三旗塾の『千日会報』

三旗塾の『千日会報』です。
『千日会報』を読むたびに三旗塾の先生方がうらやましくなります。こんなに本気で人を育てようとしている場を知りません。梁哲周先生の系譜の凄みを感じます。

梁哲周先生の『 雞林東医学院』出身の新村勝資先生の鍼の超絶技術を拝見した時は度肝を抜かれました。さらに金子朝彦先生に梁哲周先生のお話を伺い、どうしたら人は成長できるのかがよく理解できました。その方法を私はそのまま応用しています。梁哲周先生の 雞林東医学院門下は多士済々です。

三旗塾ホームページ

医道の日本の三旗塾の理念の紹介はわかりやすいです。

三旗塾という名前は、3つの旗(信念・継続・関係)を基軸にして名付けられました。具体的には、中医学を根底に置いた、自由な発想・多くの患者さんとの出会いや、日々起こる様々な事柄を経験している塾生との関係を通して、各々が人間性を成長させていく、治療上の行き詰まりや疑問を解決するために、いつでも話し合い、質問ができる風通しの良い環境づくりを特徴としています。

とにかく自分で考えて、それを他人に話して、書いて、議論して、多様な価値観に触れ、アウトプットしなければ成長なんてあり得ないのです。

拙くてもバットを振り続ければいつかボールが当たり、前に飛びます。とにかくバッターボックスに立たせて思い切りバットを振らせて、凡退しても信じて使い続けない限り育てるのは無理です。バッテイングの天才なら放っておいてもイチローみたいに勝手に育ちます。本当に難しいのは『育てる』こと、人材を後世に残すことなのです。

その証拠に、鍼灸業界は「名人一代限り」を見事に証明しています。流派にかかわらず天才的な人物が出てきて流派を創り、その薫陶を受けた弟子ぐらいまではその天才の暗黙知の部分を潜在意識レベルで学習しているので隆盛となりますが、結局、初代の名人は超えられないの繰り返しです。初代の天才に魅かれて中興の祖という別の天才が運良く集まってきたらもう少し長持ちしますが、今度は中興の祖を超えられないから一緒であり、人育ては運任せなのです。

いつも思うのですが、アメリカの教育で本当にすごいのは専門家教育の前の段階のリベラルアーツ(教養)の部分です。オバマ大統領もライス国務長官もオルブライト国務長官もリベラルアーツ・カレッジの出身です。そこではプレゼンテーションとディスカッションを繰り返します。これはソクラテス、プラトンやアリストテレス以来の西洋の教育の伝統です。これを「人間を自由にする技術(リベラルアーツ)」といい、日本では「大学の教養課程」と訳されています。

ところが日本は100人から200人が大教室で教授の板書をそのままノートに写し、議論も何もせずに暗記して試験の解答に写せば合格できるのが「パンキョー(一般教養科目)」です。中国も同じです。そして専門教育である大学院教育ばかり注目します。

アメリカで年間に最も取得される博士号は教育学です。アメリカは教育大国として世界中の才能を引き寄せています。 アメリカ企業と議会の真の支配者は文系のロースクール出身の弁護士たちです。アメリカはリベラルアーツ教育が支配する国であり、ソフト・パワーの国なのです。そして、アメリカの教育はビジネススクールもメディカルスクールもケーススタディが大半で、実際の例を徹底的にリサーチして議論します。

日本の場合はとにかく議論がありません。エラい人の言うことを聞いて頷いているだけでは人は育ちません。

日本の場合は公教育ではなく、幕末では私塾が人を育てました。戦後は会社の中の勉強会や居酒屋トークです。これはソクラテス、プラトン、アリストテレスの昔からそうなのです。

古代ギリシャ語では余暇のことを「スコレー」と言い、その余裕のある時間で哲学が産まれました。ギリシャ語のスコレーがラテン語で「学校」を意味する「スコーラ」となり、イタリア語の「学校」を意味する「スクォーラ」、英語の「スクール」、フランス語の「エコール」、
ドイツ語の「シェーレ」の語源となりました。スコラ哲学とは「学校の哲学」という意味です。

古代ギリシャでは、学校・訓練場としてギュムナシオンがありました。古代ギリシャではギュムノスとは「裸の」という意味です。

ギュムナシオンはレスリングやボクシングなどを裸で行う軍事訓練施設でしたが、後に知性をトレーニングする場となりました。ギリシャでは裸は神の似姿であり、男性の肉体美を賞賛する場でした。ギュムナシオンで男性たちは裸でレスリングを行い、終わったら体に高価なオリーブオイルや香油を塗ってストリギルでこすってマッサージして体の手入れをし、浴場に入ったり、リラックスして敷地を散歩しながら哲学や政治を議論しました。この余暇がスコレーです。

代表的なギュムナシオンはソクラテスとプラトンのアカデメイアとアリストテレスのリュケイオンです。アカデメイアは英語の アカデミーの語源となり、リュケイオンはフランス語の高等教育施設、リセの語源となりました。

ギュムナシオンはドイツ語の学校、ギムナジウムの語源となりました。そして、古代ギリシャのギュムナシオンでやっていたことが、ドイツ語のギュムナスティークです。ドイツ語のギュムナスティークはもともとギリシャ語であり、ヒポクラテス以来の言葉で「運動だけでなく、塗油・入浴・マッサージなど身体の手入れ」を意味する言葉でした。

ドイツで19世紀初めに体育の父と呼ばれるヨハン・クリストフ・グーツムーツが身体教育(略して体育)とドイツ体操を提案しました。これは平均台、水平はしご、ボールや棍棒、輪などの軽手具が使用される学校で行われる体育運動です。オリンピックの体操競技はジムナスティックスです。

つまり、古代ギリシャのギュムナシオンから西欧の高等教育制度や哲学、体育、体操ジムナスティックス、マッサージが生まれたのです。

ところが現在は、高等教育やスポーツに関わる人ですらアカデミーや体育、ジムの語源も知らないのが現状です。もちろん、英語のschoolの語源が古代ギリシャ語の「余暇」「レジャー」「ヒマ」を意味するスコレーであることも知りません。

古代ギリシャのギュムナシオンでは対話によって教育をしました。日本で言えば居酒屋トークです。対話があってこそ、人間は人間を学ぶことができます。おそらく日本は飲みニケーションで人間が人間を学び、議論し、その場が人を育ててきたのです。自由闊達でリラックスした話から人間は人間を学び、成長できます。その「場」を作ることはどれだけ難しく、貴重なのかと思います。

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