『 宋以前傷寒論考』

宋以前傷寒論考
東洋学術出版社2007年

これは凄い本です。日本漢方の「考証学派」の系譜に連なる、歴史に残る最高傑作だと思います。

宋代の林億が『宋版傷寒論』を出版する以前の傷寒論を宋代以前の中国伝統医学古典から分析していきます。

感じたのは、1984年の小曽戸洋先生による中国伝統医学古典『小品方』の発見が大きかったということです。

さらに李氏朝鮮の1452年に出版された『医方類聚』は世界で唯一、日本の宮内庁がオリジナルを所蔵しているのですが、それを全てコピーして『傷寒論』の条文と比較研究しました。

魏晋南北朝時代の葛洪『肘後備急方』や『小品方』、隋代の『諸病源候論』、唐代の『千金要方』や『外台秘要方』などのすべての古典を調査し、さらに日本の『医心方』、李氏朝鮮の『医方類聚』、さらに宋代の『太平聖恵方』まで研究し、驚愕の結論を導き出しています。この文献を研究してから葱白や附子を多用して温陽・通陽する「中医・火神派」の考え方を見直しました。また、痰飲の考え方が変わりました。

1936年に出版された岡西為人の『宋以前医籍考』(満洲医科大学東亜医学研究所)などから継承された、まさに日本の東洋医学研究の総決算のような文献です。宋代に国家事業として中国伝統医学のマニュアル化が行われ、そのために見えなくなったものが重要だったのだと気づかせてくれます。

1065年に北宋の林億が『傷寒論』を出版しました。

1086年に韓祗和が『傷寒微旨論』を著しています。

1100年に龐安時が『傷寒総病論』を著しました。

1118年、朱肱が『類証活人書』を著します。

1134年、許淑微が『傷寒百証歌』『傷寒発微論』『傷寒九十論』を著しています。

成无己著、1142年、『傷寒明理論』では初めて「半表半裏」という用語が使われました。
1144年、『注解傷寒論』では注釈が省略されました。

1181年郭雍著、『傷寒補亡論』

1599年の趙開美校正の『仲景全書』がいわゆる『宋版傷寒論』になります。

宋代以降の『傷寒論』研究にも『宋以前傷寒論考』を知っているか知らないかは決定的に影響を与えると思います。日本の「康治本傷寒論」や「康平本傷寒論」はテキスト的に問題が多過ぎます。

『傷寒論』の成立と変遷に関する最新知見 : 『宋板傷寒論』の成立と成無己『注解傷寒論』以降』
『日本東洋醫學雜誌』 58(別冊), 88, 2007-05

『傷寒論再考―東洞生誕の地にちなんで―』
牧角 和宏, 小高 修司, 黄 煌, 福田 佳弘, 中村 謙介
『日本東洋医学雑

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