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中国伝統医学の癲狂十三鬼穴

 

 

2017年3月19日『チャクラ・ヒーリング』
「あなたは、『クンダリニー症候群』になる危険性がありますか?」
Are You in Danger of Developing Kundalini Syndrome?

 

現在、西洋世界で瞑想によって起こるクンダリニー症候群が話題になっています。

以下、引用。

クンダリニー症候群は臨死体験や、強い外傷や、瞑想のし過ぎ、ヨーガのし過ぎ、神経衰弱、スピリチュアル緊急事態によるものである。

 

クンダリニ症候群の徴候

【メンタル・エモーショナル症状】
強い恐れやパラノイア
不安
そううつ気分
勝手な体外離脱
ふつうでない思考
予測できないトランス状態
変性意識状態

【身体症状】
頭痛
幻覚
振動の感覚
心拍数の増加
呼吸器の問題
熱感や悪寒
突然の痛み
突然の四肢の動き

 

クンダリニ症候群の「突然の四肢の動き」や「動きが止まらない」というのは、気功の偏差の1つである外動不已(がいどうふき)であり、不随意的自動運動、自発功です。

これは、日本では野口晴哉先生の「野口整体」の活元運動が有名です。体が勝手に動きます。

 

明治時代から日本では霊術が盛り上がりました。初期の霊術である田中守平の太霊道では霊動といって、まさに不随意的身体運動を重視しました。

また、同時期の岡田式静座法の岡田虎二郎も静座をしている最中に体が勝手にピョンピョン動くことで有名でした。

 

大正時代に瞑想状態で体が勝手に動くことについて激しい議論があり、太霊道や野口整体はそれをポジティブに捉えていました。

スピリチュアルな身体的不随意運動、霊動についての戦前の議論は、以下の2013年の論文で解明されています。

 

2013年:栗田英彦「霊動をめぐるポリティクス : 大正期日本の霊概念と身体」
『身体的実践としてのシャマニズム』
(東北アジア研究センター報告, 8号)東北大学東北アジア研究センター, 2013

 

この太霊道と岡田式静座法の両方を学んだのが霊術家の松本道別であり、その霊動を受け継いだ松本道別の弟子が野口整体の野口晴哉の活元運動です。

 

太霊道の田中守平は1929年に46歳で突然死しています。岡田式静座法の岡田虎二郎も1920年に49歳で突然死しています。レイキの臼井甕男は1922年に鞍馬山で臼井式霊気療法に目覚めて、4年後の1926年に65歳で突然死しています。野口整体の野口晴哉は65歳で突然死しています。霊術関係の先生方には突然死が多過ぎます。

 

霊術の歴史を知ると、霊動や自発功などの不随意的身体運動をあまりポジティブにとらえることはとてもできません。これらの歴史を知っているのと知らないのは大違いだと感じています。少なくとも神格化はしないで済みます。

 

スピリチュアルな瞑想や修行、宗教体験中に体が勝手に動き出す現象について、日本の西洋医学の精神医学は多くの症例報告を残しており、祈祷性精神病という病名もついています。明治期日本を代表する精神科医であり、森田療法の創始者である精神科医、森田正馬が1915年に祈祷性精神病を命名しました。

 

日本の精神医学を調べると、多くの祈祷性精神病の報告を読むことができます。有名なのは、手かざし系の新興宗教で手かざしをされて霊動が起こり、そのまま祈祷性精神病になった例です。

 

祈祷性精神病は、精神医学の論文ではストレートに「憑依」と表現されています。

 

「中年女性の幻覚妄想状態 (第3報) – 憑依体験 -」
浅野弘毅, 近藤等, 東雅晴 仙台市立病院神経精神科
仙台市立病院医学雑誌 16(1): 25-31, 1996.

