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追悼 吉永進一先生:グローバル化の時代における伝統文化

『近現代日本の民間精神療法: 不可視なエネルギーの諸相』
栗田英彦/塚田穂高/吉永進一 編
国書刊行会 2019/09/13

 

2022年3月31日に吉永進一先生がお亡くなりになられたそうです。享年65歳と若すぎます。

鍼灸マッサージ師にとっては、『近現代日本の民間精神療法: 不可視なエネルギーの諸相』を代表とする諸研究が参考になります。

『神智学と仏教』では、鍼灸師の井村宏次先生の指導のもとで、民間精神療法という先行研究のほとんど存在しない領域を研究しはじめたことをカミングアウト(同書392ページ)されています。

 

『霊術家の饗宴』井村 宏次 心交社 (1984/1/1)

『新・霊術家の饗宴 』井村 宏次 心交社; 新版 (1996/12/1)

『霊術家の黄金時代』井村 宏次 ビイングネットプレス (2014/5/1)

 

吉永進一先生の1980年『霊と熱狂ー日本スピリチュアリズム研究史序説』は、この分野の必読すべき論文です。インターネット上でPDFファイルで読めます。

 

中国気功の外気功のもとになった太霊道の田中守平 、レイキの臼井甕男、昔は『はりきゅう理論』の教科書にも載っていた「平田十二反応帯」の平田内蔵吉 、西式健康法の西勝造、野口整体の野口晴哉などの「療術」「霊術」の歴史は、本物のインディペンデント科学者である鍼灸師・井村宏次先生から吉永進一先生に受け継がれ、膨大な未開の分野が広がっていることが、ようやく認識されてきました。

 

吉永進一先生の重要論文に、『電気的身体 精妙な流体概念について』と『動物磁気からサブリミナルへ』というフランツ・アントン・メスメルの動物磁気とメスメリズムを研究した2本の論文があります。インターネット上で無料で読めます。

 

「療術」「霊術」の歴史は、海外のメスメリズム催眠術や神智学のオーラ概念など、グローバル化によるものであることは見逃せません。

カイロプラクティックやオステオパシー、スポンディロセラピーなどが日本に輸入され、日本の霊術と融合して、1925年の玉井天碧の『指圧法(霊手指圧法)』のクリエイトとなります。

 

仏教も同じです。

明治維新以降、伝統仏教は大弾圧を受けて滅びようとしていました。その時代に、欧米から神智学・仏教が入ってきます。

ヨーガも、現在のわれわれが知っているヨーガとは、神智学とビートルズ経由のヨーガなのです。

 

われわれが伝統文化やその国固有の文化現象とみなしているものが、実はグローバリズムの結果であるということを吉永進一先生の研究は気づかせてくれたのです。

「近代日本における神智学思想の歴史」
吉永進一
『宗教研究』 84(2), 579-601, 2010-09-30

 

1916年(大正5年)にヨギ・ラマチャラカ(ウィリアム・ウォーカー・アトキンソン)の翻訳『最新精神療法』が出版され、「プラーナ」を「霊気」と翻訳しています。

これはおそらく、日本の霊術やレイキ、整体・指圧に多大な影響を与えました。プラーナ療法は、長生医術として現代日本にも残っています。日本にヨガを最初に紹介した中村天風もヨギ・ラマチャラカの影響を受けていました。

 

ヨギ・ラマチャラカことウィリアム・ウォーカー・アトキンソンの思想の源流は、ニューソートと神智学です。

 

【ニューソートとポジティブ・シンキング】

19世紀末のアメリカで流行したニューソートは、自己啓発・スピリチュアル・ポジティブシンキングの源流です。

もともとは18世紀にフランス・アントン・メスメルが動物磁気という催眠法を開発していました。

メスメルの動物磁気治療家であったメスメリストのフィニアス・クインビーが、催眠によって病気が治療できることから「病気とは誤った信念である」と考えました。そこから「ポジティブ・シンキング」「成功哲学」が生まれました。

 

1860年代にフィニアス・クインビーに治療されたメアリー・ベーカー・エディは、1879年にクリスチャン・サイエンス教会を設立し、神智学協会を設立したオルコット大佐とフリーメーソンで友人となりました。

メアリ・ベーカー・エディは1908年に有名な新聞『クリスチャン・サイエンス・モニター』を創刊します。

クリスチャン・サイエンスとは、フィニアス・クインビーの催眠治療が、キリストが発見した科学知識であるという意味です。

クリスチャン・サイエンス教会は「病気はココロが引き起こす」という信念で信仰治療をするのが特徴です。 

 

