残念ながら5月17日 で終わってしまいましたが、京都府立植物園で同園が所蔵する『本草綱目(金陵本) 』の一部が特別展示されました。植物学者の白井光太郎が寄贈した同本が「開運!なんでも鑑定団」で1億円と評価されたことを受けての企画でした。
李時珍著、『本草綱目』は1596年に南京(金陵)で出版されました。明は最初、首都を南京に置いていたため、文化的中心も南京でした。世界に10部しか存在しない金陵の初版本のうち、7点が京都府立植物園以外に国立国会図書館、東洋文庫、内閣文庫などにあり、日本が世界最多の所蔵数です。残りは2点が中国の中医科学院図書館と上海科学技術出版社にあり、1点が米議会図書館にあります。そして、これは明治の日本の森立之の旧蔵の完本です。
中国伝統医学の古典の多くは、日本に残っています。中国は秦の始皇帝の焚書坑儒から、魏晋南北朝時代や五代十国時代に王朝が変わるたびに書籍を焼いてきた歴史があります。孔子の『論語』は、秦の始皇帝の焚書坑儒で全て焼かれましたが、漢の時代に、孔子の9代後の子孫の家の壁に塗りこめて隠されていたのが、家の建て替えの際に出てきたという有名な話があり、この孔子の家の壁は観光地になっています。
日本は中国から輸入した古典をとても大切にして、仁和寺などの寺や大名の文庫などに所蔵してきました。江戸時代には江戸幕府が医学館を創り、多紀元簡などの学者が医学古典を収集・研究するネットワークができていました。しかし、明治政府が鍼灸漢方医学を滅ぼす政治的決断をおこなったため、これらの古典の多くは中国に流出しました。
1880年に中国・清の楊守敬が来日し、日本の医学古典を収集します。さらに森立之から当時の江戸医学の文献の版木を400円で買い取り、1884年に『聿修堂醫學叢書』として中国で出版しました。楊守敬は「浅田宗伯や森立之は厳然として日本医界の重鎮をなしている。その学識の深さは現今の中国医界の遠く及ばぬところである」と言っています。幕末から明治維新までは、日本が中国伝統医学の古典研究の最先端でした。
李時珍の素晴らしい著作に、『奇経八脈考』があり、鍼灸師には参考になります。脈診を論じた『瀕湖脈学』も素晴らしいです。
現代の中医学の脈学では「浮脈=表証」と習いますが、『瀕湖脈学』では「指で押して沈部で無力で浮くのは、血虚のためである」と、虚証のために浮脈となる場合を指摘しています。
実際、接触鍼で補法すると、体が弱って脈が浮く人の浮脈は沈みます。日本伝統鍼灸ではよく経験される臨床の現実を、現代中医学の脈学では説明できませんが、明代の『瀕湖脈学』なら説明できます。
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