『新修本草』

2011年2月18日『日本経済新聞』
「アフリカ原産の薬草トウゴマ、難波宮跡で種が出土」

以下、引用。

大阪市博物館協会大阪文化財研究所が発掘した難波宮跡(同市中央区)で、遷都前にあたる6世紀末~7世紀前半ごろの地層からアフリカ原産の薬用植物トウゴマ(ヒマ)の種8個が出土していたことが18日分かった。

中国では659年の唐の医薬書『新修本草』に初めてトウゴマの記載があり、日本にもそのころには伝わっていたことになる。6世紀末の新羅土器も出土しており、大阪湾に近い難波宮一帯が造営以前から物流拠点だったことを裏付ける史料として注目される。

種は楕円形で長さ約1センチ、幅約5ミリ。同じ地層からはメロンやモモ、オオムギなどの植物の種も見つかった。

難波宮は飛鳥時代の652年ごろに完成した宮を前期難波宮、奈良時代のものを後期難波宮と呼び、種が見つかったのは前期難波宮の造営に伴い埋め立てられた谷部分だった。

『新修本草』に蓖麻子(ヒマシ)=唐胡麻(トウゴマ)は初出しています。

難波宮は、日本のシュリーマンと呼ばれた大阪市立大学教授の山根徳太郎先生が定年退官した1952年から発掘を開始して、1961年に難波宮太極殿を発見しました。1963年には難波宮発見の『難波宮址の研究』で博士号を取得しました。難波宮は大阪城公園の南側であり、アフリカとつながって、アフリカからヒマシ油の蓖麻子が来ていたようです。

武田科学振興財団・杏雨書屋の『新修本草』
 
以下、引用。

本巻は『新修本草』の獣禽部巻第15に該当する。鎌倉時代前期の書写になる最古写本で、僚巻の国宝仁和寺本とともに古態を伝える稀覯本であり、東洋医学史上に貴重である。巻末には「天平三年歳次辛未七月十七日書生田邊史」と本奥書があり、奈良時代に将来していたことを示す最古の記録として注目される。

奈良時代の731年には、唐政府の勅選『新修本草』(659年)が伝来していたそうです。

1〜2世紀頃に原『神農本草経』が成立し、500年頃に南北朝(梁)の陶弘景が『本草集注』を編纂しました。これは藤原京から出土した木簡に「本草集注上巻」と書かれたものが出土し、日本にも伝来した証拠となっています。大谷光瑞探検隊が敦煌で発見した「敦煌本」が龍谷大学に所蔵されています。

『新修本草』は中国では逸失し、日本では江戸時代後期(1872年)に仁和寺で発見され(鎌倉時代写本)、国宝となっています。

杏雨書屋の『新修本草』は、この仁和寺本の写本になります。

『宋以前医籍考』の岡西為人先生が『重輯新修本草』を出版されています。岡西為人先生の半生記は必読です。インターネット上で読めます(「武孫先生(岡田為人先生)半生記由来」『漢方の臨床』)。

『新修本草』について、インターネット上で読める最重要資料は以下です。

「国宝、『新修本草』仁和寺本」
真柳 誠
『漢方の臨床』
43巻4号474-476頁、1996年4月

『中国医学古典と日本』
小曽戸洋
『日本東洋医学会雑誌』47 (2), 227-244, 1996

 
 

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