ポーランドのミハウ・ボイム

2018年11月12日
「ポーランドの最初の中医治療センターの探訪:ポーランド住民は鍼灸と抜罐を受けることができる」
探访波兰首家中医治疗中心:当地居民可接受针灸拔罐

ポーランドのグルジョンツだそうです。

ポーランドのクラクフにはミハウ・ボイム中医学センターがあります。

ポーランドのマルコポーロ、ポーランドのイエスズ会士、ミハウ・ボイムは『黄帝内経』『難経』『脈経』をヨーロッパに翻訳し、西洋世界に最初に中国伝統医学を紹介した一人です。『脈経』の拡がりはすごいです。

さらに1656年に『中国植物志』を出版しています。日本語ウィキペディア、英語ウィキペディアにも記事があります。

ポーランドからポルトガルのリスボンを経由して、マカオやハノイを経て中国の海南島に着きました。明王朝の滅亡期、清王朝の勃興期に存在した南明の永暦帝の使者としてヨーロッパに戻り、ローマ法王に謁見します。

インドのゴアからハイデラバード、スーラト(インドのグジャラート州)、イランのシラーズ、イランのイスファファン、トルコのイズミルを経てヴェネツィアに帰り着き、ローマ法王に謁見しました。

しかし、当時は同じくイエスズ会士のアダム・シャールが清王朝の第3代皇帝、順治帝を助けている時代でした。

1656年にポルトガルのリスボンからインドのゴアに到着し、シャム(タイ)から海賊に船を借りてベトナムから陸路で雲南に向かいましたが、広西省チワン族自治区で病没しました。

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