舌診の歴史

 

 

昨年、舌診の講義を依頼されて、調べているうちに大きな問題に気づきました。

四診(望診・聞診・問診・切診)の望診の舌診にはほとんど歴史が無いということです。

 

舌診を歴史から検討してみました。
中国伝統医学の最初の舌診専門書が出版されたのはモンゴル帝国の元代の『敖氏傷寒金鏡録』の1341年です。傷寒論の理論の舌診です。いまとかなり違います。

 

調べると「舌尖主心、舌中主脾胃、舌辺主肝胆、舌根主腎」という五臓配当ができたのは明代、王肯堂著『証治准縄(しょうちじゅんじょう)』の1608年です。

やはり歴史的には清代の温病学の葉天士先生が多くの画期的な創案をしています。

淡紅舌が健康人の舌であるという認識ができたのも、清代の『舌胎統志』が出版された1874年です。

 

現代中医学の舌診ができたのは、中華民国、曹炳章の『彩図 弁舌指南』が出版された1920年と約100年前のようです。

だから、中医学弁証論治の四診のうちで現代では舌診と脈診が重視されますが、少なくとも明代の楊継洲が鍼灸学を集大成した『鍼灸大成』が出版された1657年には、現代のような舌診は存在していません。

 

日本においては、元代の『敖氏傷寒金鏡録』(1341年)の舌診については、明末に中国から日本に亡命していた戴曼公(たいまんこう)が伝えています。

 

『戴曼公唇舌図訣』

明末に日本に隠元豆を伝えた禅僧、隠元和尚も明の人であり、満州族の清の支配を嫌って日本に亡命しました。
明末の禅僧、独立性易(どくりつしょうえき)こと戴曼公も清の支配を嫌って長崎に渡来して日本に定住しましたので同時代人です。

 

舌診は役に立ちますが、中国でも日本でも鍼灸師が舌診をしだしたのはつい最近なのではないでしょうか?

 

【歴史から見た舌診】

『素問・熱論篇』にも少陰病では舌が乾燥するという記述があります。

『素問・刺熱論篇』でも肺熱では舌上黄身熱と黄苔を思わせる記述があります。

『傷寒雑病論』でも陽明病の記述で舌胎(ぜったい)の記述があります。
陽明病、もし之を下せば、胃中空虚となり、客気が横隔膜を動じて、心中懊悩とし、舌上胎の者は梔子シ湯これを主るとあります。

『金匱要略』でも青舌の記述がオ血としてあります。

隋代の巣元方著『諸病源候論』で、舌下脈絡(舌下静脈)の記述があります。

北宋から金代の成無己(せいむき)の『傷寒明理論』(1156年)で初めて専門的に舌苔が論じられました。

元代には、最初の舌診専門書である『敖氏傷寒金鏡録』(1341年)が書かれました。

明代には、薛己(せつき)が『敖氏傷寒金鏡録』を1556年と1565年に刊行しています。薛己は隔附子灸や隔蒜灸(ニンニク灸)などの隔物灸をたくさん記述しています。

明代の医家、王肯堂(おうこうどう)は、名著『証治准縄(しょうちじゅんじょう)』で知られています。
王肯堂は『医鏡・論口舌証』のなかで「舌尖主心、舌中主脾胃、舌辺主肝胆、舌根主腎」と論じています。これは舌診における五臓配当の最初の記述のようです。

清代では、葉天士(ようてんし)がやはり多くを創案しています。
潤舌は津液が多く、燥舌は津液が少ない。白苔は表証または湿証。厚膩苔は湿熱、黄苔は裏証・実証・熱証、などなどです。

 

舌診の歴史を調べると、現代では温病学が提唱した紅舌と絳舌(こうぜつ)の違いがあまり認識されていません。

紅舌は熱証です。
絳舌は血熱証です。

血熱となるとオ血となり、出血やイライラなどの精神症状が出てきます。
営分証・血分証であり手厥陰心包経に血熱が入っています。それが紅舌と絳舌の違いです。

 

