『現代精神医学のゆくえ―― バイオサイコソーシャル折衷主義からの脱却』
ナシア・ガミー著
みすず書房 (2012/9/21)
著者のナシア・ガミーはハーバード大学精神医学の講師でタフト大学医学部精神医学教授です。5歳のときにイランからアメリカに移住し、ヴァージニア医科大学で医学を修め、ハーバード大学公衆衛生大学院で公衆衛生学修士を取得しています。
1977年にエンゲルが提唱した生物精神社会モデルを批判する文献『現代精神医学のゆくえ―― バイオサイコソーシャル折衷主義からの脱却』を2009年に出版しました。
現在、例えば腰痛や顎関節症、うつ病は生物精神社会モデルのパラダイムに移行しています。精神医学の分野では還元主義や生物医学モデルが採用され、それに対してフロイトが精神分析を提唱しました。フロイトの精神分析療法への反発として、逆に戦後は抗精神薬・抗うつ剤を中心とした還元主義、生物医学モデルが強くなります。そして還元主義、生物医学モデルに対する反発としての全体論として生物精神社会モデルが1977年に生まれました。
精神医学の生物精神社会モデルがさらに、1990年代から2010年にかけて腰痛や顎関節症に導入されたというのが医学の歴史です。腰痛や顎関節症に対して、認知行動療法や心理療法が使われるようになりました。これは確実に科学の進歩です。
しかし、ナシア・ガミーをはじめとした多くの精神科医たちは生物精神社会モデルを批判しており、そのことは精神医学以外の分野では、あまり知られていない印象があります。
2010年8月ケネス・ケンドラー医師
『アメリカ精神医学会雑誌』
「生物精神社会モデルの勃興と没落」
The Rise and Fall of the Biopsychosocial Model: Reconciling Art and Science in Psychiatry
Kenneth S. Kendler, M.D.
American Journal of Psychiatry Volume 167 Issue 8 Pages 999-1000 2010
生物精神社会モデルは科学的モデルでもなければ、哲学的に一貫したモデルでさえなかった。それはスローガンだった。
生物精神社会モデルは科学的パラダイムとしては失敗だったというナシア・ガミーの意見には私も同意するが、精神医学と医学において、このモデルは臨床と教育の有用な機能を果たし続けるだろう。
「生物精神社会モデルは科学的パラダイムとしては失敗だった」は言い過ぎだと思います。
腰痛では「腰椎椎間板ヘルニア=腰痛」の生物医学モデルが2000年代に破綻して生物精神社会モデルに移行しました。
顎関節症では「顎関節症は関節円板の問題であり外科手術の適応」という生物医学モデルが1990年代に破綻して生物精神社会モデルに移行しました。
うつ病も「うつ病=セロトニン仮説」という生物医学モデルに基づくSSRI抗うつ薬による薬物療法が1988年にプロザックの発売により隆盛となり、2000年に日本ではパキシルが発売されます。パキシル販売から24年が経ち、現在ではセロトニン仮説は実質的に破綻して、認知行動療法など心理療法を組み合わせた生物精神社会モデルに移行しています。
これは、うつ病におけるセロトニン仮説とSSRI抗うつ薬の歴史を調べれば明白ですが、生物医学モデルが破綻したため、やむなく生物精神社会モデルが主流となりました。他の科学的進歩・ブレークスルーによるパラダイム・シフトと異なり、渋々と受け入れたパラダイム・シフトなのです。
『現代精神医学のゆくえ―― バイオサイコソーシャル折衷主義からの脱却』
ナシア・ガミー著
みすず書房 (2012/9/21)
目次
第1部 生物心理社会(バイオサイコソーシャル)モデルの興隆
第1章 寛容さに潜む危険 アドルフ・マイヤーの精神生物学
第2章 理論はたくさん、時間はちょっと 折衷主義の興隆
第3章 四方八方に奔走する ロイ・グリンカーによる「折衷主義のための奮闘」
第4章 医学の新しいモデル ジョージ・エンゲルの生物心理社会モデル
第5章 登場前と登場後 生物心理社会モデルの先駆者たちと後継者たち
第6章 停戦 精神医学内戦を調停する
第2部 生物心理社会(バイオサイコソーシャル)モデルの衰退
第7章 データに溺れる
第8章 折衷主義を教える
第9章 薬物療法のゆがみ
第10章 現実世界の気まぐれ
第3部 次に来るものは?
第11章 エヴィデンスに基づく医学(EBM)の限界
第12章 オスラーの亡霊
第13章 二つの文化
第14章 科学と人文学の間
第15章 意味の意味 Verstehenを説明する
第16章 解決の始まり メソード・ベイスドの精神医学
第17章 精神医学の新しいヒューマニズム
あとがき わら人形論法への懸念に対して
補遺 どうやって教育したらよいか? 精神科医の教育についての提案
Many thanks to Mathieu Stern for a beautiful featured image!
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