李東垣の陰火と甘温除熱法

2016年11月18日
「李東垣陰火與甘溫除熱治法臨床發揮」

金元時代、モンゴル帝国時代の中国伝統医学理論で最も重要でありながら議論を呼んだのは、李東垣の陰火に関する理論です。

これは、金元時代の金元四大家の歴史的流れがあります。

寒涼派の劉完素が『火熱論』で、風・火・暑・湿・燥・寒はいずれも化火し、五志いずれも化火するとして、火を瀉す寒涼派の理論を唱えました。もっとも劉完素自身は心腎不交を補腎して瀉火したり、気欝を通すことで瀉火するなどの方を好みました。

攻下派の張従正は、汗・下・吐方で体外に瀉法します。瀉熱になる刺絡瀉血を多用しました。

補土派の李東垣は、陰火理論で虚労での気虚発熱に対して甘温で除熱するという補中益気湯を創案しました。

虚労という脾胃が虚して過労の極限になると、陰火といって虚熱がでてきます。この陰火が李東垣の創案です。

臨床では、確かに虚証が極まって頭顔面部や上焦に熱がのぼりきっている人がいます。ただ、李東垣は『脾胃論』や『蘭室秘蔵』ではこの陰火に対して甘味温性の補中益気湯で治療するという処方を創案しましたが、詳しい理論をまったく書きませんでした。そのため、金元時代の後の明代では、陰火が陰虚内熱なのか湿熱なのかで激烈な論争がありました。今でも李東垣の陰火は解釈が分かれます。

韓国、尚志大学校、韓医科大学の方正均教授は『李東垣の陰火論に対する研究』で以下のように述べています。

以下、引用。

陰火のため発生した熱証を治療する目的で李東垣は治療法も提示している。その中でも代表的なのは甘温除熱法で、この治法の代表が補中益気湯である。そして甘温による除熱法を適用できる熱証は主に湿熱と関係がある。つまり、脾の運化する機能と転輸する機能が失われると津液が全身に輸布されずに停滞して、湿という病理的産物が発生する。その湿が欝滞すると、必然的に湿熱になる。これが陰火のために発生する熱証である。このような熱証に適用される補中益気湯は脾気を補って昇挙させ、陰精を運化して輸布することで陰火のために発生した熱証を治療するのである。

方正均「李東垣の陰火論に対する研究」
『日本医史学雑誌』第56巻第2号(2010)

個人的には、虚熱が頭顔面部や上焦にあがって浮脈になっているがものすごい虚証という虚労で、お灸をしつつ、全身に陽気をめぐらせると調子が良くなる人がいますが、そのタイプだと思います。

湿熱はあり、舌尖は紅で胖大舌・歯痕舌ですが、気虚・血虚など虚証も強いです。脈は浮滑脈で気滞のため弦脈も出ますが、鍼灸をすると脈は沈んで落ち着き、気滞の弦脈もとれます。昇陽しつつ、全身に理気して陽気をめぐらせることがポイントのようです。

このような人は虚証がひどいので瀉熱したら調子が悪くなります。補気したら、気滞がひどくなります。単なる補陰をしたら湿熱が悪化すると思います。単なる補陽だけでも虚熱が悪化する可能性があります。だから補陽しつつ、その気をめぐらせるのが解決策になります。おそらく、李東垣の陰火に対する昇陽と理気の治法というのはそういう意味があります。この気虚発熱と陰火の理論は、臨床経験を積んで初めて認識できました。

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