳针》として出版。弁証論治の耳鍼。
1975年:ノジェ、ブルディオール、フランク・バールが『Loci Auriculomedicinae』でフェーズ1のマップを発表。
1980年:ルネ・ブルディオールが『耳介療法のエレメント』(邦訳は『耳針法―P.ノジエ理論と臨床』エンタプライズ 1985)を出版。フェーズ3理論が公式に発表される。
 
 
 
 
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