 

日本の精神医学の歴史で、憑依は何度も研究されています。

1885年(明治18年)に雇い外国人医師ベルツが「狐憑病説」を発表しています。

1892年(明治25年)に精神科医、島村俊一が政府の命令で「島根県下狐憑病取調報告」を発表しています。

1902年(明治35年)に精神科医、門脇真枝は「狐憑病新論」を発表しています。

1904年(明治38年)に精神科医、森田正馬が「土佐における犬神について」を発表し、犬神、狸、死霊などが憑いた症例を報告しています。狸が憑依すると大食いになるそうです。

 

一方、中国伝統医学では憑依をどのように考えているのかというと、現実的に捉えています。

明代の虞搏『医学正伝』や明代、李梃の『医学入門』では「高いところに登って歌を歌ったり衣を捨てて走り回る」のは、すべて「痰火によるものである」であり、霊を見るなどの幻覚も「気血虚が極まり、痰火が盛んなために、鬼神を見る」と断言しています。

 

明代の張介賓は「病気は六淫の邪気か七情内傷によるものであり、祟りのように思える『怪病』は痰によるものが多い」と明言しています。

 

これらは金元四大家の朱丹渓が「虚証や痰病は邪祟に似ているものがある」と述べた影響のようです。朱丹渓より前の宋代の陳自明も「産後に鬼神を見たり、変なことを言ったりするのは、気血虚損や陰虚発熱やオ血停滞である」と言います。儒家には「怪力乱神を語らず」という伝統があるのです。

 

ただ、隋唐時代の中国伝統医学は違います。

 

隋代、巣元方『諸病源候論』卷之二 风病诸候下

四十八:鬼邪:およそ鬼に魅いられるとすなわち悲しみ心が動揺し、よっぱらったように乱れ、狂って怖がり悪夢をみる。これは鬼神と交通するからである。

 

唐代、 孫思邈著『千金翼方』

【禁邪病第十五】およそ鬼邪が人に着くと、あるいは泣き、あるいは叫び、あるいは笑い、あるいは歌う。死人の名前を名乗り人を狂わせる。このようなものを鬼邪という。治療法は左手の鬼門(労宮)と鬼市(合谷)、右手も同じように鍼で刺す。

 

鬼(死霊)が取り憑いたらツボに鍼を刺すのが中国伝統医学のソリューションです。現実的過ぎます。

 

唐代の孫思邈 先生は『癲狂十三鬼穴』を書かれています。

人中(鬼宮:ききゅう:鬼宫:guǐ gōng)
少商(鬼信:きしん:鬼信:guǐ xìn)
隱白(鬼壘:きるい:鬼垒:guǐ lěi)
大陵(鬼心:きしん:鬼心:guǐ xīn)
申脈(鬼路:きろ:鬼路:guǐ lù)
風府(鬼枕:きちん:鬼枕:guǐ zhěn)
頰車(鬼床:きしょう:鬼床:guǐ chuáng)
承漿(鬼市:きし:鬼市:guǐ shì)
勞宮(鬼窟:きくつ:鬼窟:guǐ kū)
上星(鬼堂:きどう:鬼堂:guǐ táng)
男子的陰下縫穴或女子的玉門頭穴(鬼藏:きぞう:鬼藏:guǐ cáng)、
曲池(鬼腿:きたい:鬼腿:guǐ tuǐ)、
舌下中縫穴(鬼封:きほう:鬼封:guǐ fēng)等十三穴。

 

そして、江戸時代の漢方の名医、片倉鶴陵は癲狂十三鬼穴の「少商(鬼信)」と「隠白(鬼壘)」で「狐憑き」を治療した経験を残しています。

以下、引用。

子啓子嘗て狐憑きを落とす鍼法を伝えられたり。子啓子は相対したるばかりにて鍼を刺したることなく験ありしよし。其の法は手の左右の大拇指の爪甲をこよりにて堅く縛り、腋下か背後に凝りたるものを力まかせに肘臂の方へ段々にひしぎ出し、肘まで出たる時、他の腰帯の類にて緊しめ、其の凝りたる塊の上へ鋒鍼にて存分に刺すべし、治するなり。
其のひしぎ出す時、並々のことにては狂躁する故、人を雇って総身をかくるる処なきように尋ねてひしぎ出すべし。此の伝を得手後に東門先生へ物語れば、足の大拇指も縛すべし。病人の気を飲むように張り合いつけるべし。若し 向むこうに飲まるる時は何ほどにしても治せず。蔭鍼にて狐憑きの落ちると云うは、此の術なりとありけり。余は刺鍼を解さざる故、他にも鍼家に術ありや否やを知らず。灸法薬方も『千金方』などに詳らかに見えたり。十三鬼穴など是なり。

 

江戸時代は「狐憑き」まで扱わないといけないので大変です。
しかも、鍼を刺して治します。

 

 

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