『医経溯洄集』から『 赤水玄珠』の相火論

 
明代、王履著、『医経溯洄集(いけいそかいしゅう)』
https://ctext.org/wiki.pl?if=gb&chapter=409811&remap=gb

以下、引用。

飲食労倦による内傷は内熱となる。これは陰火が脾胃の土に乗じたもので、内熱は胸中におよぶ。

この内熱は温薬でこれを治療する。痰飲の飲は無形の気であり、傷つけられた場合は、上は発汗・下は利小便で湿を消す。

上焦がめぐらず清陽が昇らない。下脘が通じないものは濁陰が降りない。胃は水穀を受けることができないため清陽があたまに昇らず、濁陰が降りない。

上がめぐらず、下が不通なら鬱(郁)となる。鬱となるなら少火が壮火となる。胃は上焦と下脘の間にあり、故に胃気は熱する。熱すれば上炎する。故に胸中に燻じて内熱となる。

それ陰火というのは古典に出ておらず、李東垣がいっている。劉完素は命門を火に属し、水に属さないと論じている。道教の仙経は心を君火、腎を相火としている。

これは個人的に非常に重要な学説と考えています。
現在の慢性疲労の治療においては、中焦がつまり、上下不通で、上に邪熱があり、下焦は空虚で、清陽がのぼらないためにアタマはボーッとして、それでいて湿熱の滑脈や虚証の浮脈がでており、温陽・通陽すると逆に脈は沈んで落ち着く場合が多いです。

金元四大家、劉完素が1186年の『素問病気宜保命集』で論じた相火論は、道教の影響を受けています。

ゆえに仙経がいうには、心は君火であり、腎臓は相火である。君火と相火の二つの気があり、五行の造化のことわりを論ずれば、同じく熱である。左腎は水に属し、男子は精を蔵し、女子は包絡につながる。右腎は火に属し、この火は三焦を遊行する。七節のかたわらに中心があり、これが命門相火である。

金元四大家、李東垣の『脾胃論』は「陰火」を「相火」と同時に論じています。

既に脾胃の気が衰え、元気が不足し、心火が独り旺盛となる。心火は陰火である。下焦におこり、心につらなり、心が命令を下すことができなければ、相火が代わりに行う。相火は下焦の包絡の火であり、元気の賊である。

金元四大家、朱丹渓の『格致余論』は、もちろん宋代理学(儒学)の「格物致知」から名前をとっています。『格致余論』には相火論があり、宋代の儒家、周敦頤(しゅうとんい)の『太極図説』に影響を受けています。

大極、動ずれば陽を生じ、静なら陰を生ず。陽動ずれば変じ、陰静なら合して水・火・木・金・土を生じ、五行はそれぞれ性質がある。ただ火のみは2種類があり、君火は人火であり、相火は天火である。火は内部が陰で外が陽であり、動を主る。故に風動はみな火に属する。相火は天にみることができて竜雷であり、すなわち木気であり、海に出て、すなわち水の気である。人においては肝腎に寄し、肝は木に属し、腎は水に属する。

明代、虞搏(ぐたん)著『医学正伝』1517年は「(左右の)両腎の総称が命門である」という説を唱えたことで有名です。

『黄帝内経』は心包絡を臓としており、三焦は六臓六腑に配合して、総じて十二経となっていおり、左右の両腎は一つの臓であり、初めに秦越人扁鵲が『難経』で左右に分けたが、まだ命門が相火の臓であることは述べていなかった。『脈経』の王叔和(おうしゅくか)は三焦と命門が表裏しているという学説を始めたが、その意味は深遠である。命門は五行の水の臓であるが、その実質は相火のあるところである。その意味は、左(腎)は陰で、右(命門)は陽に属する。左(腎)は血で、右(命門)は気に属する。左(腎)は水に属し、右(命門)は火に属する。静守は常に水が主り、動じて変ずるのは火である。相火はもとより形がなく、上は肝胆包絡の間に寄り、発すればすなわち龍火が飛ぶが如く、雷のようである。下は左右の両腎の内であり、発すれば龍火が海湖の波濤で舞うがごとくである。

虞搏先生は朱丹渓の相火理論と命門理論を結合させています。

明代、孫一奎著、『赤水玄珠』は命門を「腎間の動気」として論じました。

銅人をみると、命門穴は両方の腎兪の間にあり、秦越人(『難経』)は両腎間の動気が五臓六腑の根本で、十二経脈の根であり、呼吸の門で十二経脈の原で臓腑これより生じると論じている。

これは、『難経』の影響を受けています。

モンゴル、元代の滑寿著『難経本義』が1361年に出版され、明代、熊宗立(ゆうそうりつ)が1438年に『勿聴子俗解八十一難経』を出版します。

明代、張世賢が1510年に『図注八十一難経』を出版します。

当時は『難経』の研究が進んでいたわけです。『難経』と相火の問題が、金元医学の影響を受けた明代医学の大きなアジェンダとなる印象があります。

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