不安と恐怖の鍼

2018年6月15日
「不安と恐怖を打ち破る」
Breaking Down Anxiety One Fear at a Time

アメリカ最大のウォルター・リード陸軍病院でPTSDの兵士を「戦場鍼(バトルフィールドアキュパンクチャー)」という耳鍼で治療しているという記事です。

ウォルターリード陸軍病院は戦後、リハビリの必要な兵士のために「理学療法士」という職業を最初につくった歴史的な病院の一つです。

以下、引用。

ゲールは独りではない。不安障害、パニック障害、PTSD関連不安は普通なのだ。アメリカの成人の31パーセントが人生の局面の何回かで不安を経験すると、ハーバード大学医学部の2017年国立衛生研究所メンタルヘルスの診断インタビューは述べているのだ。

「誰もが不安の症状を経験するんだ」とメリーランド州ベセスダ、ウォルターリード陸軍メディカルセンターの海軍キャプテンであるサワサン・グラニ医師は言う。

認知療法に加えて、ウォルターリード陸軍病院は患者に耳のツボへのバトルフィールド鍼を勧めている。

アメリカのウォルターリード陸軍病院は世界で1番、手足を切断し、障害をおった若い患者を診ます。イラクやアフガニスタン戦争で若い兵士たちが負った傷です。アメリカ軍の軍医たちは、その切断した断端に鍼をしています。

YouTubeでも若い兵士たちがPTSDに苦しみ、勲章を投げ捨て、泣き叫びながら「戦争反対」と叫んでデモ行進しているのを見ることが出来ます。PTSDから自殺している兵士たちも多く、アメリカの鍼師たちは鍼でなんとか彼らの苦しみを軽減しようとしています。

フロイトが名付けた「不安神経症」は、1980年のDSMから「全般性不安障害」「パニック障害」となった歴史があります。

「PTSD(心的外傷後ストレス障害)」の概念の歴史は衝撃的です。

第1次世界大戦の後は、塹壕に爆弾が落ちたあとで兵士たちが「シェル・ショック」といって、外傷がないのに使い物にならなくなりました。
これは日本でも精神科医によって論文になっているし、世界でもフロイトなど高名な精神科医も記述しています。

第1次世界大戦後も、第2次世界大戦後も、ものすごくたくさんの戦争疲労患者や戦争神経症患者が産み出されました。しかし、精神科医たちはその存在を認めませんでした。兵士たちは臆病者だから、戦争に行きたくないから演技をしていると当時の文献には堂々と書かれています。精神科医たちは目の前で苦しむ患者よりも戦争を継続したい政府の言うことを聞いたからです。

世界ではベトナム戦争の退役軍人の研究によって1980年代にようやくPTSDの概念が認められました。

日本でPTSDが病名として認められたのは、阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件の1997年です!!

実際には第一次世界大戦の頃から大量の戦争神経症や戦争ボケの患者が大量に精神病院に居たにも関わらず、70年間もそれらの存在を認めなかった西洋精神医学の鈍感力や空気を読んで権力に従う能力には、驚愕と恐怖で聞いているだけでPTSDになりそうです。

昔の戦争神経症の患者さんたちはこの抜群の隠蔽力を誇る精神科医の先生方の治療を受けるしかなかったわけです。

西洋医学の歴史はウォルターリード陸軍病院と理学療法士という職業のように、戦争と切っても切り離せないです。

2年ほど前に知ったことですが、日本赤十字社の看護師たちは「20年間は国家有事の日に際せば本社の招集に応じ」という応召義務があったそうです。20歳で看護学校を卒業しても、40歳までは応招義務で戦地に行く義務がありました。この看護師さんの応召義務は1955年まで存在したそうです。赤紙をもらい、赤ちゃんを日本に置いて戦地に出征した看護師さんもたくさんいます。ナイチンゲールの昔から、戦争と看護師は切り離せないのです。

「戦争と看護婦」
川嶋みどり 国書刊行会 (2016/8/15)

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