現在の「ポジティブ・シンキング」「成功哲学」「引き寄せの法則」は、このニューソートによって生まれました。ヨガナンダやラマチャラカ、中村天風や生長の家の谷口雅春は、すべてニューソートの影響を受けています。

 

【神智学とチャクラとオーラの起源】

1875年に、ニューヨークでオルコット大佐とブラヴァツキー夫人が神智学協会をつくりました。

オルコット大佐は1907年で亡くなるまで神智学協会会長でした。  

1907年にオルコット大佐は死亡し、アニー・ベサントが2代目神智学教会の会長に就任し、C・W・リードビーターと神智学教会を指導します。この時期に、リードビーターがチャクラやエーテル体・アストラル体などのオーラの理論化を行いました。現在のエネルギー医学の基礎になった考え方はリードビーターの思想です。

C・W・リードビーター著『チャクラ』平河出版社 (1978/11/25)

 

リードビーターの直弟子がアメリカ神智学協会のプレジデントであるドーラ・クーンツで、セラピューティック・タッチというハンドヒーリングを創りました。

 

【ヨガの歴史と神智学】
すでに19世紀末にアメリカやヨーロッパでは東洋思想への興味が高まっていました。 

1893年シカゴ万博でスワミ・ヴィヴェーカーナンダがラージャ・ヨーガを説きました。

1893年にシカゴ万博を見たアメリカ人、ウィリアム・W・アトキンソンは偽インド人、ヨギ・ラマチャラカを名乗り、多くの著作を書きました。

ヨギ・ラマチャラカは日本の中村天風やプラーナ療法、演技のスタニスラフスキー・システムまで影響を与えました。このウィリアム・W・アトキンソンがベストセラー『引き寄せの法則 すべての願いが現実になる』を書きました。

 

 

 

1894年にアメリカ人、ペアード・T・スポールディングはインド・チベットに旅行し、ヒマラヤに隠れた偉大な賢者・聖者たちに出会ったと主張し、『ヒマラヤ聖者の生活探究』を書きました。これは今では調査によって、全て捏造であったことが判明しています。

 

1880年-1890年代はブラヴァツキー夫人のような西洋オカルティストたちが、インドへの幻想をあおっていました。

1915年からスリ・ユクテスワ・ギリ師に学んだヨガナンダは、1920年にアメリカ・ボストンの世界宗教者会議に参加し、以降、アメリカでヨガの普及をしました。

 

1919年に中村天風が「心身統一法」を創案し、天風会をつくったことが日本におけるインド・ヨガの始まりとされています。中村天風は東郷平八郎や宇野千代や政財界の有名人の師匠として有名ですが、もともと右翼の巨頭・頭山満の軍事密偵スパイだった人物です。

 

1920-1930年代に近代ヨガの父、ティルマライ・クリシュナマチャリアが1920-1930年代に西洋体操法やボディビルをヨガ・クラスで積極的に採用して、それをインドの伝統ヨガであるハタ・ヨーガの技法やインド武術カラリパヤットと融合させます。

そして、弟子であるB.K.S・アイアンガーとK・パタビ・ジョイスが近代ヨガをはじめました。

『ヨガ・ボディ: ポーズ練習の起源』 マーク・シングルトン 大隅書店 (2014/9/30)

 

日本のキリスト教徒でインドの詩人タゴールの翻訳者、三浦関造も日本への初期のヨガ紹介者です。

三浦関造は1949年に総合ヨガを提唱し、1953年に竜王会を組織し、1950年代にヨガの文献を竜王文庫で翻訳紹介し、実践しました。 

三浦関造のヨガは神智学経由のヨガです。

神智学はイギリス植民地、インド帝国に住んだヘレナ・ブラバッキー夫人やアニー・ベサント、クリシュナムルティ、C・W・リードビーターが関わりました。神智学は、国連のユニセフ国際連合児童基金の成立やモンテッソーリ教育のモンテッソーリ、シュタイナー教育をつくったルドルフ・シュタイナーの人智学やインド独立運動などに関わっていた歴史があります。

この神智学の西洋系ヨガは「エーテル体」「アストラル体」「メンタル体」「コーザル体」などのオーラ研究や、C・W・リードビーターの名著『チャクラ』(邦訳、平河出版社1978年)に代表されるチャクラ研究で、現代21世紀の西洋のエネルギー医学(スピリチュアル・ヒーリング)に多大な影響をもたらしました。 

 

また、鍼灸師でもあった玉光神社宮司である本山博は、1962年からヨーガのチャクラやクンダリニー研究で世界的に有名になり、ESP(超感覚)をデューク大学で世界で始めて研究したライン教授より経絡やチャクラの電気生理学的研究で賞も受賞しました。

