中医学鍼とブラックパンサー党とNADAプロトコル

2018年5月29日 香港の新聞『サウス・チャイナ・モーニング・ポスト(SCMP)』
TCM and the Black Panthers: Chinese medicine and its American history goes under the spotlight in New York exhibition
「中医学とブラックパンサー党(黒豹党):中医学とアメリカの歴史はニューヨークの展示でスポットライトを浴びている」

ニューヨークの中国博物館(MoCA:Museum of Chinese in America)で中医学の展示を行っているのですが、読んでいてビックリしました・・・。

以下、引用。

ブラック・パンサー運動、1970年代の革命的なアフリカ系アメリカ人の政治グループは予期せぬ鍼灸の応援団となった。

ブラックパンサー党は本当に鍼に興味を持っていた。中国に鍼を学ぶために何組かの代表団を送ったほどだ。彼らは鍼を持ち帰り、ブロンクスのコミュニティ・プロセスに鍼を組み込んだ。

それは医学的な運動であると同時に政治的な運動だった。ブラックパンサーズは白人の医学を拒否していた。麻薬中毒の症状を断ち切るための耳鍼はブラックパンサーズによって発見された。いまでは薬物中毒に対する定期的な治療にもなっている。

アメリカでは1966年頃にマルコムXの影響を受けて武装して黒人を解放しようとする「ブラックパンサー党」が生まれました。ブラックパンサーは共産主義・毛沢東主義を信奉し、アメリカのスラム地帯に病院を建てました。

そしてニューヨークの最悪のスラム、サウスブロンクスののリンカーン病院で耳鍼による薬物中毒治療を行っていたマイケル・スミス医師が耳穴の「NADAプロトコル」を創案しました。

最初は「肺」のツボのみを使っていましたが、精神安定作用のある耳の神門が加えられ、試行錯誤して現在のような肺・神門・交感・肝・腎の5穴となりました。

鍼を実際に挿入して、手技して置針します。患者たちは同時に複数が置針され、リラックスして長椅子に30~45分座ります。

この麻薬中毒の耳鍼「NADAプロトコル」は現在のアメリカ鍼灸の基礎になり、コミュニティ・アキュパンクチャーに応用されています。

まさかブラックパンサー党が耳鍼 「NADAプロトコル」を創ったなんて、思いもしなかったです!

しかし、言われてみればサウスブロンクスで薬物中毒治療をしていたのはアフリカ系アメリカ人が住む犯罪多発貧困地帯で無料の朝食を子供達に配給し、無料の病院を作ったブラックパンサー党以外に考えられません。どうして気づかなかったのかと自分のバカさにあきれます・・・。

ブラックパンサー党の創設者の1人は日本人のリチャード・アオキです。アオキが死亡した2009年に『アオキ』という映画が創られ、FBIがブラックパンサーズの中でリクルートしたスパイであることが判明しました・・・。

今、米国文学界でいちばん話題なのは、父親がブラックパンサーズだったタナハシ・コーツです。「ジェイムズ・ボールドウィンの再来」と絶賛されるタナハシ・コーツは2015年に『世界と僕のあいだに(”Between the World and Me”)』で全米図書賞を受賞しました。

『世界と僕のあいだに』
タナハシ・コーツ 慶應義塾大学出版会 (2017/2/7)

現在、父親がブラックパンサーズだったタナハシ・コーツは、マーベルコミックスの2018年大ヒット映画『ブラックパンサー』の脚本を書いたことで大スターになっています!これは、まさに政治団体だったブラックパンサー党をテーマにしていたので、私は映画を見て驚き、感動しました。

今、世界で代替医療がブームですが、ハーバード大学のプラセボ研究者の鍼師テッド・カプチュクさんは1968年に大学を卒業したヒッピーでした。

マインドフルネス瞑想法を創ったジョン・カバット・ジンさんはヴェトナム反戦運動のデモに参加したヴェトナム僧のティク・ナット・ハンから瞑想を教わりました。

現在、世界中で代替医療や鍼や気功を研究しているのは、みんなカウンター・カルチャー出身です。日本では、津村喬(つむら・たかし)先生が最初に気功に魅せられ、その後、大学時代に1968年全共闘運動と出会って活動家となり、再び気功研究家となった経歴を本でオープンにしていますが、世界中、そんな感じなんです。日本では、大学の真面目な研究者ばかりなので、世界の代替医療の人脈や流れがまったく理解できないという惨状になっています・・・。

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