大久保流の影響:頸動脈洞刺と傍神経刺

 

 

木下 晴都 、代田文誌
『杉山和一と大久保適斎』
医道の日本社1982年

1892年(明治25年)に、群馬県の大久保適斎という外科医が『鍼治新書』治療篇・手術篇という文献を出版しました。

この中には、2寸や3寸の5番鍼で神経を標的に刺鍼する方法が書かれていました。「側頚部において頚動脈部に刺入して迷走神経を刺激して気管支疾患の治療をする等の治法」や「胃痙攣や消化器系の病気に対しては、胃兪や三焦兪、気海兪などから3寸鍼を深刺する」方法、肋間神経や坐骨神経の近傍を刺激する方法などです。

この大久保流は、関西で大阪盲学校をつくった吉田多市先生や志岐与市先生・堀内三郎先生などによって広められます。さらに大阪・高石市の郡山七二先生が多くの工夫を重ねます。

 

郡山七二先生は
(1)喘息への頸動脈洞刺鍼などの動脈刺
(2)便秘への府舎(SP13)穴付近のS状結腸刺鍼
(3)会陽(BL35)穴からの肛門刺鍼などの内臓刺(※1)
さらに1960年代に「眼窩内刺鍼」を開発し、多くの特殊刺法を開発しました。

大阪の森秀太郎先生の『はり入門』(医道の日本社、1971年)には、このような「肛門刺針」「S状結腸刺鍼」「眼窩内刺鍼」「鼻腔内刺鍼」「歯齦刺鍼」「星状神経節刺鍼」「上腕神経叢刺鍼」「腋窩神経刺鍼」「乳腺刺針」などの特殊鍼法が多数掲載されています。

 

大久保流の気管支喘息への頸動脈洞刺鍼は、郡山七二先生や樋口鉞之助先生により1947年頃から多数、試みられていたようです。

以下、代田文誌「洞刺の臨床的研究」1ページより引用。

洞刺は昭和22年(1947年)頃から、われわれ鍼灸家の間で始められた新しい刺法である。はじめ大阪の樋口・郡山の二氏によって頸動脈付近への刺鍼が試みられ、樋口氏は五十肩に、郡山氏は気管支喘息に有効であると言っていた。

 

そして、1947年(昭和22年)8月に代田文誌先生も石川日出鶴丸教授と相談し、頸動脈洞への刺鍼をはじめています。

そして、それを漢方で有名な細野史郎先生が「頸動脈穿刺に就いて」という論文(※4)を『自律神経雑誌』に発表しました。その後に、代田文誌先生が頸動脈洞刺を高血圧の降圧に使うなど多くの応用研究をはじめました。代田文誌先生は大久保適斎についての本も書かれています(※5)。

 

1960年代に大阪の郡山七二先生が「眼窩内刺針」を創案します。

1968年には大阪の三木健次先生が「星状神経節刺針」を創案します。

1980年に明治東洋医学院の中村辰三先生が「毛様体神経節刺鍼」を創案します(※6)。

1989年には明治東洋医学院の中村辰三先生のグループが「陰部神経刺鍼」を創案しました(※7)。

 

しかし、1970年代から1980年代にかけて神経刺鍼の開発分野では、木下晴都先生の独壇場です。

木下晴都先生は1971年(昭和46年)5月に三叉神経痛で劇痛に苦しみ、西洋医学治療も浅刺も効かなかった患者に神経近傍への刺鍼で鎮痛に成功しました。次に1971年10月に坐骨神経痛の患者の坐骨神経近傍に深刺することで劇的な鎮痛を経験しました。

1974年に「三叉神経痛の傍神経刺」を学会で発表されます。眼神経には陽白、上顎神経には迎香やケンリョウ、下顎神経には聴会と下関の間の聴関を用います(※8)。

1975年に「腰痛の傍神経枝」として、気海兪や腎兪、大腸兪、関元兪からの深刺を発表します(※9)。

1976年に「坐骨神経の傍神経刺」として、大腰筋を標的とした大腸兪、上後腸骨棘と大転子の間から梨状筋を目的とした転子、総腓骨神経を標的とした陽陵泉への刺鍼を発表します(※10)。この時点で、傍神経刺は神経近傍の筋肉のスパズムを解消するのが目的となっています。

1977年に「後頭神経痛の傍神経刺」として、大後頭神経痛には天柱、小後頭神経痛には天ユウへの刺鍼を発表します(※11)。

1978年に「頚腕症候群への傍神経枝」として、前中斜角筋と腕神経叢を標的にした扶突への刺鍼を発表します(※12)。

1979年には、外側大腿皮神経痛、大腿神経、閉鎖神経(陰廉LR11)への傍神経刺鍼を発表します(※13)。

1980年には、「肋間神経痛の傍神経刺」を発表します(※14)。

1981年には、昭和大学の鍼麻酔研究者、武重千冬教授の指導で筋肉痛の研究を行い、刺鍼による局所の軸索反射、サブスタンスPなどによる血管拡張と局所血流改善が筋肉痛の鎮痛と関係していることを発表します。1986年にはこの知見を応用した交叉刺という筋肉への新刺法を創案しています。

こういった神経を対象とした刺鍼法は、研究するとかなり面白いです。

 

 

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※1:郡山七二「立体針療の研究」
郡山 七二日本鍼灸治療学会誌
Vol. 17 (1968) No. 1 P 32-34
https://www.jstage.jst.go.jp/artic…/jjsam1955/…/17_1_32/_pdf
※2:「頸肩腕症侯群と星状神経節刺針について」
三木 健次『日本鍼灸治療学会誌』
Vol. 17 (1968) No. 3 P 1-4
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjsam1955/…/17_3_1/_pdf
※3:「洞刺の臨床的研究」
代田 文誌『日本鍼灸治療学会誌』
Vol. 13 (1963-1964) No. 1 P 1-15
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjsam1955/…/13_1_1/_pdf
※4:「頸動脈穿刺 (Carotisstich) に就て (四)」
細野 史郎『自律神経雑誌』
Vol. 1 (1948-1951) No. 4 P 14-15
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjsam1948/…/1_4_14/_pdf
※5:『杉山和一と大久保適斎』医道の日本社1982年
木下 晴都 、代田文誌

 

 

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