本山博は、電気的に経絡を測定するAMI(本山式電気臓腑経絡測定装置)を開発しました。良導絡や経絡の電気抵抗に関する研究を調べていると、良導絡の中谷義雄先生と並んで本山博の論文はよく引用されています。

 

1967年、戦後の日本では沖正弘が沖ヨガをつくり、1967年から静岡に求道実行会密教ヨガ道場(沖ヨガ道場)を設立します。この沖先生こそ戦後の日本のヨガを創った大人物です。沖正弘先生も第二次世界大戦中は軍事密偵スパイでした。1980年に国際総合ヨガ世界大会実行委員長を務めました。国際総合ヨガ世界大会にはアイアンガー・ヨガのアイアンガー師が初来日しました。

 

1967年のザ・ビートルズのアルバム『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』のアルバム・ジャケットには、ヨガナンダとその師匠にあたるスリ・ユクテスワ・ギリの写真が載ります。

 

1968年には超越瞑想のマハリシ・マヘシ・ヨーギを批判する曲、セクシー・サディーをビートルズのジョン・レノンが発表します。

1969年のウッドストックには、インテグラル・ヨーガの創始者、スワミ・サッチナンダが参加しますが、1991年にセクシャルハラスメントで告発されました。

1980年に国際総合ヨガ世界大会が日本で開催されます。

1981年にはスワミ・ムクタナンダがセクシャル・ハラスメントで告発されます。

2012年にアヌサラ・ヨガの創始者、ジョン・フレンドがセクシャル・ハラスメント事件で告発されます。サッチナンダのインテグラル・ヨガ、ヨガナンダ系のクリヤナンダのアナンダ・ヨガ、リシケシュの聖者シヴァナンダのシヴァナンダ・ヨガ、シク教系のヨギ・バジャンのヨガなどを学び、さらにB.K.S・アイアンガーとK・パタビ・ジョイスに学んで1997年にアヌサラ・ヨガを創ったのがジョン・フレンドです。

2014年にはホット・ヨガの創始者、ビクラム・チョードリーが生徒へのセクハラ、セクシャル・アサルトで告発されました。ビクラム・チョードリーもヨガナンダの系譜の人物です。

 

ヨガナンダの弟でボディ・ビルダーのビシュヌ・ゴーシュに学んだのが、ビクラム・チョードリーです。

ビクラム・チョードリーはウェイトリフティングの選手として膝を痛めて、ビシュヌ・ゴーシュにヨガの指導を受けました。ビシュヌ・ゴーシュの指示で東京でヨガを教えることになり、1970年の冬の東京でストーブを入れてヨガをしたことがホット・ヨガの始まりだそうです。

ビクラム・チョードリーはビキニパンツにロレックスをはめた小島よしおスタイルでホット・ヨガをするので有名です。ビクラム・チョードリーさんはジョージ・クルーニーやレディ・ガガにヨガを教えました。

 

現代のヨガブームは、マドンナやスティングのアシュタンガ・ヨガやジョージ・クルーニーやレディ・ガガのホット・ヨガから始まっています。

アメリカではホットヨガスタジオは600店舗のチェーン店になり、ビクラム・チョードリーはスポーツカーやロールスロイスを多数所有していました。

 

ビートルズの『サージェント・ペパーズ』のジャケット写真のヨガナンダは、1910年に師匠、スリ・ユクテスワ・ギリに入門しました。

スリ・ユクテユワ・ギリの『聖なる科学』(森北出版1983邦訳)は、たまに日本の本屋でも売られています。

1910年にヨガナンダは師匠ギリに出会い、1915年にカルカッタの芸術短期大学を卒業します。そして1915年からギリ師のもとでヨガのトレーニングを積み、1917年にヨガナンダのヨガ・スクールを創りました。そして、1920年に世界宗教者会議に出るためにアメリカのボストンに船で渡ります(ヨガのキャリアは5年)。

それから数年間、ヨガナンダはアメリカ東海岸を講演ツアーしてまわります。そして1936年までアメリカでヨガの普及活動をしていました。1936年に師匠の スリ・ユクテユワ・ ギリが亡くなる際に帰国し、1952年に亡くなるまではアメリカのカリフォルニア州に住んでいました。
ビートルズの『サージェント・ペパーズ』のジャケット写真になりました。スリ・ユクテユワ・ギリやヨガナンダのヨガも神智学系のヨガです。そのヨガナンダの孫弟子がホット・ヨガのビクラム・チョードリーです。

 

現代人のイメージするヨガは、ビートルズ経由のスピリチュアルな神智学系ヨガであり、グローバリズムの結果なのです。

 

 

 

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