『日本の政策はなぜ機能しないのか? EBPMの導入と課題』
杉谷和哉
光文社 (2024/7/18)
1991年にゴードン・ガイアットがエビデンス・ベースド・メディスン(EBM)を提唱し、ランダム化比較試験(RCT)によるエビデンスという新しいパラダイムが提唱され、1992年にイギリスでコクラン共同計画が立ち上げられました。これはパラダイム・シフト、科学革命でした。
1997年にイギリスのブレア政権が、医学のEBM革命に影響されてエビデンス・ベースド・ポリシー・メーキング(EBPM:科学的根拠に基づく政策立案)をはじめます。2009年にアメリカのオバマ政権も強力にEBPMを推進しました。 2018年には、日本の内閣府のホームページにEBPMが載ります。
科学的根拠に基づく政策決定(EBPM)を推進する方針のもとで、2019年以降のコロナ禍の布マスク配布やGo to トラベル、全国一斉学校休校などの珍政策が次々と行われてきました。
著者の杉谷和哉は、コロナ禍での政策決定について多くの論文を書き、EBPMのダークサイドも含めて研究しています。
「EBPMのダークサイド:その実態と対処法に関する試論」
杉谷和哉
政策情報学会 第18回研究大会 2022年11月26日
1978年にアメリカで「スケアード・ストレート(Scared Straight) 怖がらせてマジメにさせる」という映画が上映されました。不良少年たちを刑務所の凶悪犯罪者のところにつれていき、犯罪経験を語らせて、怖がらせることで不良少年を更生させるという内容でした。
この映画の影響で、アメリカの多くの州の刑務所でスケアード・ストレート・更生プログラムが政策として導入されました。わたしも日本のテレビ番組で、この更生プログラムの内容を観たことがあります。
ところが、ラトガーズ大学のジェームス・フィンケウアーがランダム化比較試験をおこなったところ、更生プログラムを受けた不良少年のほうが、受けなかった不良少年よりも再犯率が高く、凶悪犯罪を起こしていることが判明しました。
1999年、映画「スケアード・ストレート20年後(Scared Straight! 20 Years Later)」が製作され、20年前の映画の出演者である不良少年たちが再犯を繰り返し、凶悪犯罪を犯す人生を送っていたことが判明します。
2013年にはEBMのコクラン・システマティックレビューに以下の論文が収録されました。
2013年『コクラン・システマティックレビュー』
「少年犯罪防止のためのスケアード・ストレート更生プログラム」
‘Scared Straight’ and other juvenile awareness programs for preventing juvenile delinquency
Anthony Petrosino
Cochrane Database Syst Rev. 2013 Apr 30:(4):CD002796.
著者の結論:
スケアード・ストレート更生プログラムは、若者に何もしないよりも非行を増やすという結論に達した。これらの結果から、このプログラムを犯罪防止戦略として推奨することはできない。
ランダム化比較試験、メタアナリシス、コクラン共同計画のシステマティックレビューのいずれもスケアード・ストレート更生プログラムの政策は犯罪・非行をかえって増やすというエビデンスがあり、この更生プログラムは政策として中止となりました。これがEBPMの基本になります。
しかし、この本では、エビデンスに基づく政策決定の困難さが論じられます。ここが最も読む価値があります。
エビデンス検討において、バイアスが存在します。例えばタバコ政策において、タバコ会社が「タバコはそんなに健康に悪影響を与えないという実験結果」をつくり、PRに予算をかけて世間にプロパガンダをしたことがあります。利害関係者が政策に影響をあたえようとしてエビデンスを捏造した情報操作が存在します。
適切なエビデンス選択において、社会学の視点と科学哲学の視点が必要になります。
社会学の視点とは、われわれの言う「真理」や「事実」「客観性」は絶対的なものではなく、権力構造によって社会的につくられたものだという認識です。ミシェル・フーコーやピエール・ブルデューのような視点になります。例えば、政策のランダム化比較試験は貧困層の犯罪などにはよく行われていますが、汚職・賄賂のようなアッパークラス上級階層の犯罪には行われたことはありません。これは、EBPMの中に権力構造からの偏り・偏見があることを認めることです。
科学哲学の視点は、因果性を問うものです。例えば、ある教育政策について東京でランダム化比較試験を行い、得た結果をそのまま岩手県や沖縄県で行い、効果を得ることができるかという再現性の問題です。
さらに評価の困難さがあります。現在は、地方行政官僚も大学教員も自己評価の文書を作る事務作業のために、肝腎の官僚としての仕事や大学教員としての研究時間が圧迫されているという現実があります。ところが、この文書の山は誰にも読まれません。いわゆるブルシット・ジョブを生み出しているだけというのがEBPMの現状となっています。
EBPMの現状を知ることは、EBMの問題点が浮き彫りになるという意味で、興味深い読書体験でした。
おそらく、EBMをより良いものにするためには、社会学の視点と科学哲学の視点が必要です。それらが欠如しているから、例えば広告制限で「整骨院」の表示を規制することで現場レベルの信用を失っている現状があるのではないでしょうか。
featured image by fujiwara
コメント