舌診の歴史の解明で明らかになってきたことは、舌診の萌芽は確かに『黄帝内経』や『傷寒雑病論』にありますが、発展してきたのは葉天士の『温熱論』以降であり、特に清代から中華民国の以下の著作が重要になります。

 

清代、張登『傷寒舌鑑』(1764年)

清代、章虚谷『医門棒喝』(1825年)では「舌苔は胃中の生気より現れる」と論じています。

清代、石寿棠『医原』(1861年)では「舌の苔あるは、地に苔あるがごとし」「舌之苔は、脾胃津液が上昇して生じる」と論じています。

清代、費伯雄(ひはくゆう)『医醇剩义』(1863年)でも「不膩而不乾」が健康な舌として、津液の湿潤度から舌を述べています。

清代、傅松元『舌胎統志』(1874年)は淡紅舌を健康人の舌としました。

清代、梁玉瑜『舌鑑弁正』(1894年)が出版されます。

清代、周学海『形色外診簡摩』(1894年)では、舌質をはじめて論じました。

劉恒瑞『察舌弁症新法』(1911年)

中華民国、何廉臣『感症宝箋』(1912年)は舌苔を論じています。

中華民国、曹炳章『弁舌指南』(1920年)は本格的な舌診を論じた文献です。

楊雲峰『臨証驗舌法』(1923年)

邱駿聲『國醫舌診學』(1934年)

 

上記の舌診の歴史の中で、 何廉臣や 曹炳章は温病学における「伏気」の研究者になります。

温病学には「新感温病」と「伏気温病(ふっきうんびょう)」があり、例えば夏に暑邪に傷つけられ、それが次の季節である秋や冬に病気を引き起こす場合を「伏邪(ふくじゃ)」と呼びました。暑邪が夏に体内に入って潜伏するのが「伏暑」です。

明代の『鍼灸問対』を書いた汪機(おうき)が最初に伏気学説を唱えます。

 

清代の呉鞠通(ごきくつう)が1798年に『温病条弁』を出版し、三焦弁証を提唱します。

清代の俞根初(ゆこんしょ)が書いた1835年出版の『通俗傷寒論』で理論を発展させます。

清代の王孟英(おうもうえい)が1852年に書いた『温熱経緯』、清代の柳宝詒(りゅうほうたい)が書いた『温熱逢源』、清代末期の何廉臣(かれんしん)が1911年に書いた『重订广温热论』 で伏気が研究されています。

 

清代末期の曹炳章(そうへいしょう)は『暑病証治要略』で暑病・暑湿・暑温を三焦に分ける弁証を創案しました。曹炳章は1924年に『弁舌指南』で舌診を完成させた人物です。
曹炳章の友人で、暑証の研究に貢献した邵兰荪(1864-1922)先生は、「貧しい人からは診察代をとらずに、代わりにイモやサツマイモなどの食べ物で払ってもらった」ことで有名だそうです。叶天士(ようてんし)の『臨床指南医案』と程国彭の『医学心悟』をひたすら読まれていた鍼の名人だそうです。『医学心悟』は八綱弁証を提唱した文献です。

 

温病学の発展が舌診と腹診の発展に決定的な影響を与えています。
残念なのは、清代から中華民国の中国伝統医学の精華が、中国でも日本でも活かされていないことだと思います。

わたしは実践の中で、この先人たちの舌診と腹診の工夫を活かしていこうと決心しています。

 

 

 

