耳鍼の歴史

1973年4月5日『ニューヨークタイムス』
「香港の医師が鍼を使って薬物依存症離脱症状を緩和した」
Hong Kong Doctors Use Acupuncture to Relieve Addicts’ Withdrawal Symptoms

香港の神経外科医、温祥来先生の記事です。

温祥来先生は、もともと国共内戦の際の中国国民党の中華航空公司の飛行機パイロットでした。これは、危険極まりない仕事(諜報活動)で国共内戦中に共産党支配下の地域を偵察したり、国民党軍に物資を運ぶ仕事です。この危険な仕事を退職した後に、アメリカ、カナダ、オランダで神経外科医としてのトレーニングを受けます。

イギリスとのアヘン戦争以来、中国では麻薬中毒患者がたくさんいました。

第2次世界大戦中は日本軍が満州でアヘンを生産し、世界に供給しました。これらの資料は終戦後、官僚がすべて焼きましたが、現在、次々と新資料が発見され、実態が解明されています。

2019年「近代日本の阿片政策史研究の現状と課題」
熊野 直樹『法政研究』 85 (3/4), 121-158, 2019-03-08

中華人民共和国が成立した後、蒋介石の国民党側の将軍が黄金の三角地帯で麻薬王、クンサとして君臨し、1960~1970年代のヴェトナム戦争の若いアメリカ兵たちを麻薬漬けにしていきます。

その際の国際的な麻薬市場の中心が香港だったので、当時、日本で放映された丹波哲郎主演の『Gメン75』という1975年のテレビドラマでは香港の麻薬マフィアが敵役になっています。ドニー・イエン主演の映画『イップマン』やウォン・カーウァイ監督の映画『グランドマスター』などの香港映画でも、当時の香港の麻薬のまん延が描かれています。

以下、引用。

香港のメディカル・チームは、電気鍼が薬物中毒の離脱症状を緩和する実験に成功したと報告した。

広華病院の温祥来によると、70人の薬物中毒患者を11月から治療した。

治療法は、鍼を両耳に挿入して、電気で刺激することである。

症例40人のうち30人はアヘン中毒で、10人はヘロイン中毒だった。ひとりはイギリス人の少女で、残りは中国人男性だった。彼らの年齢は17歳から79歳で、依存症の期間は3年から58年だった。

治療期間は個人と薬物摂取の状況によってまちまちだった。治療の最初の数日は約30分を1日に2回から3回刺激した。これは次の数日で1日1回に減らされる。

治療開始後、1週間から10日間で彼らのほとんどは退院して、必要があれば外来患者として治療を受ける。

治療前、患者たちはひきこもり、ずっと布団をかぶって寝る。食欲もなく、痛みに苦しみ、痛みと咳に苦しむ。

治療開始後約10〜15分で症状は消えた。患者の呼吸はより規則的になり、彼らは暖かくリラックスしたと感じたと言う。

その後、彼らの食欲は改善し、彼らは周囲や会話や聴覚にもっと興味を持つようになった。

その後の尿検査を受けた20人の患者のうち18人は薬物がないことがわかった。他の人々は他の病気の治療の一部として薬を受け取っていた。

鍼が麻薬中毒者を助けるかもしれないという発見は偶然だった。無関係の病気のために鍼灸を受けている中毒者が、それが彼らの離脱症状も和らげていると報告したとき、それがわかった。

ニューヨーク、サウスブロンクスのリンカーン病院で黒人の薬物中毒離脱プログラムを運営していたブラック・パンサーズは、1972年に毛沢東思想から黒人医師のトルバート・スモール医師を中国に派遣して鍼灸を学ばせていました。

そして、リンカーン病院のマイケル・スミス医師らが耳介の「肺」の鍼から追試をはじめて、NADAプロトコルを完成させました。

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