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正倉院の薬物

「万葉時代のグリーンケミストリー2 ―万葉時代の生薬について―」
杉山 一男
近畿大学工学部紀要. 人文・社会科学篇 49 1-50, 2019-12-21

 

以下、引用。

万葉集に集録された歌 4,516 首の約 1/3 にあたる 1,500 首余りの歌に植物が詠み込まれている。その植物の多くは、生薬のほか食糧・衣料・染料などとして用いられる。

持統八年(694 年)、持統天皇(第 41 代、在位:690~697 年)は藤原京に遷都しているが、この藤原宮跡から出土した木簡に「本草集注上巻」と記されたものが見つかっている。このことから我が国では薬物の教科書として、陶弘景が中国最古の薬物書である「神農本草経」を校訂し、さらに注釈を加えた 7 巻からなる「神農本草経集注(集注本草)」が使われていたと考えられる。

皇后となった光明子は天平二年(730 年)、皇后宮職に「施薬院」と「悲田院」を設けた。施薬院は皇后宮職と藤原氏の封戸(律令制度における俸禄制度の一つ。皇族や貴族などに階位・官職・勲功に応じて支給された公民の戸)の庸物を財源に全国から薬草を買い集め、疫病に苦しむ人民の救済を目的とした仏教の慈悲の心に基づく施設である。貧者・病人・孤児に施しをする悲田院には「千人洗垢」の伝説があるが実態は分かっていない。

天平勝宝八年(756 年)、聖武太上天皇の四十九日(七七忌)に光明皇太后が聖武遺愛の品々とともに各種の薬物を東大寺盧舎那仏に献納した。それらは、現在、正倉院に宝物として収められている。

 

 

「正倉院薬物が語ること」
渡邊 武
『日本東洋医学雑誌』2001 年 51 巻 4 号 p. 591-608

 

「正倉院の薬物調査」
柴田 承二
『ファルマシア』1998 年 34 巻 2 号 p. 156-161

 

 

 

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