【付録:参考文献:舌診の歴史】
『第1回 舌診の萌芽~舌の生理と疾病との関わり~』
梁榮『中医臨床』 33(3): 386-387, 2012.
※『黄帝内経素問・熱論篇』、『傷寒雑病論』の舌黄、青舌。『諸病源候論』の舌。
『第2回 外感病に対する舌診の形成 ~専門書の誕生~』
梁榮『中医臨床』 33(4): 572-573, 2012.
※宋代、成無己の『傷寒明理論』の舌上胎。許叔微の舌上苔歌。元代の『敖氏傷寒金鏡録』(1341年)
『第3回 外感病に対する舌診の形成 ~傷寒医家の舌診~』
梁榮『中医臨床』 34(1): 92-93, 2013.
※申斗垣(しんとえん)『傷寒観舌心法』。張登(ちょうとう)の『傷寒舌鑑』(1728年)、王景韓の『神験医宗舌鏡』
『第4回 外感病に対する舌診の形成 ~温病学医家の舌診~』
梁榮『中医臨床』 34(2): 228-229,2013
※王肯堂(1549-1613)の『証治准縄』の気分と血分。
※葉天士(1667-1746)の舌診。
※呉鞠通の舌苔と舌診。
『第5回 内傷病への舌診の展開 ~舌病理の形成~』
梁榮『中医臨床』 34(3): 402-403, 2013.
※危亦林(1277-1347)、薛己(1486?-1558)、武之望『済陰綱目』の舌診。
※徐大椿(1693-1771)『古今医統大全』、李梃『医学入門』
『第6回 内傷病への舌診の展開 ~臓腑との結びつき~』
梁榮『中医臨床』 34(4): 554-556, 2013.
※傅松元(1846-1913)『舌胎統志』(1874年)
※梁玉瑜『舌鑑弁正』(1894年)
『第7回 中西医匯通による舌診の発展 ~西洋医学との融合~』
梁榮『中医臨床』 35(1): 67-69, 2014.
※劉恒瑞『察舌弁症新法』
『 第8回 最終回 中西医匯通による舌診の発展 ~舌診の集大成~」
梁榮『中医臨床』 35(2): 238-240, 2014.』
中華民国、何廉臣(1861~1929)『感症宝箋』(1912年)。
中華民国、曹炳章(1878—1956)『弁舌指南』(1920年)。
「正常な舌象の歴史的な認識過程とその問題の検討」
梁 嶸『日本研究』No.52.(2016)
http://jairo.nii.ac.jp/0378/00002107
梁嵘(liáng róng)教授は1955年北京生まれで、1978年北京中医薬大学を卒業した中医師で、1978年より北京中医学院各家学説教研室の助手となり、1994年より助教授となり、1994年より1995年、1999年から2000年は国際日本文化研究センターに留学されました。
2000年代の論文は、オープンアクセスで読むことができます。

http://square.umin.ac.jp/mayanagi/visit.sch/lr/lunwen.html
1) 清代温病医案488例的舌象分析(清代温病医案488例における舌象の分析)(第一作者),≪中华医史杂志≫,2006,36(3):131-134
2) 舌诊的历史沿革(舌診の歴史沿革),≪江西中医学院学报≫,2006,18(3):23-24
3) 日本汉方医学兴衰的历史启示(日本漢方医学の興衰における歴史的啓示),≪国际中医中药杂志≫,2006,28(2):72-75
4) 清代舌诊医案外感病与内伤病的舌象特征分析(清代舌診医案における外感病と内傷病の舌象分析)(第二作者),≪大韓韓醫學院原典學會誌≫, 2006;19(3):421-426
5) 日本江户时代汉方舌诊专著的研究(江戸時代における漢方舌診書の研究),≪中华医史杂志≫,2005 ;35(3):138-144
6) 明末清初的舌诊研究特征探讨(明末清初期における舌診研究特徴の検討),≪江西中医学院学报≫,2005 ;17(3):14-16
7) 1949年以前中医舌诊学术发展历程的探究(1949年以前における中医舌診法発展過程の探究),≪自然科学史研究≫,2004,23(3):257-273
8) ≪敖氏伤寒金镜录≫在日本流传情况的若干调查(日本における『敖氏傷寒金鏡録』の伝承状況調査),≪中华医史杂志≫,2003,33(1):3-6
9) 中日传统医学中舌诊图的特征及其医学观的探讨(中日伝統医学における舌診図および医学観の検討),≪自然科学史研究≫,2003,22(4):157-167
10) ≪敖氏伤寒金镜录≫学术渊源探讨(『敖氏傷寒金鏡録』における学術淵源の検討)(第二作者),≪中华医史杂志≫,2002,32(3):148-150

 

 

 

 

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