『文系と理系はなぜ分かれたのか』
隠岐 さや香
星海社 (2018/8/26)
名著だと思います。隠岐さや香はパリ社会科学高等研究院で科学史を学びました。パリ社会科学高等研究院はフェルナン・ブローデルらが創り、卒業生はトマ・ピケティで教員はクロード・レヴィ=ストロースなどです。
本書ではまず、欧米でどのように学問が発展してきたかを解き明かします。世界で最初に工学部をつくったのは、日本の帝国大学(現・東京大学)というのが意外でした。欧米では機械工学や農学などの実学は軽蔑されていたため、専門学校や単科大学では学べるけど、総合大学では導入が遅れたそうです。日本は大学の文化がなかったため、明治維新の近代化で工学・農学といった実学が入りやすかったようです。19世紀後半に社会学や経済学などの社会科学が生まれ、20世紀初頭に文学部などの人文科学が入ります。
次に、江戸時代の蘭学・朱子学から日本の明治維新以降の学問の近代化と文系・理系の関係性を明らかにします。1910年代に日本独自の「文系」「理系」概念が生まれたようです。
第3章では、就活市場と「文系」「理系」が論じられ、この議論が面白かったです。1960年代から1980年代には欧米の経済が停滞し、日本の躍進が目立ちました。そこで日本の産学を研究し、工学部と企業の間に交流があることがわかり、日本を真似てイノベーション政策2.0の法整備が行われました。1990年代の冷戦終結にともない、シリコンバレーからIT企業が生まれ、産学共同が成功していきます。
1990年代前半、私が心理学・社会学を学んでいる頃に社会生物学論争が盛り上がっていました。社会生物学者E・O・ウィルソンが1979年に『人間の本性について』を出版し、アリなどの社会生物の行動分析を推し進めていくことで「社会学・心理学などの社会科学・人文科学は生物学の一部になる」と主張し、大論争を巻き起こしました。いまでも覚えています。
エドワード・O ウィルソン
『人間の本性について 』
2005年
『社会生物学論争史〈1〉―誰もが真理を擁護していた』
ウリカ セーゲルストローレ (著)
みすず書房 (2005/2/23)
アメリカでも「文系・理系をめぐる論争」のような底の浅い議論が30年前にあり、いま振り返るとバカバカしいですが、当時はもっともホットな科学論争として追いかけていました。
しかし、同時に1990年代はポスト・モダニズム、フェミニズム、科学哲学の価値相対主義が大流行した時代でもあります。1991年の冷戦終結以降、ポストモダンの価値相対主義は右派にも取り入れられ「ネトウヨ」や「オルタナ右翼」を産みます。
さらに、1991年の冷戦終結は社会科学・人文科学を冷戦構造のイデオロギー論争から解放しました。ポスト冷戦世界の環境問題の悪化にともない、「問題解決のためには、文理融合・学際的研究が必要である」という意識に移行しました。
実際に、地球環境の悪化に対応するには科学技術だけでなく、政治学・経済学・行動変容のための社会学や行動科学など、学際的アプローチが必要になります。東日本大震災という現代日本の大問題に対応するには、津波という地球科学だけでなく、古文書の解析や歴史学などあらゆる分野の学際的アプローチが不可欠です。
同様に、東洋医学を深く考えようとするなら、サイエンスやテクノロジー、東洋医学古典の解読、江戸時代の思想史研究が必要です。これ以上、軽薄な「文系・理系をめぐる議論」に時間を費やさないために、科学史の立場に立つ本書は有用だと思います。
目次
第1章
文系と理系はいつどのように分かれたか?―欧米諸国の場合(中世の大学と学問観;「理系」の黎明期とアカデミーの誕生、そして衰退(一七~一八世紀末) ほか)
第2章
日本の近代化と文系・理系(東アジアにおける学問体系―「道」と「学」・「術」;「蘭学」の経験と江戸時代日本 ほか)
第3章
産業界と文系・理系(文理選択と新卒学生の就活;文系学部の大学教育は就活で評価されない? ほか)
第4章
ジェンダーと文系・理系(日本は進路選択の男女差が大きい国である;分野適性と性差、困難な問い ほか)
第5章
研究の「学際化」と文系・理系(文系・理系の区別は消えていくのか?;学際化と教育―文系・理系を区別した教育は古い? ほか)
Many thanks to ヒラリーマン。for a beautiful featured image!
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