1950年代の中国

2022年
「ソ連に学ぶ:20世紀1950年代中国の『鍼灸科学化』の歴史的方向」
向苏联学习:20世纪50年代中国“针灸科学化”的历史面向
肖雄 李剑
中华医史杂志, 2022,52(3) : 152-156


200年前の1822年、清朝の道光帝は鍼灸を廃止しました。
それから112年後に承淡安先生は1934年から日本に留学します。
この112年の空白が最初の謎です。

1933年12月に中華民国で「中医条例」が頒布されました。このとき国医が中医となりました。

1935年に「中国医学と西洋医学に対する同等の取り扱い」の決議となり、1936年に『中医条例』となりました。

1943年9月に中華民国で医師法が公布され、伝統医師は中国医学の学校を卒業し、試験に合格すれば医師免許を与えられることになりました。

1945年8月14日に日本はポツダム宣言を受諾します。

1946年から毛沢東ひきいる中国共産党と蒋介石ひきいる国民党の間で第2次国共内戦が起こります。アメリカ軍は蒋介石を全面支援しますが、1949年10月に中国共産党が中華人民共和国を建国します。1949年12月に蒋介石は台湾の台北市を臨時首都とします。

1950年6月には北朝鮮が韓国に侵攻し、朝鮮戦争がはじまり、アメリカと中国・ソ連は激しく対立します。

1951年にはソ連のパブロフ学説を信奉する朱璉先生が鍼灸療法実験所の所長となり、『新鍼灸学』を出版します。

ソ連のヴァディム・ガブリエレヴィッチ・ヴォグラリーク教授は、中国に1954-1956年まで留学して鍼を学びます。ヴォグラリークは朱璉の友人となります。 1959年にソ連で鍼が合法化されます。1956年にフルシチョフによるスターリン批判があり、1959年からソ連と中国の外交関係は悪化していきます。

1958年8月30日、上海市第一人民医院耳鼻咽喉科で尹恵珠主任医師が合谷の鍼麻酔を使い、扁桃腺摘出手術に麻酔薬を使わずに扁桃腺の摘出手術が行われました。

1950年代に「中医学」「整体」「辯證(べんしょう)」などの概念がクリエイトされましたが、鍼麻酔も1950年代の中国で生まれました。

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