肝気欝結証

世界保健機構(WHO)のICDー11の弁証論治では、肝臓の臓腑弁証は以下のようになっています。

(1)肝陰虚
(2)肝陽虚
(3)肝陽上亢
(4)肝気虚
(5)肝血虚
(6)肝鬱血瘀証
(7)肝風内動
(8)肝気欝結
(9)肝火上炎
(10)肝陽化風
(11)肝胆湿熱
(12)肝経湿熱
(13)寒滞肝脈

臓腑弁証に「肝胆湿熱」と「肝経湿熱」が並べて書いてあったり、「寒滞肝脈」が混ざっていますが、これは経絡病です。これが現在の中医薬大学の学術レベルです。

2012年秋の『鍼灸OSAKA』の「日本鍼灸の多様性はどこからきたか?」という対談で東郷先生の驚愕の発言がありました。

以下、引用。

東郷:(WHOのICD疾病分類、伝統医学の章の会議で)日本では教科書に載っていることもあって、是動病・所生病、奇経八脈病証を提出したら中国・韓国は出してこなかった。中医学的な病証で説明ができなかったら、その症状がある部分はどの経脈なのかと最後に、かえってくる部分、鍼灸で一番、かえらないといけない部分を中国・韓国は「いや、そんなものいらない」と言っていたことに私はショックを受けました。
「日本鍼灸の多様性はどこからきたか?」『鍼灸OSAKA』Vol.28.No.3.2012、24ページより引用。

東郷俊宏先生の「中国・韓国が経絡弁証を捨てた」という発言には驚愕しました。歴史的には、経絡病証を入れた日本のおかげで鍼灸はギリギリ救われたと遠い未来、後世に評価される可能性があります・・・。

ICDー11の肝臓の臓腑弁証は、別々の漢方処方に対応させるのは可能ですが、今の中医薬大学が鍼灸処方を作ったら、全部、太衝(LR3)の可能性があります。弁証論治の意味がないです。

■肝気欝結証

脹痛、胸脇苦満、イライラ、口苦、口乾、紅舌、黄苔、弦数脈

金元四大家の朱丹渓の『格致余論』では「疏泄をつかさどるのは肝である」という記述が初出します。

元代、朱丹渓著
格致余論』陽有餘陰不足論
「主閉藏者、腎也。司疏泄者肝也」

ただ、当時の朱丹渓先生の記述は現在の「肝は疏泄を主る」とはかなり異なる意味で使われています。

朱丹渓先生は鬱の理論で有名です。朱丹渓の「六鬱」は気鬱、血鬱、痰鬱、火鬱(熱欝)、食鬱、湿鬱です。

以下、『丹渓心法』六鬱より引用。

およそ鬱はみな中焦にある。

鬱は集まって発散できないものをいう。昇るものが昇らなかったり、降りるものが降りなかったり、変化すべきものが変化しないと伝化が失常して六鬱となる。

気鬱は胸脇痛があり、沈脈・渋脈である。

湿鬱は全身に痛みが走り、関節が痛み、寒邪にあうと発症する脈は沈脈細脈である。

痰鬱は動ずればすなわち喘し、寸口脈は沈脈滑脈である。

熱鬱は煩悶し、小便が赤く、脈は沈脈数脈である。

血鬱は四肢が無力で、よく食べるが便は紅色となり、沈脈である。

食鬱はゲップして満腹となり食べることができない。

朱丹渓先生の時代は肝気鬱結は存在しません。気鬱も弦脈ではありません。

明代、缪希雍の『本草经疏』では肝臓が昇発と条達と関連していることを指摘しています。

扶苏条达,木之象. 也;升发开展,魂之用也。

明代、命門学説で有名な趙献可の『医貫』は、木鬱を治療すれば他の全ての五鬱を治療できると主張しました。

清代、汪昻の『医方集解』の「和解之剂第六] 逍遥散において、「木鬱を治療すればほかの全ての鬱は治療できる。これは逍遙散である」と、逍遙散で肝鬱を治療すれば全身の鬱が治療できるという論説を行っています。

明末、清初の傅山著、『傅青主女科』上巻の「郁结血崩(十)」や「嫉妒不孕(三十四)」「产后郁结乳汁不通(七十七)」で「肝気の鬱結」という言葉が初出しています。

清代、唐宗海著、『血証論』や周学海著、『読医随筆』、ではほとんど現在の「肝気鬱結」と変わらない認識となっています。

モンゴル時代に「肝は疏泄を主る」という新理論が提唱され、明清時代を通して徐々に認識が形成され、最終的に現代の「肝気欝結証」の概念が形成されたようです。

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